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世の中のすべての子どもが幸せになって欲しい。NPO法人こどもプロジェクト理事長の福田恵美さん

病気の子ども支援・福島で被災された親子支援を行っている福田恵美さんにお話しを伺いました。

プロフィール
出身地:東京都
活動地域:東京、長野
経歴:2000年 オーストラリアのドナルド・マクドナルド・ハウスのチャリティー研修を受け、国、自治体、企業、市民の協働を目指してCSRの啓発活動に転じる。
2004年 NPO法人こどもプロジェクトを設立。
2005年〜 文部科学省家庭教育支援事業の委託(3年)で、こども子育てポータルサイト「東京こどもセンター」運営。
2007年〜 國學院大學法学部兼任講師。(現職)「政治と社会参加」
2011年  東日本大震災直後より、福島から東京に避難されている母子支援に注力。
2014年~ 被災児童の自然体験を主としたリフレッシュキャンプを長野県上田市でスタート(年3回、2泊3日)。モデル事業化を目指す。
2017年  東京都杉並区阿佐谷に東日本大震災の被災児童の支援のためのカフリースペース、Libertaをオープン。親子のイベント等開催。
2018年 Libertaにて月2回子ども食堂(毎月第2・第4水曜日17時30分~)をスタート
現在の職業および活動:NPO法人こどもプロジェクト理事長。國學院大學法学部兼任講師
座右の銘:どんな選択をしても安らぎと幸せに導くことを信じなさい

沢山の人に支えてもらっていることが癒しになる

Qどんな夢やビジョンを持っていらっしゃいますか?

福田恵美さん以下福田 敬称略)全ての人の幸せが夢であり、私のビジョンです。NPO法人で子どもの支援、特に病気の子どもの支援をずっとしてきました。自分の子どもが難病だったため当事者であった経験があるのですが、沢山の方達に支えられていることが、一番心の癒しにつながるのだと実感しました。やはり色々な困難を抱えたお母さんや困難を抱えた子どものお母さん達は罪悪感や疎外感など、色々複雑な思いを抱えて、どうしても人に話せなかったりすると思います。なので沢山の人に支えてもらっていることが癒しにつながりますし、そういう支えをしていきたいです。

保養の施設を日本全国につくる、ひろげる

Qそれを具現化するためにどんな目標や計画を立てていますか?

福田:日本には自治体を超えた時の支援体制がないので、それをきちんと整備したいです。ドナルド・マクドナルドハウス(遠方から治療のためにくる病気の子どもとその家族が利用できる滞在施設)のような、皆で支え合う仕組みつくりをすること、特にオーストラリアのような国が制度を整備した仕組みにして欲しいという事をずっと考えていました。それに関して政府への提言をしていこうと思っています。またその仕組みを災害にも活用、機能できるようなモデル事業をつくろうとしています。

記者:オーストラリアのドナルド・マクドナルドハウスの仕組みとはどういうものですか?

福田:そこは経営を完全に民間に任せてしまったのではなくて、各ハウスの利用料を利用者の住んでいる自治体が支払う仕組みがあるのです。日本で2001年にドナルド・マクドナルドハウスがスタートした時は国が民間に振ってしまって退いてしまいました。一度退いてしまったものをまた国にやって欲しいというのは、なかなか難しいです。けれど、寄付を集めて民間だけで行うというのも日本では厳しい状況です。

記者:その仕組みを政府に提言しようとしているのですね。

福田:はい。オーストラリアの仕組みを入れて、保養やリフレッシュキャンプの施設を日本全国につくり、広げる、そのモデル事業を行おうとしています。
例えば自治体の議会で他の県の子どものために、そのような施設をつくる予算が通ったとします。そのお金は税金なのです。税金は使い方が決まっていて、払った人の為に還元しないといけません。議会で通っていても、他県の子どもにお金を使うことを反対する市民がいると、その予算を使えなくなってしまいます。裁判で戦ったとしても、ほんの一部の市民からの反対で負けて、その自治体のお金を一切使えなくなります。
オーストラリアが行っている仕組みがあればお互い様なので、住んでいる自治体を超えた時には、住んでいる自治体が払いましょうとお互いが補い合えます。日本はそこまでは進んでいないので、自治体の中だけとし、病気の治療や避難などで自治体から出ざるを得ない人たちは現行の社会制度からもれてしまうことがあります。

地域を超えた心のネットワーク、心のつながりで支えられた子ども食堂へ

Qその目標計画に対して現在どのような活動指針を持って、どのような活動をしていますか?

福田:現在は被災地の子どもの保養(リフレッシュキャンプ)を年3回くらいとリベルタ(NPO法人で主催しているフリースペース)でのイベント、地域の子どもと避難してきている子どもと一緒に行う学習支援、お料理教室、食育、リクリエーション、子ども食堂をしています。
「リベルタ」は、政府への提言をするための一つの形として2017年にオープンしました。一般の方は被災地の情報を知りえなくなっていたりします。またすごくナイーブな問題でもあります。「放射能が危ない」など大きい声で言えなかったり、当事者にしたら福島にいたことが差別につながる、いじめにつながるなど色々な問題があるので、中々難しいのです。情報発信をしていて攻撃されることもあります。
そんな中じわじわと被災した子どもたちの支援の必要性を一般の方に知ってもらうため、またメディアに取り上げてもらいやすい場所としてオープンしました。被災者の方の現状を理解していただくことで、寄付にもつながり、また国の政策としてつなげられたらいいかと思っています。

記者:子ども食堂も行っているのですね。

福田:はい、この子ども食堂は去年の10月に始めましたが、それを始めた思いがあります。
日本はいつ、どこで震災が起こるかわからない状態です。福島以外の別な地域で原発事故が起こる可能性もあるので、事故が起こった時のことに関しては整備しておかないといけないと思います。今は事故に対して、毎回毎回初めてのことですとなり、バタバタしていて全く学びがないと思っています。「他の地域の人を地域でお互いに支える仕組みをつくらなければならない」と思っていたところで、この地域のニーズを知る機会があり、子ども食堂を始めました。
子ども食堂は今、日本全国で3800くらいあります。
最初は吉祥寺のほうでボランティアで子ども食堂を立ち上げることをサポートしていました。それがリベルタで主催者として行うこととなり、その立場になって初めて感じたことがあります。地域の人が本当に興味を持ってくださって、「自分の家で食べきれない」と食材を持って来てくれたり、いきなり来てお金をバンッと置いていってくださったりだとか、それまでとは反応が違うのです。ここ自体が普通のカフェではなくて、一般の方でも被災者の方でも使ってもらえるフリースペースなので、普段から被災者支援をしているお話をさせてもらっています。それが子ども食堂で惹かれて声をかけてくださる方たちは、福島の子どもたちの問題にも理解を示してくれます。
先ほどの例に出したように、皆で子どもやお母さんの事を支えたいという思いが根本にはあるにしても、自治体の中で自治体主導で行おうとすると「他の地域のことをやるな」とか「税金を使うな」という声がでます。
子ども食堂だと、完全に民間のボランティアからスタートした地域活動なので、例えば杉並区の子ども食堂だから、中野区の子どもが来るなとは誰も言いません。子ども食堂に関しては、子どもやお母さんの事を支えたいという皆の思いが素直に出るので、子ども食堂っていいなと思いました。
リベルタで私が「震災の子供たちが・・」と切々に訴えるよりも、子ども食堂から入って、子ども支援に理解のある方にそれを伝えた方が、より浸透するというのをすごく感じ、そして食品も集まります。子ども食堂のネットワークを防災の拠点の一つとして、政府が予算をつけるなどして、地域を超えた心のネットワーク、心のつながりで支えられたら、ひとつ大きく進むのかなと考えています。それを政府にも伝え始めようかと思っています。

ありがたいという感覚が自分から出てくるようになることが幸せだし、救いだし、癒し

Qそもそも、その夢やビジョンを持ったきっかけは何ですか?そこにはどのような発見や出会いがあったのですか?

福田:実は子どもがお腹にいる時に目覚め、気づきや啓示的メッセージを受け取りました。私の子どもは先天性多発性関節拘縮症という病気をもって生まれてきました。子どもが病気を持っていたというのが大ショックではありましたが、それによって、自分の人生がガラっと変わるというストーリーがあったのだと今は思います。
子どもが生まれるまでは苦労したことなく、イケイケで幸せでした。障害者がいることも知ってはいたし、親のいない人がいることも知ってはいましたが、自分にはそういう苦労が何もなかったので、他人事だったのです。自分の中に差別意識がありました。でもそのような子が生まれたことは不幸なことではなくて、自分に目覚めと気づきを与えてくれました。
子どもが生まれる前から、「プロジェクトが早まったから、そろそろ生みなさい」というメッセージがありました。そして生まれた時に、何ヶ所も体の様子がおかしいと病院で言われたのですが、「ここの部分は過去世のここの事」「こちらの部分は過去のここの事」など、そういう背景にあるものが全部わかって、今の状態であることに全て意味があるのだと気づきました。魂と肉体も別で、そのような体を持って生まれた彼が罰を受けているわけではなくて、彼は「僕は病気の代表なんだよ」ということを伝えている、表現しているとわかりました。「この子は病気の子どもの代表になる事を選んできた魂なんだ」と感じた時に嬉しかったですし、「ありがとう」という思いになりました。

記者:人生が全く変わってしまった感じですね。

福田:幸せのイメージが変わりました。物質的に豊かとかそういうものではないんです。
それでいうと、すごく苦しんでいる人たちとか悩んでいる人たちを救いたいとなった時に、どうすればいいんだろうと悩み、行きついたのが、「ありがたいという思いが自分から出てくるようになることが幸せだし、救いだし、癒しなんだな」というところでした。
それを語ると宗教っぽい、哲学っぽい感じになり、言葉では中々伝えにくいところです。なので、それを具体的にどうするかといったら、みんなに支えられていることが実感できるような仕組みがあることなのかと思います。
子どものことは親にとってみたら大切なことなので、病気になったり、死んでしまったら、凄く辛く悲しいことですよね。それでもなぜ生きていくのかを考えた時に、それを昇華していく人生を選んでいるのかなと思います。

この子を元気にすることが、すべての子を元気にすることだと思っていました。その子が亡くなった時には地球がなくなるのではないかと思うくらいの大変なショックがありました。でも外に出たら、普通にみんな笑いながらご飯を食べているし、電車は普通に動いていたのです。
すべての子を元気にすることができなかった自分の絶望感と全く真逆に世の中が動いているのが変な感じで、ある意味使命感も強かったのですけど、元気にすることに思いつめていた状態でもありました。それがなくなることで、梯子を外された感じになりました。
あれだけやった親は他にはいないとも思っていましたので、そういう意味で後悔はありません。でも病気の子どもの代表のあの子がいなくなった・・・次に何をすればいいのか・・自分がどうしたらいいのかわからなくなりました。そんな中、オーストラリアのドナルド・マクドナルドハウスの出会いがあった時に、救われました。言葉で言ってしまうと「安く泊まれる、みんなで支えている」と薄っぺらくなってしまいますが、当事者にとってみれば皆に支えてもらっているありがたいという実感があるというのは癒しだと思います。

子どもを中心とする町つくり、ネットワークつくり、政策をしていこう

Q福田さんの活動を通して伝えたい思いはありますか?

福田:自分の子どもがいても、いなくても、子どもは一番純粋で守られるべき存在なので、その子どもを中心とする町つくり、ネットワークつくり、政策などをしていくとみんなが幸せになると思います。これからはそのことをお母さんに笑って伝えてもらうことが日本にとって、世界にとって良いことと思います。自分を捨ててお母さんは動くことができるから、ある意味お父さんより全然強いと思います。

記者:当事者だったからこそわかる親子への支援。それを精力的になされている福田さんの姿勢に力強さを感じました。年月が経つと忘れてしまいがちなことが多いですが、その起こったことを次へどう活かせば、すべての人が幸せになるのか、そこをみんなで意識していくことは大切なことと感じました。今日は貴重なお話をありがとうございました!

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福田さんの活動、連絡についてはこちら
NPO法人こどもプロジェクト HP
http://kodomo-project.com/

リベルタ
https://peraichi.com/landing_pages/view/cafeliberta

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【編集後記】
今回記者を担当しました善家、村田、戸來です。
インタビューをリベルタでさせていただきましたがとても素敵な空間でした。福田さんの思いがいたるところに溢れているなと感じました。
病気の子どもを持つご家族、被災された親子、心情は私たちが想像する以上に大変だと思います。その方たちのために真摯に向き合う福田さんの姿、ご自身が体験しているからこそ確固たる思いをもって活動されていることを多くの方に知って欲しいと思いました。
福田さんの益々のご活躍を応援していきます。

この記事はリライズ・ニュースマガジン”美しい時代を創る人達”にも掲載されています。

https://note.mu/19960301/m/m891c62a08b36

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