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○○くんのママと呼ばれること

子どもたちは、どうして遠くからでも
「あ!○○くんのママだ!!」と気づけるのだろう。
長男さんちゃんはもちろんだが、さんちゃんのお友だちも遠くから「さんちゃんのママー!!」と手を振ってくれる。

20代の頃、名字で呼ばれることが嫌で名前で呼んで欲しいと周りに頼んでいた。思春期真っただ中に家庭環境がぐちゃぐちゃで、家が嫌いだったからだ。大学に入った頃、自己紹介の時に「名字はトイレに流しました」と言って名前しか名乗らなかったこともある。

社会人になってからも勤め先はどこもフランクな会社で、名字で呼ばれることが少なかった。さすがに社会人なので名字で呼ばれても気にならなくなってきてはいたが、やっぱり名前にこだわりがあった。
最初の結婚で名字が変わってウキウキしたのもつかの間、ハードな新婚生活は2年持たせるのが精いっぱいで、離婚し再び元の名字に戻ったのが32歳。こうなるともはや名字などなんでもよくて、再就職先では旧姓で呼ばれても「久しぶり~!自分!」という感じだった。

ただ、一度結婚して「○○さんの奥さん」と呼ばれたことにはちょっとした違和感があった。それまでの個としての自分が薄らいで、○○さんに付属する自分になってしまったようだった。
子どもが産まれて「○○ちゃんのママ」と呼ばれるようになったら、さらに個の自分が消えて行ってしまうのだろうか。そんな風に思ったこともあった。

それから10年の間に夫氏に出会って再婚し、子どもたちが産まれた今の自分はどうだろう。
次男べえさんの育休明けに復帰した際に、職場での名前を旧姓から夫氏の姓に変更したのだが、名字をあちこちで使い分けるのが面倒になったというだけの理由だ。どの名字で呼ばれようと、個としての自分は変わらずある。
それは夫氏の友人と会って「夫氏さんの奥さん」と呼ばれても変わらない。

「さんちゃんのママ」と呼ばれることはどうだろう。
これが、なんだかとてもうれしい。
特に、お友だちに呼ばれるとうれしいやらありがたいやらで、大きく手を振って返事したくなる。

今は、誰の付属にも感じていない。
むしろ、個の自分に新しい自分がくっついて、パワーアップさせてもらっているような気すらする。
つまりは、とても幸せだということだ。


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