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プレイヤーについて

俺たちみたいな「プレイヤー」は、必ずしも崇高な思想やアーティスティックな表現力なんか持ち合わせてない

それでも、表現者の奴隷でない限りはプレイヤーだって表現者の1人だ

それはなぜかって、表現者が景色を作るのに必要なのが俺たちみたいなプレイヤーだからだ。

しかしプレイヤーは必ずしも自発的に何かを表現できるわけではない為、自分を活かすためにもアーティストが必要なわけだ。

プレイヤーとアーティストは表裏一体なのだ。
プレイヤーは表現について考えるべきで有り、表現者はプレイについて考えるべきなのだ。

これは最高の表現をしようとするならば切っても切り離せない関係だ

ただアーティストとプレイヤーは本質的に違うところが二つある。



一つ目は、人に見てもらいたい部分、見せたい部分だ。

アーティストは考えや空間を、
プレイヤーは技術と景色を見せるんだ

アーティストは全てを「考えや空間の表現である」と言い訳にし、あるいは正当化してしまうほどの思想や人間性を持っていれば極論楽器の練習なんかは必要ない。
それすらも、本人を魅せる「表現」に置換できるからだな。
例えば「技術なんかの奴隷にならない」という表現をしたいなら、練習は不要な場合もあるだろう。そう言う事だ
ただこれは建前の話であって、実際表現には技術も必要だと思う。
俺はニルヴァーナやビートルズをあまりいいと思ってない
ただ極論として、アーティストにとって演奏技術を持つことは必須要素ではないと言う事だ

かく言うプレイヤーは演奏面では融通が効かない。
俺たちは「いい演奏、いいライブをする事」が最低条件だ。楽器がさわれるから演奏してるだけですなんて考えは表現者が作る空間を破壊する。
代わりに、思想や空間に対しての価値観は必須要素ではない。
そんなものを持ち合わせていなくとも、プレイヤーが持つ楽器にかける思いや確かな技術は表現者が作る空間の「景色」として確かにお客さんの目に映るから。
或いは単純な演奏能力が表現者の作りたい空間と同期するからだ。
しかしながら表現者の作りたい物の意図を汲み取ることができれば、技術以外でプレイヤー自身が会場内の「空間」を作る一端を担えるし、表現者の想いから逸脱したプレイをせずに済むだろう



二つ目は、代えが効くかどうかだ。

表現者とはその人の感性でしか表せない何かを持ち合わせていて代えがきかないが、プレイヤーはそうじゃない。
自分より最高のプレイをする人間はわんさかいる。
代わりはいくらでもいる。
一般的には、表現者よりは下の立場になりがちだ。

では、「楽器の上手い人をメンバーに揃えればバンドはいいものになるのか」
と言われると必ずしもそうではない。

やはり人と人がやる事だからだろう、
音や時間が作るグルーヴは、時には演奏技術や理屈を全く無視してバンドメンバー個人の「人間性」が見えるからこそ良くなる面もある。

だから俺たちプレイヤーは、何故そのバンドに自分の演奏が必要なのかを常に感じ、考え、その義務を全うしなきゃいけない

「他の人間ではこのバンドは務まらない」という強みを持ち合わせていなければ、プレイヤーにすらなれないという事だな

これは表現者が自分の空間をいかに作るかと言う苦悩を持つ事と同じベクトルで、プレイヤーが背負わなければいけない宿命だと思ってる




ただ、稀にバンドメンバー全員がプレイヤーである時。その瞬間、これは紛れもなくメンバー全員が表現者となる化学反応を起こす。

メンバー全員が本能でいい演奏、良い表現をしようと感じる瞬間だからだ。

その表現に意味や思想は必要ない。純粋な「ライブの良さ」が発揮される。

そう言った場面は、明確に誰が表現者で誰がプレイヤーだと決められていなかったとしても、本人たちも意図しなくても訪れる事がある。

それは数ある持ち曲の一曲だけかもしれないし、ライブでのワンフレーズを奏でるほんの1小節分かもしれない

そんな瞬間が、ステージに立つ者としてのプレイヤーとしての本能が垣間見える、所謂「ライブ感」の正体だ。

だからプレイヤーはわざわざ「俺はアーティストじゃないから」と自分を蔑む必要はない。

つまりは、ステージに立った者は全員が表現者で有り、全員がプレイヤーであるほどいいライブが実現すると言う事だ。

これはあらかじめバンドメンバー全員が表現者であると決まっているよりよほど都合のいい事だ。何故ならば、メンバー個個が自分の表現に固執する事で互いに衝突し合う可能性が少なくなるからだ。
全員が違う表現をしたいと主張していたら何もまとまらないだろう。
「全員がそもそも表現者」ではバンドは難しいんだ

表現においての衝突は大いに結構だと思うが、内紛や冷戦の状態が起きていつまでも解決の糸口が見つからないと言った状態になってしまったら元も子もない。
衝突することは悪いことではないと信じて互いに議論し続け、終いには脱退、解散してしまうバンドは多い。
それを繰り返すようであれば良いも悪いもクソもない。
よほどの才能とカリスマ性に溢れた表現者でない限りはな
そうでないなら、メンバー間の仲はいいに越したことはない。
メンバーの脱退とは酷く精神に傷をつけるものだ。
その傷は音楽に大きな影響を与えることがある。

そう言った「余計なトラブル」を避けるためにも、プレイヤーは如何に「無意識下でアーティストになる事ができるか」と言う課題を持ち続けるべきだ。

そう言った環境に身を置けているかどうかも重要だな



頭でわかっていてもなかなか出来ないし、そう言ったメンバーを見つけるのも難しいことだ。
だから売れっ子のバンドはみんな奇跡で、一握りで尊い。目指したって簡単になれやしない

そもそもが奇跡なんだから、ダメだったってそんなに悲観しなくたって良い。
自分の信じた事を貫き通す事が、プレイヤーにも表現者にも大事な要素だ。


以上、約2200字の職場体験レポートでした

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