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『原発処理水放出』が生み出す新しい「フェアなリベラル」のあり方について。

今日24日に、福島第一原発でいわゆる「処理水」の放出がはじまりました。

いやーやっとここまで来たという感じで。ほっとしています。

これを機会に、

「政府がやることに全部端から端まで全部同じトーンで反対し大騒ぎをする事しかしない」

…みたいな

『オールドリベラル勢力』

…には徐々に退潮してもらって、

「日本社会が抱えている現実をリアルにとらえて、現実的に可能な策について徹底的に議論し、その策の有用性によって自民党政府以上のものを出して信頼を勝ち得ていく」

…という

『新しいフェアなリベラル勢力』

…を作っていく流れに持っていきたいという話をします。

なぜなら上記のような20世紀型の『オールドリベラル』しか日本にいないと、現実の政治を司るのは「保守派側」しかいない…みたいな状況がずっと続くわけで、そしたら色んな細部の「LGBTだとか女性活躍だとか入管制度だとかその他色々のリベラル系の人が重視するアジェンダ」は

未来永劫実現しない

…ですよね。

「現実に日本社会が抱える問題」は、「とにかく自民党政府というクズがいるせいですべて起きていて、あいつらがいなくなりさえすれば全部解決するのだ」という幼児的な世界観を脱却しない限りは、ある程度「保守派側」が現実をグリップすることで日本社会が崩壊しないように運営するしかなくなる。

逆に、「想像上の巨悪」に全部おっかぶせて自分たちは「完全に善なる小市民」というファンタジーに引きこもる陰謀論志向を脱却することによってのみ、日本社会にリベラル派の良識を浸透させていくことも可能になる。

今回の『処理水放出』は、そういう転換の第一歩にできればと思っています。

というわけで、今回記事は、最初に少しだけ、知ってる人にはイマサラすぎるこの「原発処理水問題」の細部について解説したあとに、この「放出決定」を、

『20世紀型のオールドリベラル』

…から

『21世紀型のフェアなリベラル』

…への転換点にする方法について考える記事を書きます。

(いつものように体裁として有料記事になっていますが、「有料部分」は月三回の会員向けコンテンツ的な位置づけでほぼ別記事になっており、無料部分だけで成立するように書いてあるので、とりあえず無料部分だけでも読んでいってくれたらと思います。)

1●原発処理水問題に関する基本的なおさらい

今年の春に原発とか電力業界について連続して取材して連続記事を書いたんですが、その時取材した技術者の人も、

科学的に管理して適切な方法で希釈して流すことが一番安全だが、あのタンクの状態のまま地震とかで壊れて流出したりすると、(それでも科学的には問題が起きるとは考え難いにしろ)余計に風評被害が心配だ

…というような事を言っていたので、まあこれから30年程度かかるとはいえ、この方向でちゃんと動き出せてよかったです。

まずこの問題をざっとおさらいすると、以下の経産省資料にある通り、トリチウムに関しては自然大気中にも普通にある上、世界中の原発で福島の処理水に含まれる量なんか比べ物にならないぐらい常時排出されています。

ALPS処理水に対する経産省資料p4

特に中国なんかは沿岸部に並べてる原発から今回の処理水放出”全体”の、さらに”10倍以上を毎年”放出してるのに、この問題を政治問題化するっていうのは本当の「お前が言うな案件」だと言えるでしょう。

だからこのトリチウム部分について騒いでいる人たちは本当に全く問題外と言っていい。

詳細を考えずに「安全だと言うなら飲んでみろ」とかワイワイ言ってるのも全部同じレベル。

一方で、いわゆる「ALPS処理」部分で、時々完全には取り切れていない他のトリチウム以外の核種があるのではないか?みたいな事を言っている少数意見があって、それはまあある程度は(トリチウム問題の荒唐無稽さに比べると)妥当性のある疑義だとは言える。

あれだけの大量のタンクを処理する過程で、ALPS処理の吸着剤の交換頻度などが甘かった時期があるというような事は現実的には十分ありえる。

そのタイプの人たちの中ではこの記事なんかが錦の御旗のように引用されているんですが…

しかし、これについて批判している人は、「あのタンクの水」を放出する前にちゃんとモニタリングをやって、もう一回ALPSまたはその他の浄化処理を行うという事を知らないか、意図的に知らないフリをしてSNSで騒いでいる場合が多いと思います。

以下、環境省の資料より引用(太字は筆者)

こうして処理された水は、東京電力福島第一原子力発電所内に設置されたタンクに貯蔵されています。しかし、過去に発生した浄化装置の不具合や、汚染水が周辺地域に与える影響を急ぎ低減させるための処理量を優先した浄化処理等が原因で、2022年1月時点で、タンクに貯蔵されている水の約7割には、トリチウム以外にも規制基準値以上の放射性物質が残っています。この約7割の水に対しては、環境放出の際の規制基準を満たす「ALPS処理水」とするために、再度ALPS又は逆浸透膜装置を使った浄化処理、つまり二次処理が行われます

要するに、夏に沸かした麦茶を冷蔵庫で冷やすにあたって、とりあえず粗熱を取ってから冷蔵庫に入れる・・・みたいな話で、タンクにあるのは大部分の処理をして「とりあえず貯めておくには安全レベルにした水」なんですね。

「そこにトリチウム以外の核種が残っているじゃないか!」

っていうのはそりゃそうだ…という話なわけで、粗熱を取ってから麦茶を冷蔵庫に入れるように、放出にあたってはもう一回ALPS処理をして、「完全に取りきって」から放出することになっています。

つまり、今この問題について反対しているのは3つのレベルがあって、

1・トリチウム関連で反対(←問題外)

2・トリチウム以外の核種が残っている事が問題だから反対(←あのタンクの水からALPS等でもう一回処理することを知らないか、知ってるけど知らないふりをして確信犯的にSNSで騒いでいる)

3・上記は全部理解した上で、今後30年におよぶ放出処理をする上でどこかで作業基準がおざなりになったりするのではないかという疑念を持っている(←これは妥当な疑念)

…という状況にあると言うでしょう。

で、上記の「レベル3」の人については、ある意味健全な民主主義社会では必要な人だと思うので、今後誰もこの問題に関心を持たなくなっても、延々と東電のモニタリングデータをチェックしたり、周辺海域の水質チェックをし続けるみたいな事を継続する担ってもらうことが大事だと思います。

そういう「執念」を持った人がいてこそ、いざ本当にデマじゃない何らかの問題が発生した場合にその課題を社会全体で取り上げることができるからですね。

この議論については、なんか「問題外のレベル」の議論が多すぎて大混乱して、とりあえずの議論をまとめるために「レベル1」のトリチウム問題のところだけで話がヒートアップしていて、なんか余計に話がわからなくなってる感じではあるんですよね。

この点、東電の広報には「もうちょっとやりようあるだろう」という気持ちも正直ゼロではありませんが、ただもう全力で「何があろうと曲解しまくって東電を攻撃してやる」というエネルギーが国内外に渦巻いているので、そもそもマトモな双方向的対話など不可能な状況になっている不幸はありますね。

普通にマトモな批判的思考力がある人なら、トリチウム関連の話はさっさと終わらせた上で、「へえ、別の核種があるの?それはどうなるの?」「それはもう一回ALPSその他の浄化処理をしてから放出するんですよ」「へえそうなんだ。ちゃんとそれが行われてるかモニタリングしていかないといけませんね」で終わる話ではあります。

2●色んな「左翼知識人への信頼」が雲散霧消していく

こういう「内容の細部とかどうでもよくて威勢よく政府を批判していられればいいんだ」みたいな左翼性に対して、私は批判的な事を言う事が多いので「保守派」扱いされることが多いんですが、根はかなりリベラル系の人間だし、大枠としてのリベラル系のアジェンダにはだいたい賛成なタイプなんですよ。

だから、特にコロナ前までぐらいは、いわゆる「左翼系の知識人」に対する信頼は一応ギリギリかなりあったというか、何か発言するたびにチェックしては、「ふーむ、なんか的外れな気がするけど、どうしてこの人はこういう事を言うのかな?」みたいな「疑念をいだきつつ判断は保留」という感じでいたんですけど。。

でもほんと、コロナで日本より何十倍も人が死んでいる欧米の例をただただ無批判に持ってきて、ちょっとでも日本と違ってたら「こんなバカが統治する日本で民衆はただ殺されていくのだ!」みたいな事を言っている「いわゆる”知の巨人さん”たち」を見て、なんか私の中で長年持っていた「左翼知識人への信頼」というものが、ガラガラと音を立てて崩壊していったところがあります。

いわゆる「論壇」的な左翼知識人だけじゃなくて、一般的には無名かもしれないがSNSでは有名な、海外事情も理系の素養も十分ありそうな経歴のアカウントで、10人や20人ぐらい「この人の言うことは聞いておこう」と思っていた人たちが…

こと日本政府が関わると、ものすごいアンフェアなデータの出し方をして一方的な批判をして「左翼系の信者」さんたちにワッショイワッショイされる快感で頭がおかしくなっていってるのを見ると、「俺の長年の信頼を返してくれよw」という気持ちにもなる。

最初のうちは一応「信頼」があったから、「この人がこう言ってるんだから何か根拠があるんじゃないか」と思って数時間かけて調べてたりしたんですけど、なんかもう最近はだんだんそういう人たちの言説を参照するのもアホらしくなってきてフォローするのをやめちゃったところがあります。

で、こういう状況が健全か健全でないかって言ったらもう圧倒的に「不健全」だと思うわけですが…

3●「オールド左翼」が、あらゆる「マトモな政府批判」をクラウディングアウト(押出して排除)してしまう

この状況の何が不健全かというと、そういう

「内容とかどうでも良くてとにかく自民党が悪いって言いたい」みたいなオールド左翼の言説

…があまりに幅を効かせていると、

「政府の政策を現実的に検証し、問題点がどこにあってどう改善すればいいのか」という「本当に必要な政府批判」

が、

「クラウディングアウトされる」=(押し出されて排除されてしまう)

…からなんですよ。

コロナ関連でも、実際に現実の日本で直近使える武器を使ってとりあえずまあまあの成果を出している現状に対して、使える武器も国民性も全然違う、しかも日本より何十倍も死んでいる欧米の例を持ってきてただ全否定する議論で盛り上がられてもどうしようもないですよね。

そういう「全然現実と合ってない暴論」がある程度以上に盛り上がってしまうと、現実を差配する側としては最も保守的な見積もりに引きこもらざるを得なくなる。

現状の問題点に対して事実に基づいて冷静な議論をし、現状のとりあえずの対策が崩壊しない形で、問題解決に衆知を集めていくことができさえすれば、「さらに良い」対策ができた可能性はある。

でもそういう議論は、「とりあえず現行政府がクズってことにしてSNSで喝采を浴びる」みたいな人たちの声が大きすぎると消え去ってしまう。

むしろ、「現実が崩壊しないようにするために過剰に保守的な方向に引っ張られる」ことになる。

このあたりが、「オールド左翼」が「マトモな政府批判」をクラウディングアウト(押し出して排除)してしまう構造ということになります。

4●あと4−5年もすれば…

こないだ繁華街に用事があってでかけた時に、デモ行進みたいなのに出会ったんですが、参加者がもう「ほぼ全員相当な高齢者」であることに改めて衝撃を受けました。

またなんか、横断幕の文章が、相互に全然脈絡のない「左翼全部のせセット」みたいな感じなんですよね。

「戦争ができる国にするな」「中国への侵略反対」「米国の言いなり反対」「原発”汚染水”を海に流すな」…

なんか、ちょっと急いでいたので他の「全部のせセットメニュー」は忘れちゃいましたけど、なんかこの人たちは、「老後に青春をやりなおし」してるんだなあ、という感じではありました。

男女ともに結構楽しそうで、シュプレヒコールを上げて、「自分たちの正義の市民」が「邪悪なる日本政府」と戦うストーリーで充実してる感じがして、まあこの人たちはこのままやっていただくしかないよな…という気持ちになった。

勿論、こういうのの逆側には、保守系のデモ行進も別の場所でやっているわけで、それこそ健全な民主主義社会の多様性という事でもありますからね。

ただ、上記のデモが「あまりに老人しかいない」感じは改めて衝撃で、あと4−5年もすれば日本の言論環境は相当に変わってくるだろうな、という実感が目の前にあったという感じでした。

以下の記事で対談した専修大学教授で政治学者の岡田憲治先生は、現在のリベラル系野党のアドバイザーもされているんですが、

この対談が終わったあとの飲み会で、

僕はね、よくリベラル系の野党に、「あんたら今までとは違うお客さんを見つける準備をしていかないと、あと何年かしたらそのお客さんみんな◯んでいなくなっちゃうよ?その時慌てたって遅いよ?」って言ってるんですよ

って言ってて編集者と一緒に爆笑してしまったんですが、これは結構厳然たる真実をついているところがあるなと。

若年層で自民党支持率がやたら高くて、左翼系政党の支持者は高齢者がかなりのボリュームゾーンなのはここ最近定着した現象ですからね。

だから、これから日本においては、一年たち、二年たち、三年たち…するうちに

急激に20世紀型の「オールド左翼」が退潮し、それによって逆に「過剰に右寄りの言説でフタをしておく」必要もなくなる

…変化は明らかに起きます。

また、そういう「20世紀型左翼」の人は、こういう処理水放出問題なんかがあるたびに毎回毎回「あまりにも無理筋」なことを言い続けるので、さらに余計に退潮していく流れを加速していくことになってくれる。

その変化が、単にどこにも方向感がなくなって漂流する混乱期になるのか?それともやっと20世紀的イデオロギーの亡霊なしに現実的な変化を積み重ねられる時代になるか?

それがこれからの日本社会の正念場的な課題だと言えるでしょう。

5●社会のあらゆる場所で「メタ正義」的な中庸の議論を起こせるか?(例えば電力問題の場合)

これからの時代には、「どちらがわのベタな正義」も最終的には形を変えて反映されていくような、「メタ正義」的な感覚を持って現実を変えていくことが必要になります。

単に「相手を全否定するだけで終わる」ムーブメントは徐々に勢力を削られていくことになる。

例えば、4月に集中して取材して書いた電力関連の問題について言えば、以下記事で書いたように…

今日本の再エネは、「政治活動家がねじ込んで東電などを攻撃しまくり、自分たちの利権を作る」時代が終わり、「プロがプロの配慮を持って適切に進める」時代になってきつつある。

日本が再エネの導入が欧州なんかに比べて遅れているのは、適地がそれほどなかったこともあるけど、民主党時代の再エネ導入が拙速すぎたというか、ある意味で「左翼の利権構造」みたいになってしまって、太陽光だけが突出してしまった事が大きい。

今や単位面積あたり世界一位の太陽光があるんですが、そんな一本足打法だったら照ってる時は余るしダメなときは一斉にダメになるからそのバックアップをめっちゃ大量に持ち続けないといけなくなる。

本来なら、他の再エネ電源も組み合わせながらバランス良く開発していければ、今のように火力発電に大きく頼った電源構成にならずに済んだかもしれない。

例えば洋上風力は、「アマチュア」から「プロ」の段階に入りつつあり、三菱商事みたいな資本力のあるプレイヤーが買収した欧州企業の先端技術を使って、無茶苦茶安い値段で落札して業界を驚かせました。

こないだ捕まった自民党再エネ議連の議員さんは、この「プロが支配する世界」に「反対」する「古い再エネ利権」の人だったんですね。(でも賄賂はしたけど実際に彼らに有利な制度は実現しませんでした)

そういう「プロの領域はプロ」に任せ、むしろ「草の根の活動家」タイプの人は、色々な地元の利害関係の調節が必要な、地熱発電とか小規模水力とか、そういう方向に役割分担されていくべきなのだと思います。

結果として、「再エネ利権による単なる利益誘導」ではない形で、日本の再エネはやっと計画的に増やしていける段階に来ている。

このあたりのことは、先程の「電力関連記事」の二回目↓でかなり詳細に書きました。




また私は、やはり再エネを増やすためにも2−3割の原子力が安定的に下支えすることは必須だと考えています。

以下記事に書いたように、「脱原発が世界のトレンド」なんてことは全然なく、むしろドイツ以外のほとんどの先進国で原発は将来にわたって重要電源のままです。三連続記事を読んでいただければ理解できると思いますが、”そうなるにはそうなるだけの合理的な理由がある”んですね。

その「圧倒的な世界のトレンド」に反対して、それでもあくまで日本において脱原発をしたい人は、そのための電源ミックスのあり方まで踏み込んでもっと定量的に細部の数字を積み上げて責任感を持って考えるべきだったのだと思います。

ドイツは脱原発しましたが、それを実現するための定量的な議論を物凄く徹底してやっていて、そこの部分は凄い尊敬できる感じがした。

さらに言うならドイツと比べて日本では、グリッドが他国と繋がってないので「電気が余っても売れないし足りなくなったら死活問題」なわけですよね。

だからドイツが脱原発にあたって行った徹底的な定量的検証の、さらに何倍も難しい検証をやった上で、「脱原発」のプランを練っていく必要が本来日本にはあった。

でも、「日本の脱原発活動家」は、「ドイツでできてるんだからできてないのは東電と自民党の陰謀だ」みたいな話しかしない人が多く、日本の再エネ活動家のバイブル的なドキュメンタリを見たら

再エネ電源を沢山作れば、ピークはバラけて均されるから問題ないんですよ!(それができないって言うのは自民党と東電の陰謀です)

みたいなことをドッカーン!と放言していて、「お前ほんまにやる気あるんか?」と呆れ返りました。

・ドイツの「脱原発派」は「徹底して定量的に検証された具体的プランを練るところまでやる」責任感を持っていた→賛否はあれど脱原発は実現した

日本の「脱原発」派は、「現実が自分たちの思う理想通りにならないとしたらそれは自民党と東電がクズだからだ」しか言わなかった。→実現しなかった。

…という単純な因果関係だったと言えるでしょう。

上記の連続記事でも書きましたが、今の世界のトレンドは明らかに「原発も再エネも」であり、日本もちゃんとやっと一体となって「再エネ推進」ができるようになってきています。

「単なる太陽光による利益誘導」じゃないフェアな議論が浸透すれば、「再エネに対する保守派の無意味な憎悪」みたいなものも抑え込んでいくことができる。

色々な状況を勘案すれば、日本の今後の電源構成に再エネは必須です。そこを否定する保守派の議論は現実が見えていない。(詳しい理由は上記連続記事をどうぞ)

この点においても、今まで無責任な「20世紀型のオールド左翼」に抑圧されてきた、「マトモなリベラル派の理想」を現実に実現できる機運がやっと見えてきている。

今は本当に「両側から反対されつつ地味にちょっとずつ」しか進まない状況にありますが、徐々に「中庸のメタ正義的議論」が普及すれば、さらに微に入り細に入り徹底的に改善しながらより良い日本を作っていける環境が見えてくるでしょう。

6●関連記事でこの問題を広く理解すると…

こういう「20世紀型の左と右」が両方退潮することで、やっと日本は現実的な課題を知恵を持ち寄って解決できる状態になるのだ…という話は、他のあらゆる分野においてもそうです。

来月上旬に、移民・難民問題がご専門の一橋大学の橋本直子先生と対談する予定なんですが、

上記記事に書いたように、あらゆる「リベラル系の政策」というのは、特に非欧米において「そのローカル社会の実情」とちゃんと向き合わずに「幻想の中の欧米」で「その社会の現実の政策」を上から目線で叩きまくってるだけでは決して実現しないんですね。

ここにおいても、「完全に善な俺たちと、世界の問題のすべての源泉である”巨悪”たちの対決」みたいな20世紀的な世界観を超えた新しい対処の仕方が必要になってくる。

来月上旬の対談では、そういう「新しいリベラル」のあり方をスタンダードにしていくためにはどうしたらいいか?みたいな話をしたいと思っています。

また、私の専門である経営コンサル領域では、以下記事に書いたような形で、「20世紀的な左翼の良識」を、いかに「現実社会」に採用していけるか?が重要な時代になっているでしょう。

私は経営コンサル業のかたわら、色んな人と文通しながらそれぞれの個人の人生や仕事やその他色々を考える・・・という仕事もしていて(ご興味があればこちらからどうぞ)、そのクライアントに、ある僕と同世代ぐらいの労働組合の人がいるんですが…

その人が、

今こそ賃上げ圧力をかけていく事が必要な時なのに、上の世代の組合の幹部は、「いつもの”左翼全部のせセット”をいつものように叫ぶだけの自己満足イベント」をすることしか興味がない。むしろそれに非協力的な若手組合員を攻撃してきたりする。

…と言ってて、なんか凄い考えさせられました。

10年、下手したら20年単位で続いた「昭和の経済大国の遺産を食い延ばして維持する定常的環境」の時代が終わり、いまやインフレ局面に飛び込みつつある事は日本経済全体としては非常に大きなチャンスではありますが、逆に言えばここで「賃上げ圧力」を社会の中で徹底的にかけていくことはメチャクチャ大事なんですよね。

そうしないと単に実質賃金が目減りしただけで終わってしまう。

経営側も賃上げに応じないといけないという意識は当然出てきているが、それでも忙しさにかまけておざなりになりがちだから、以下記事のように強く主張することによって突破できる事例は沢山ある。

今まさに、労働組合さん出番ですよ!っていうタイミングなのに、単に「青春もう一度イベント」を高齢組合員が仲間内でやってワチャワチャしたいだけで、それに非協力的な若い組合員に圧力をかけたりしているのは、ちょっとさすがにどうかと思います。

要するに、「左翼全部のせセット」に含まれている、それぞれ一個のテーマを主張するのは別にいいんですよ。

でも「賃上げ」にしても「脱原発」にしても「安全保障」にしても、それぞれ現実の細部の深い課題があって、それを自分ごととして立ち向かって詳細に紐解いていくことによってのみ、現実に変化を勝ち取ることができるってことなんですよ。

それぞれの「細部の課題」には、「現実を差配しているプロ」がいるわけですから、それとがっぷり組み合って、逃げずに現実を変えていけるか?

そこから逃げて「自分たちは完全に善なる市民だけど、自民党とかいう世界の全ての悪の根源が日本をダメにしているんだ」みたいなファンタジーに逃げ込んでいるうちは何やってもダメです。

そういうチャレンジをするべき時になっている。

そういう意味では、「労働組合が賃上げを要求する」という事の意味はメチャクチャ高まってる今のタイミングでこそ、ちゃんと経営側に圧力を具体的にかけていくことは超超超超超超超大事な、

「今やらずにいつやるんだよ!」

…っていうタイミングなんですから、ちゃんとやってくださいよ、という話なんですよね。

さっきも貼ったこの記事↓の最後で書いたように、今ちゃんと「経営側」に圧力を加えて、ちゃんと「賃上げできる環境」に変えていくことはめっっちゃ大事です。マジでここ2年、3年が勝負どころというレベルで大事。

今までみたいに、それぞれ具体的な難しさがあるいくつもの課題を「左翼全部のせ」に自己満足イベントで騒ぐだけだと、それを「現実の変化」に繋げられないんですよ。

「具体的な一個の課題」に絞って、「その難しさ」にちゃんと向き合って明快なメッセージを伝え、専門家を交えてちゃんと「具体的に変える」ような左翼運動こそが今必要なのだってことです。

しつこいようですが、20世紀型の単なる自己満足じゃない、新しいリベラルの良心の発揮の仕方を見つけていくべき時なんですね。

長くなったので簡単にですけど、以下記事で書いたように、これは「安全保障」においても同じことが言えます。

また、最近書いた「映画バービー」の米国での大ヒットについての以下の記事は…

過去20年の世界的に「全部誰かのせいにする言論」が、米国的商業主義の最前線で「次」に進化しているという話をしていて、この「全世界的なトレンドの変化」の先にこそ、日本人が心のそこで持ち続けてきたある未来へのビジョンの旗印を掲げるべき場所でもあるのだ、という力作ですので、ぜひお読みいただければと思います。

長い記事をここまで読んでいただいてありがとうございました。

ここからは、少し前に見たドイツ映画の話をしたいと思っています。

これ、最近Twitter(X)で話題になってたんですけど、なかなか凄みのある映画でした。

アマゾンでレンタルできるし、ユーネクストなら無料で見れます。

これは、実際にあった歴史的事件である「ヴァンゼー会議(ユダヤ人を”処理”する具体的な方法について検討され実行が公的に決定された会議)」というのの議事録を、かなり忠実に再現した映画だそうです。

この映画、何が怖いかって、数百万〜一千万人のユダヤ人を「処理」するにあたって、その「定量的」側面をかなり厳密に議論して計画を立ててるところなんですよね。

さっき、「脱原発するにもドイツは凄い定量的にその可能性を積み上げて分析してて凄いと思った」って書きましたけど、この映画↑見てると「同じ凄さ」を感じるところがかなり恐ろしいなと。

ぶっちゃけて言うと、日本人の、特にこういう「イデオロギー的な政策」を押し込むタイプの人はこういう定量的な議論が苦手なので(笑)、ホロコーストは大日本帝国には到底できない大仕事だったという感じがする。

日本において「定量センス」がある人がいないわけではないですし、むしろ得意な人は超得意だと思うんですが、そういう人はたいてい「イデオロギー型」ではない…というミスマッチがあるということなのかなと思います。

日本における「イデオロギー型」の人は定量的センスが杜撰なので、大日本帝国の問題は「壮大に杜撰な計画が現場レベルで悲劇を生んだ」という感じのものが多いわけですけど…

逆にドイツの場合は、「イデオロギー型の人間」が同時に「定量的にちゃんと考える」力を持っているので、尋常じゃない明晰な計画力を持ってユダヤ人を「処理」していくという超ヤバい現象が起きたということなのかなと。

ともあれ、この映画についての宣伝用の「評」について、佐々木俊尚氏と成田悠輔氏が、「凡庸な悪」という有名な言葉を使っていることについて、ナチス研究で有名な社会学者の田野大輔氏という人が凄い強く批判していたんですね。

この「凡庸な悪」というのはハンナ・アーレントという政治哲学者の有名な言葉ですが、これをこの映画に適用してはいけない・・・という議論には、一応一定の理屈はあるんですよ。

有名な左翼論客の町山氏が補足しているように、

要するに、「凡庸な悪」とは「言われるがままに盲目に従ってしまった一般人」の事を言うのであって、「こういうエリートたち」に使うのは間違っているというような論理ですね。

ただ一方で自分が映画見てて感じたことは、「この登場人物たちまあまあ優秀だけど、いかにも小役人という感じだし、時代がこうなった以上個人ではどうしようもないという意味においては、こういう人たちも含めて”凡庸な悪”の連鎖の中にいると捉えることが間違ってるとは思わないな」ということなんですよね。

そこで「彼らのせい」にしていたのでは、現実的に「次」が起きないようにすることは無理だなと。

「自分たち」と「そういうエリート」が同じ論理の連鎖の中で物事が起きているという事を受け入れた上で、どうすればそういう問題が起きないか、をメタなレベルで考えないとどうしようもない。

この見方の違いというのは、社会に対する色んな見方の根幹にあるもので、田野氏の意見に熱狂的に賛同している人は、ある種の「民衆無罪神話」みたいなのを信奉していて、そういう意見が尊重されることは大事だけど、「そういう意見の限界や欺瞞」もまた明らかになってきている時代じゃないか、と私は思うんですよ。

そしてそれは、この記事に書いてきたように、今まさに「20世紀型の左翼性」の限界を超えていく新しい視座がリベラルに必要なのだ・・・という問題そのものなのだ、という話をしたいと思います。

その他、この映画に出てくる人は、成田氏や佐々木氏のような学者・フリーランス型の人にとっては二流のしょうもない人間に見えるかもしれないけど、「組織を動かす」という意味ではむしろ凄い優秀そうで、逆にそこが恐ろしかったというような話などもします。

2022年7月から、記事単位の有料部分の「バラ売り」はできなくなりましたが、一方で入会していただくと、既に百個以上ある過去記事の有料部分をすべて読めるようになりました。これを機会に購読を考えていただければと思います。(これはまだ確定ではありませんが、月3回の記事以外でも、もう少し別の企画を増やす計画もあります。)

普段なかなか掘り起こす機会はありませんが、数年前のものも含めて今でも面白い記事は多いので、ぜひ遡って読んでいってみていただければと。

ここまでの無料部分だけでも、感想などいただければと思います。私のツイッターに話しかけるか、こちらのメールフォームからどうぞ。不定期に色んな媒体に書いている私の文章の更新情報はツイッターをフォローいただければと思います。

「色んな個人と文通しながら人生について考える」サービスもやってます。あんまり数が増えても困るサービスなんで宣伝してなかったんですが、最近やっぱり今の時代を共有して生きている老若男女色んな人との「あたらしい出会い」が凄い楽しいなと思うようになったので、もうちょっと増やせればと思っています。私の文章にピンと来たあなた、友達になりましょう(笑)こちらからどうぞ。

また、この連載の趣旨に興味を持たれた方は、コロナ以前に書いた本ではありますが、単なる極論同士の罵り合いに陥らず、「みんなで豊かになる」という大目標に向かって適切な社会運営・経済運営を行っていくにはどういうことを考える必要があるのか?という視点から書いた、「みんなで豊かになる社会はどうすれば実現するのか?」をお読みいただければと思います(Kindleアンリミテッド登録者は無料で読めます)。「経営コンサルタント」的な視点と、「思想家」的な大きな捉え返しを往復することで、無内容な「日本ダメ」VS「日本スゴイ」論的な罵り合いを超えるあたらしい視点を提示する本となっています。

また、上記著書に加えて「幻の新刊」も公開されました。こっちは結構「ハウツー」的にリアルな話が多い構成になっています。まずは概要的説明のページだけでも読んでいってください。

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ウェブ連載や著作になる前の段階で、私(倉本圭造)は日々の生活や仕事の中で色んなことを考えて生きているわけですが、一握りの”文通”の中で形に…

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