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映画『PIGGY』はラスト台詞で色物映画から大傑作に化ける。

『PIGGY』 99分 スペイン
監督 カルロタ・ペレダ
主演 ラウラ・ガラン

【STORY】
スペインの田舎町。精肉屋の娘、女子高生のサラはその体型から周囲から「子豚」と罵られいじめられていた。ある日、近所のプールに一人水浴びに出掛けたサラは、怪しげな男と、いじめっ子の女子3人組と遭遇する。そこでもサラは溺れかけるほどに苛烈ないじめを受け、着替えや荷物も持ち去られてしまう。泣く泣く帰路につくサラであったが、その道中、プールで見た男に車に押し込められ、血まみれで拉致されるいじっめ子達の姿を目の当たりにする。家族や警察に報告し、彼女たちを救うか、黙して見殺しにするか。果たして彼女の取った選択とは、、

【REVIEW】 ※ネタバレを含む※
ポスターの強烈なビジュアルに惹かれ、鑑賞した本作。正直、インパクト重視のそこそこ楽しめるB級映画だろうと甘く見ていたが、これは背油より甘かった。

ナイフ、血しぶきというスリラー要素はあくまでもこの作品の味付けでしかなく、本質はティーンエイジャーの葛藤と成長なのである。とにかく人間の描き方が上手い。

主人公のサラはその容姿から受けるいじめに加え、家庭内でも母親から(愛がないわけではなさそうだが)愚図扱いをされ抑圧されている。そのため自己肯定感が極めて低く、自分から何かを行動、選択するということが出来ない(それは同級生、家庭内のみならず、売店でレジ係に促されると従ってしまうところでもさりげなく描かれていて巧みだ)。
しかし、彼女はごく普通の思春期の少女として、異性への性的な視線も持ち合わせていて、ポルノも見る。

また、いじめっ子の一人クラウはサラと幼馴染で、元々仲が良かった。いじめに関しても積極的にではないが、自分が標的になることを恐れてか、参加しないわけではない。お揃いのブレスレットを未だに身に着けていることからも、サラを嫌っているわけではないのだろう。しかし、生死のかかった切羽詰まった状況では、自分だけ助からんと暴言も吐く。ある意味で一番感情移入しやすいキャラクターなのかもしれない。同様に、サラにもフランクに接してくれるクラウのイケメン彼氏も、行方不明となった彼女を心配し、動揺しているが、その背景には自分が疑われるという利己的な側面もあった。
このように、人間の一面的でない醜さも丁寧に描いているので、登場人物たちの心情の動きも当然ながら直線的ではなく捉えにくく、リアルなのである。

そんな一筋縄でいかない心情の変化をしていく登場人物の中で、主人公サラの「助ける」「見殺しにする」という究極の二択に揺れる心は特に複雑だ。
普通のリベンジ映画であれば、復讐には「自発的」なアクションが必要である。しかし、本作では「何もしない」ことが復讐に直結するのである。まずこの構造が非常に面白い。
サラがとった「黙する」という選択は、単純な復讐心からくるものではなく、前述の通り自己肯定感の低さからくる何も行動を起せないことを、むしろ「いい気味」という思いを言い訳にしていたようにもとれる。また、この選択の裏には自分には危害を加えようとしなかった犯人(男性)への歪な感情、倫理観との葛藤と母の存在なども孕んでいるから面白い。

さて、ここからが僕の最も書きたい、本作が大傑作たるポイント。

サラの成長譚としての物語である。ここまで述べてきた通り、サラはいじめられており、家庭でも抑圧され居場所がない(彼女の定位置は自身のベッドの上だ)。そんな彼女の状況を一変させたのが、犯人の男である。自身をいじめる存在を排除し、また、家庭をも破壊する。更に自身に性的な目を向けていることも感じ取るのだ(犯人のサラに対する視線は性癖かもしくは崇拝か。どちらにしても好意的である)。つまりこの殺人鬼は自身を辛い境遇から攫ってくれる白馬の王子様であると言える。サラを拉致した犯人がお姫様抱っこで彼女を運ぶシーンなど、ユーモラスでありつつ象徴的なシーンである。

こうして、サラは殺人鬼によって他者から認められ、自己肯定感を獲得するのである。
拉致された先で生きながら吊るされているいじめっ子達二人を発見するサラ。彼女は拘束を解こうと試みながらも葛藤している。我先にと助かりたい二人から投げかけられる言葉に混乱してしまう。彼女の脱皮はまだ不完全であり、それは彼女の変化があくまでも「他者」由来のせいだ。
その現場を犯人に見つかったサラは、今度は「いい気味だろ」と投げかけられ、一緒に二人を殺すことを促される。
二人に照準を合わせたその時、初めて彼女は「自身」の意思によって犯人に刃を突き刺すのである。そして犯人との激闘の末、最後は首元を噛みちぎり勝利する。文字通り男を喰らい、白馬の王子さまからも卒業してみせたのである。犯人を退治した後、二人を吊るした縄を一発で撃ち抜く姿(サラの狩猟の腕は冒頭で伏線として用意されていた)からはもう何も出来ない少女の影は消え去っていた。

そして、血まみれで独り歩いて帰路につくサラ。泣きながら帰った冒頭との対比である。
しかし、物語はサラのヒーロー譚では終わらない。僕が最もこの作品に衝撃を受けたのはこの後である。

独り歩くサラの前をバイクに乗ったクラウの彼氏が通りかかる。血まみれの彼女をみて、直ぐ町まで送ると話しかける彼に対して彼女の最後のセリフである。それが、「助けて」なのだ。そして、彼の背中に身を委ね、走るバイクで終幕する。

普通の映画であれば、全てを乗り越え、強くなった彼女の最後のセリフに「助けて」は絶対選ばない。彼女が堂々とした表情で正面を向いて歩くカットでカタルシスを得られればそれでいいはずだ。
しかし、強くなった彼女がやっと言えた言葉が「助けて」なのである。
彼女が、仲が良かったはずの幼馴染にも、家族にも言えなかった言葉。その一言にどれだけ勇気がいることだろうか。

繰り返すが、本作は単なるリベンジヒーロー譚では終わらない。あまりにも痛切にリアルなのだ。僕はこの胸が締め付けられるラストを絶対に忘れないだろう。

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