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人生に、ノイズ(noise)を



思い返せば
"雑音"に耳を塞いで生きてきた様に思う

日々の生活に潜む大小種々多様な雑音

静寂で平和な日常を侵すノイズ(noise)...


「ストレスを極力感じないで生きる」を目標に
集団を避け、人間関係を回避して
ここまで生き方や働き方を選択してきた

それらと関わらない様に

心乱されない様に、傷付かない様に


一対一なら築ける可能性のある関係性も
集団になると途端に歪なノイズで溢れ返る

妬(ねた)み、嫉(そね)み、恐れ
僕たちの社会に蔓延しているのは猜疑の連鎖

人間社会は有能で、効率的で
画期的で、地球という惑星にとっては
エポックメーキングな構造で


それでいて、とても醜い


本当は"優しい"だけで
全部上手くいくはずなのに

ただ"親切で在る"だけの事が
こんなにも難しい事なのだろうか

こんな単純な事ですら、
こんな簡単な事ですら実現出来ない
グロテスクな動物を心の底から軽蔑して

その動物の本性を愚かな自己の中にも見出し
泣きたいのか、笑いたいのか
いつの間にか自分でも分からなくなっていた

涙は枯れて、口角はもう上がらない

鏡を見て驚いた
僕はこんな、えも言われぬ表情をしているのか


そんな風に思っていたからこそ
世界共通の真/善/美が存在すると説く
プラトンの理想主義的な哲学に憧れて

純度の高い"きれいなもの"が詰まっている
児童文学や絵本に砂漠のオアシスを観ていた


この最低でクソな現実のノイズに耳を塞いで
その雑音を穏やかな生活から全て排除して

あたかもノイズなど存在していないかの様に

この世界は生命の枯渇した砂漠ではないと
自身の認識にすら偽りの目隠しをして

そうやって、必死に逃げていた

いや、今もだね、きっと

逃げているのだと思う





高校の頃、物理の授業で
演習問題を解いていた時に
ふと気になる一文があった

ただし、摩擦は無いものとする

この世界に摩擦の無い物質など
存在していない

だけど、いちいちその摩擦を
公式の演習問題で換算していたら
本質的な概念を捉え損ねる可能性があるから
今は、摩擦に関しては目を閉じておこう

現実に働く摩擦は一旦無いものとして
観念的で形而上学的な真実を学ぶ


シンプルで実学的な理由に
素直に納得するしかないものの
僕の心の中には蟠(わだかま)りが残っていた


現実に摩擦は確かに働いている

その摩擦の"お陰様"で
僕たちの日常には沢山の恩恵がある

どうもありがとう、摩擦さん

その摩擦こそが、この人間社会で
斜面を転がる球の速度を不規則に変化させ
場合によっては立ち止まらせる

世界の根底に存在している
物理学の公式によれば、斜面を転がる球は
加速していく軌道を完璧に予測出来て
現実に描く数値の曲線は神の筆筋と一致する


だけど、この美しい人間社会では
当たり前の様に常に摩擦は存在していて

そんな世界で普遍的な公式は
何の慰めになり、何の役に立つのだろうか

ダイヤモンドはその有用性ではなく
シンプルな"きれいさ"に価値を規定されている

その世界で1番硬く、美しいとされる天然石に
現実的な効用はほとんど無い

「善のイデア」が存在していても関係ない

「美のイデア」が共通していても関係がない

この世界は、摩擦によって全部駄目になった

イデアは、世界の公式は
果たしてガラクタと化してしまうのだろうか


"きれいなもの"の価値は...



そんな事を考えては
厭世的になりがちな根暗で馬鹿な僕に
恩師が笑いながら語った言葉があった

君の人生には、ノイズが必要だよ

今まで耳を塞いで来た
極力、日常から排除して来た雑音と摩擦を
大好きな恩師は肯定する様に僕に語る

その肯定は力強くもあり
優しく、柔和でもあった


ノイズの無い世界で
僕は傷付きたくなくて、傷付けたくなくて

理想ばかりを夢見ては
沢山の"ほんとうはたいせつなこと"を
見落としてしまっていたのかも知れない

そうか

僕が憧れて、手を伸ばしていた
絶対普遍の共通の真/善/美のイデアは
幻だったのかも知れない

掴みかけたその虚像は雲散霧消して

その光の向こう側に
もっと、もっと遠い所に

微かに
本当のイデア界の木漏れ日を観た気がした


普遍的で、絶対的な真実は
人間の摩擦程度で価値を失うものではない

その摩擦とノイズを包含しても尚(なお)
燦然と輝く静謐な光が在るのかも知れない


愚かな動物を短絡的に殺処分にしてはいけない

臭いものに蓋をしてはいけない


そのノイズを包含して
人間という動物を愛する為には
ノイズ自体にも耳を澄まさなくてはいけない

"知らない"と"怖い"は
とても近くにある感情だと思うし

"知る"と"愛する"もきっと近い感情だと思う


哲学(philosophia)の語源は
philo-(愛する)+ sophia(知)

知を愛する事が哲学なのだとすれば
僕は哲学をしている様でしきれていなかった


「無知の知」とは良く言ったものだね
ソクラテス様様です


うん

本当に善い言葉を頂いた

「人生に、ノイズ(noise)を」

"きれいなもの"を愛する為に

"ほんとうはたいせつなこと"を大事にする為に


塞いでいた耳から手を離して
この手を伸ばしてみる
この耳を澄ましてみる

誰かに、世界に、そしてあなたに


どんな音が聴こえて来るのだろうか
何をこの両手は掴むのだろうか

聴こえなくなっていないかどうか
不安になりつつも
神経を研ぎ澄まして、目を閉じて

聴こえて来るのは騒音か、不協和音か

はたまた
神秘的なクラシックか、情熱的なジャズか

それとも
大切な誰かの小さくて、か細い心の本音か

ゆっくり、耳を澄ます

「人生に、ノイズ(noise)を」!

僕は聴こえて来たその音を
一音一音、楽譜に書き残していこうと思う

その雑音の総和が
最後には讃美歌と成り得る事を信じて

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