見出し画像

外交は未来のことを話し合う場

ことに教育界においては、「日本は犯罪国家であった」という"勝者の言い分"のみを子どもたちに教え、"負けた側の言い分"については、いっさいと言っていいほど教えてこなかった。

渡部昇一先生は本書で半藤一利氏を「東京裁判史観」にたっている、と言っている。では東京裁判とは一体何なのか?それは、渡部先生によると、アメリカによる日本に対する「復讐の儀式」だと言っている。

太平洋戦争(大東亜戦争)前、アメリカは「排日移民法」を作り、さらに日本に対して石油を止めることもやった。要するに、アメリカは残酷なまでに戦前、日本を追い詰めたのだ。

当時の日本海軍はアメリカと戦争する気などなかったようだ。しかし、それが「真珠湾攻撃」という奇襲を仕掛けたのは、それまでの日本の置かれた状況を一気に打開する一手だったのだ。言い換えると当時の日本政府にはもうその方法しか事態を打開する手がなかった、とも捉えることができるだろう。

正直、私自身、学校の歴史の授業で日本は戦争を起こした犯罪国家である、ということを習った覚えはない。しかし、戦争に勝利した連合国側(アメリカ)の言い分は、大分というかほとんどの部分を占めているのに、負けた側の日本の言い分はどこにもない。

私の感覚では、「勝てば官軍」という言葉があるように、勝てば何をやっても良いのかという疑問を本書を読んで強く感じた。渡部先生が本書でも言っているように、前の戦争の講和は、アメリカ、中国、韓国に対してそれぞれ結ばれている。それでひとまず、事は収まっているのだから、今更、歴史問題をあーだこーだ言うのはおかしいのだ。

渡部先生がおっしゃっているように、外交は未来に向かって行われるべきだし、日本もわざわざ前の戦争のことを謝罪する必要はない。

この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?