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相手の歴史にどう触れる??

先日から「敵とのコラボレーション」の感想のようなものをあげていますが、「最善を善の敵にするな」は自分に強く響いた言葉だったみたいです。

自分が考えている方がいいだろうと提案しても、伝わっていない時もある。
なんでわかってくれないんだろう、伝わらないんだろう、、、。

結局は相手を動かすだけのものになっていない、とも言えるんだろう。
相手にも今までやってきた経験値や成功体験があって、それで一定の見込みを立てている。自分だってそうだ。ある程度かもしれないけど、こうすればうまくいく・うまくいっていたというのがあるから。
そういう意味では「過去の目を閉ざすもの現代に盲目となる」というヴァイツゼッカーの言葉を無理やり借りると、相手の歴史にも目を配る必要がある(時もある)。それをいきなり否定から入ってきたら敵対する。
本当は協働して課題に向き合うはずなのに、

協働者との対立関係が生じて、解決課題が置き去り

誰だって敵意を見せられたらそうなる。  
そういえば、これにも書いてあったな☟

トレーニング時間をもらえなかった日々

その昔、トレーニング指導に行ったのに、全然その時間が回ってこなかったことがあった。練習で重視すべきところがうまくできずに時間が無くなった、、ということがその理由であったが、自分がやろうとしているものが充分に監督に伝わっていなかったのかなと思う。

相手が善いものとおもっているものに対して最善を被せる時には色々と注意が必要なのだと思う。互いの距離感や手順、、、目的は同じなのだから。

相手の人格を否定するのではなく、やり方や行動を批判・検証するということにも繋がってくる。
だから、自分が相手に対して伝える時にはその配慮が必要だし、
相手から言われたときにはそう考える、、、けど。

自分ばっかりそれをやっていたらただただ疲れる。
だから、近いところではそこに共鳴してもらえる人、それが安心してできる人との会話や雑談が増える。

変えるタイミング

逆に協働者がいない時、新しく入った時に、前任のやり方を受け継ぐのも難しい。システムがあっても、人が違うから。
また、これまでにいろいろやってきたかもしれないけど、現状どうにも回っていない・足りていないという時にはベクトルの変化を示すことは大事だし、「これまでと違うぞ」と思わせることも必要。

最初はよくわからないから、まずは今までのやり方で、、、は絶好のチャンスを逃している。これも以前にやってしまったことがあった。
スタートがヌルっとすると、その後も変えにくい。変えたとしても、相手に合せた形には少なからずなってしまう。

変える勇気はいつも必要だけど、よきタイミング、というのもある。
人が変わった時はまさにそれなんですよね。

チャンスはピンチの顔をしてやってくるともいうけど、ピンチもチャンスの顔をしてやってくる。






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読んでいただきありがとうございます。日々の雑感やスポーツ、運動にまつわる数字を眺めてまとめています。普段はトレーニングサポートや講義を行なっています。