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小学生の頃に遠足で行った美術館

今となっては、旅の目的地として、行く先々の美術館やアートスペース、ギャラリーへ行くようになりましたが、小学生の頃は美術館というところはほぼ理解していなかったように思います。ましてや収蔵作品の詳細などは理解のしようがありませんでした。遠足で学校以外の遠くの場所に、同級生とお弁当をもって出かけられるというくらいの感覚でした。
当時、小学生の頃に遠足で行った美術館というのは、名古屋市立美術館だったと思います。その後、数回、行く機会があったのですが、自分の成長と共に得られる内容が異なりました。
当時の記憶としては、曖昧ながら世界デザイン博覧会というものも開催されていたので、なんとなく近未来的なデザインの建物に触れ、非日常を味わっていたと思います。と同時に、景気がいい時代でしたので、今振り返れば、当時の普段の生活自体が非日常に見えてしまいます。。。
さて、その名古屋市立美術館での思い出としては、さつまいもやバナナのような形で埋め尽くされた発色の良いピンクのボートであったり、箱の中に日付が書かれ新聞紙が入れてあるもの、骸骨の人々の生活が描かれた絵画、ハンマーを振りかざす大きな動く人でした。なんだかよくわからないけど、なにかとても面白いところに来たという感覚がありました。大事に保管されていたので、とても貴重なものだということもなんとなく伝わってきました。
小学校、中学校、高校と成長していくにつれ、衛星放送や洋楽CDなどの海外の情報も身近に触れられるようになり、当時は、MTVやNBAを消費し、日々バスケットボールに明け暮れる日々を暮らしていました。小・中・高と、体育と美術は大好きだったので、いつも楽しく過ごしていました。同時に、受験や大人の社会ということも意識し始め、何が社会に役に立つのかといった価値観も形成されていきました。
受験の前は、アートは好きでしたが、まずは視野を広げるために、海外に行きたいと思い、英語や世界史などを重点的に勉強し、アートが何に役立つかということは全く理解できませんでした。その後、大学では文化人類学の授業や留学生、海外帰国子女の友達の話などを聞き、刺激を受け、少しずつ意識が変わっていきました。この話はまた、別の時にお話しします。
さて、こうして物の見方が変化していくのですが、アメリカ留学中に何度か一時帰国をしました。その際に、改めて名古屋市立美術館を訪れ、小学生の頃に見た作品というのが、草間彌生、河原温、ホセ・ガタルーペ・ポサダ、ジョナサン・ボロフスキーの作品だったこと、また、小学生の頃の記憶には残っていませんでしたが、荒川修作、桑山忠明などの作品も展示されていました。作品の数々は、東海地方出身のアーティストであったり、姉妹友好都市関係のアーティストであったりと名古屋市となんらかの関連のある作品の数々でした。時代を象徴したり、友好関係を象徴していたりと当時の時代背景やアーティストの感性、人柄、技巧などがまざまざと理解できた気がします。後に、上述のアーティスト達と直接面識のある美術館館長や友人ともお話ができ、作品だけでは計り知れない人柄の一部分を知る機会にも巡り会えました。アートを志し、その旅の先に出会えた貴重な体験でした。
長くなりましたので、続きは次回以降にしたいと思います。

名古屋市立美術館
https://art-museum.city.nagoya.jp/

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