貧乏くじを引くということ

もうそろそろ許されると思い、ゴジラの話をする。

ゴジラ鑑賞者の口から、よく、タイトルの言葉が発せられるようになった。

社会人にはどーんと胸にきた言葉ではないだろうか。
マイゴジは、立ち向かった人・逃げる人、どちらにとっても救いのある内容になっていると感じたが、
主人公が最終的に立ち向かうという流れで終結をしているため、
実は、逃げる人に対しては、その次のステップを選ぶよう促すというメッセージが含まれていると個人的には感じる。

アメリカで大ヒットしたという理由も、
軍という要素が日常的であるため、
その騎士道的な視点が国民感情を揺さぶったのではないだろうか。

日本は、比較的「闘う」ということに対して
ネガティブな想いを持っている人が多いから、
首をかしげたくなる人も少なからずいたのかな、とも思う。

逃げる次のステップって、
若い時はいけたかもしれないけれど、
年齢があがるにつれて、気力がなくなるだろうからむずかしいよね・

タイトル、冒頭に出した、貧乏くじを引く、という表現は、
平和な世の中の人たちだけが許される表現だな、と思う。

そして、私は比較的貧乏くじを引くタイプ。

「だれかやらなきゃ」

誰も手を挙げないと、無意識に右手が頭上に挙がっている。

だから、私はすぐに悪い人に付け込まれる。

「こいつならいいだろう」

そう、言葉も物理も殴ってくる人たち。

最近は、そういた人たちと距離を置けるようになったけれど、
ずっとその人たちのおかげで人間不信が止まらない。

でも、同時に、
できる人のところにしか、案件は来ないなとも思った出来事もあった。
(仕事だから詳しく書けないんだけどね)

そういう環境へは、
信頼できる人を通して、
自分のやりたいこと・できることを明確にし、
より良い条件で飛び込んでみるほうが、
生命力を強くさせる何かがあるように感じる。

今回のゴジラ、
貧乏くじを引くと決めた人たちも、
「あれよりましだ」
という人たちがいた。

そういう人たちのおかげで、
私たちは、時間を進めることができていると思うと、
手を挙げてみる修正も悪くない要素があるのかもしれない。

特に、私は、この3か月で様々な出来事故に、
心を殺してしまったから、多分、なんとも思わない。

そのために、あの人たちは、
私の心を壊したのかもしれない。

そういう風に思うと、
第二次世界大戦という恐ろしい出来事を体験した人たちが遭遇した
ゴジラという未曽有の理不尽に対しての対応するときの気持ちが、
他の人より少しだけ、臨場感を増して肌を伝ってくるのです。

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