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依存してしまう私たちへ


なにかとか、だれかに依存してしまうことって
悪いことなのだろうか


したくなくてもしてしまう人にとっては
それはきっと苦しく、忌むべきことで

したくてもできない人にとっては
たぶん羨ましくて、少しだけ悲しいこと


依存の善悪と人の在り方のバランスは
とてもぐらぐらしていて難しいと思う


たった1人だけで生きていては
主体も他者も、存在も非存在も
なにもかにも分からなくなってしまう
ちっぽけで寂しがりやで群生生物的な
存在の在り方しか表象しえない僕たちは

どうしたって、どこかのタイミングで
依存と自立の問題を解決しなくてはいけない

だけど、最近ふと
"依存すること"は"悪"なのではなく
他者に対して"誠実ではない"のかもしれない

そんなことを思った


あなたに依存する、ということは
あなたを絶対に不可変の確固たる存在として
いつでも、どんなときでも変わらず
そこに居てくれて
助けを求めた時にはいつだって応えてくれる
ある種の"実体"として見ているということで

だけど
そんな"実体"ってあるのだろうか

たぶん
この世界のどこにもないのだろう


ゆく川の流れは絶えずして
しかも、もとの川にあらず

万物は絶えず流転していて
膨大なインプットと控えめなアウトプットと
生成消滅する新陳代謝の連続性が
僕を、あなたを形作っている

昨日の僕と今日の僕は違くて
今のあなたと2秒後のあなたは
厳密には違う存在だとも言える


そうなのだとしたら
だれかに依存する、ということは
流転しているゆらぎを認めないということで
それは"誠実な他人との向き合い方ではない"
のかもしれない


だれかを愛するということは
変わらないあなたを愛するということではなく
変わっていくあなたを愛し続けるということ

そうか
依存は愛ではない

参ったなあ、

小学生でも知っている結論に
ずいぶんと遠回りをして辿り着いた気がする


そんな事を仕事の帰り道に
散歩中のワンちゃんが植え込みに
マーキングしたのを飼い主がすぐさま
水をかけて隠滅した残酷(?)なマナー行為を
見た時に思った

あまり関係はないのだけれど
このマナー行為が悪いなんて全く思っていない

ただ、あのワンちゃんは
世界でいちばん愛していて
いちばん信頼しているご主人様に
自分の抗えない本能を否定されていることを
理解しているのだろうか...(たぶんしていない)


そのワンちゃんの語りえない悲哀と
知らずにいる(知りえずにいられる)幸福に
僕は思いを馳せる


本能と理性の相克



"誠実な他人との向き合い方"を考えるとき
本能的に依存してしまうアホな人間の動物性と
それでも理性的に他人を尊重しようと抗う
切ないホモサピエンスの愚鈍な聡さを

ばかばかしいな、とも思うし
愛おしいな、とも思う


善悪の恣意的形而上学的な二項対立は
たぶんこの世界にはない

だけど、誠実か、誠実ではないか
その極性はあるのだと思う


どっちに進んでいったら
誠実方面の極に辿り着けるのか

わからないけれど
信じて進むしかない

信じられるものはなにひとつないけれど
そんなのはどうだっていい

偽善でも偽悪でも
本質的にはどっちだっていいのかもしれない

不誠実でなければ、ただそう在りたいと願う

あなたに誠実で在りたいと、不器用にも祈る

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