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【図解】「香港」ってどんな国なのか

昨年、香港市民が政府に対し「逃亡犯条例改正案」の撤廃を求め、大規模なデモが起こった。4ヶ月以上にわたったデモの後、逃亡犯条例は撤廃された。

そして、5月27日に「香港国家安全法」の制定に反発し、香港でデモが再発した。

そもそも「香港」とはどういう国なのだろうか。私が生まれた1997年に香港はイギリスから中国に返還された。当時は大きなニュースとなったのだろうが、当然その時の記憶はない。多くの私世代の人たちは、「中国の一部?」くらいにしか思っていないのではないだろうか。

しかし、度重なる香港市民のデモがなぜ起こり続けるのか知るためには、その背景である香港の歴史を知らなくてはならない。

その歴史は、1842年に終結したアヘン戦争に遡る。

アヘン戦争と南京条約

18世紀末、イギリスでは茶の需要が拡大し、清から茶葉を大量に輸入していた。一方でイギリスは綿織物を輸出していたが、清での需要は、輸出していた茶葉の対価に釣り合わなかった。そこでイギリスは綿織物に加え、銀を流出し始めた。

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貴重な銀が大量に流出されてしまったイギリスは回収を図る。

かつて清では、麻薬であるアヘンを吸引する習慣があった。イギリスの植民地であったインドでは、アヘンの元となるケシの実が栽培されていた。これを利用し、清からイギリスには茶葉に加え銀、イギリスはインドに綿織物、インドから清にはアヘン、と三角貿易が始まった。

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これにより、清ではアヘン中毒になる人が大量に出た。銀も大量に流出し、清の国内経済は大混乱した。

そこで清の官僚「林則徐(リン・ソクジョ)」は貿易の拠点、広州に派遣され、アヘンの輸入を取締り、イギリス商人らも追放した。

これに対しイギリスは反発し、1840年に開戦を決定。この戦争は1842年まで続き、イギリスの勝利となった。これをアヘン戦争という。

敗北した清はイギリスと南京条約を結んだ。賠償金の支払いや上海、広州などの開港に加え、香港島の譲渡を受け入れた。

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さらに圧力がエスカレートするイギリスは、1898年に香港内にある新界を、99年後の1997年に返還することを約束し、租借した。

香港の返還

しかし、中国も香港島を譲渡し続けるわけにはいかない。1980年年頃から、中国はイギリスとの香港返還の交渉が始まる。イギリスとしては当初の条件である新海のみの返還を主張したが、中国は「条約は軍事力によって強要された不平等条約だ」と主張し、香港の変換も求めた。

また、1980年代初期は深刻な不況により景気が後退、一方で中国は世界市場に売って出ようと身構えていた。イギリスと中国(清)の立場は逆転していた。

一国二制度と様々なデモ

軍事介入も辞さない姿勢を見せた中国は、「一国二制度」を条件とし、1997年に香港を中国に返還することで同意した。一国二制度は、1997年から50年後の2046年までを期限に、「香港は社会主義国の中国の領域内であるが、外交と防衛以外は独自の自治を認める」制度である。

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あくまで内政はすべて香港に権限がある。民主主義の香港内では言論の自由、集会の自由、報道の自由など、ほとんど日本と同じように認められている。

ざっくり言うと、この民主主義の考えが中国によって損なわれるかもしれない、と怒って香港では大規模なデモが続いている。

例えば2014年に起こった「雨傘運動」では香港トップの行政長官(日本でいう総理大臣)を市民が直接選挙によって選べるようにして欲しいという学生を中心とした運動だった。この運動をする背景は、行政長官を選ぶ1200人の代表は親中派が大半を占め、民主派の意見が反映されないことにある。最終的には改正されぬまま幕を閉じてしまった。

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また、昨年起こった「逃亡犯条例」改正案の撤廃に関するデモが起こった。逃亡犯条例は、香港以外の国・地域で犯罪に関わり香港内に逃げ込んだ容疑者を、協定を結んだ相手国の要請に応じて引き渡すことができるよう定めた条例だ。

条例改正案では「容疑者を中国に引き渡す」ことが含まれていた。つまり、中国で犯罪を起こした人が香港に逃亡した場合、例え香港が逮捕しても中国の法律で捌かれることになる。中国による恣意的な拘束や不当な裁判につながりかねないと批判が上がった。デモの後、「逃亡犯条例」改正案は撤廃された。

そして先月起こったデモは「国家安全法」の制定に批判が上がったためだ。この「国家安全法」が制定されると中国政府が国家安全に関する期間を香港に設置することが可能になる。つまり、香港で中国に対する批判的な発言をした場合、逮捕されるなど、香港市民の自由が中国によって損なわれる可能性がある

これからも続く香港のデモ

これらのデモを起こす最大の理由は、香港市民の「自由」を求めるためだ。デモの参加者は5つの要求を5本の指で表している。

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【五大要求】
・逃亡犯条例改正案の撤回
・行政長官選挙の直接選挙導入
・警察の取り締まりを調査する独立調査委員会の設置
・拘束・逮捕されたデモ参加者らの釈放
・デモを「暴動」と認定した香港政府見解の撤廃

一つ目の「逃亡犯条例改正案の撤回」は達成されたが、香港政府が残りの4つに応じない限り、今後もデモは起こり続けるだろう。

「一国二制度」には、元々イギリスの植民地だった香港の生活を急激に変化させず、完全に中国に戻ってくるまでの50年間で徐々に分かり合っていく目的がある。

しかし、香港が民主主義から社会主義にある日変わるなんてことが実現できるのだろうか。実現したら、例えば明日から表現の自由が損なわれ、日頃使っているTwitterやGoogleが使えなくなることになる。私たち日本人のような民主主義国家はデモやネットを通して、政府を批判することができる。社会主義国家ではそれが許されない。

特にその将来を不安視しているのが香港の若者世代だ。2012年の「愛国教育」に反対するデモの先頭に立ったのは、当時高校生だった黄之鋒さんや周庭さんで、今も抗議活動を続けている。

日本で「デモ活動」の様子を伺っても、若者が参加する姿は見受けられない。一方で、香港やアメリカで起こるデモには若者が積極的に参加しているように思える。

確かに「デモ」が良い面ばかりでない。大規模なデモが起こった後の街は悲惨だ。しかし、それだけ政治や国の正しい道に対する強い想いが表れているようにも思える。

日本はどうだろうか。この"新型コロナウイルス"という大きな出来事が起こっても、政治に目を向ける姿勢がないのであれば、それが現実となるのはいつになるのだろうか…

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