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[短編小説]その冒険者は、今日もダンジョンをパトロールする

 使用人の声で僕は目を覚ます。
 何も言わなくても毎朝起こしてくれる、何とも気の効く使用人たちだ。それはつまり僕が冒険者として敬意を払われているという事を意味する。そう思うと何とも誇らしい気持ちでいっぱいになる。
 しかし、どうしてかこの宿屋には慣れない。目を開けると真っ先に天井が目に入る訳だが、どこか他人行儀な気持ちが湧いてくる。半身を起こしてベッドの上から室内を見渡しても実に殺風景だ。しかし仕方ない事だな、と思い直す。なにしろここはダンジョンの中にある宿屋なのだから。
 ベッドを下りて、手早く着替えを済ませる。朝一番のパトロールだ。ダンジョンとは言うものの、そこに暮らす住民が居る。僕はその平和を守らねばならない。
 どうしてそのような事をするのかと言うと、それは女神様から使命を与えられたからなのだ。
 ある時僕は女神様に、ここがダンジョンの中である事、転生してここに居る事、ダンジョンの平和を守る使命を与える事を告げられた。その途端に目の前がぱっと明るくなり、僕の冒険者としてのダンジョン生活が始まった。
 ただ、使命を与えられる前は何をしていたのか、どうにもはっきりしない。別の世から転生したらしいのだが、明確な事は教えてもらえなかった。前世は何となく冴えない男だったような気もするし、何となく巨大な乗り物(トラック?とか言うらしい)が頭に浮かぶ事もあるが、思い出そうとしてもすぐに消えてしまう。
 もどかしいが、おそらくそれは女神様の配慮なのだ。使命の遂行の邪魔になるという事なのだと思う。残念だが受け入れるより他に仕方あるまい。女神様の使命と比べれば小さな事だ。
 僕の滞在する宿屋の連中は、僕がこのように使命を受けているからか一様に好意的だ。宿代は要らない、既に貰っていると言う。誰が払ってくれたのかは分からないが、きっと女神様が上手い事取り計らってくれているのだろう。
 使用人はいつも清潔な薄桃色の仕事着を着て現れる。彼ら彼女らは、何くれとなく僕の面倒を見てくれるし、健康も気遣ってくれる。全く文句なしなのだが、ただひとつ、僕の名前を間違える時があるのが玉にきずだ。彼らは時々僕の事を、ホリエさん、などと呼び間違える。実に心外である。僕は冒険者トリエステ、いずれは勇者の称号を得る男だぞ?
 しかしそんな小さな事で怒るようでは女神様に認められはしない。僕は広い心でもって優しく訂正するのだ。我が名はトリエステ、冒険者であるぞ、と。
 そんな時彼らは必ず「ついうっかりしてしまいました」と素直に頭を下げる。間違いをすぐに認めて謝罪できるのは素晴らしい。だから彼らに褒美をつかわさねばと常々思っているのだが、慎み深い使用人たちはいつも固辞するのだ。
 支度を整え宿屋を出ると、もうそこはダンジョンだ。とは言えこのダンジョンは特殊で、沢山の人が住んでほぼ町のようになっており、魔物はほとんどいない。とは言っても、きちんとパトロールして彼らの安全を守らねばならない。僕を適任と見込んだ女神様の期待に応えたいのだ。
 使用人頭がにこやかに僕に近付いてきた。
「おはようございます。ご機嫌はいかがですか? トリエステさん」
 さすが使用人を束ねるだけあって彼は大変優秀な男だ。よく働いてくれるし、何より僕の名前を間違えない。だから僕は、そんな彼に誠意をこめて返事をするのだ。
「おはようございます。今朝はとても気分良く目覚めました。これから朝のパトロールに出掛けます」
「ご精が出ますね、お気を付けて。お食事をお忘れなく。いってらっしゃい」
 彼は変わらぬにこやかさで僕を送り出してくれた。
 ダンジョン内を進んで行くと、どこからかチャイムの音が聞こえてきた。これはダンジョン内にある教会が鳴らしている時報の鐘だ。
 チャイムを聞いた住人たちがぞろぞろと同じ方向に歩きだした。その先には住人が利用する、大きな大衆食堂がある。時報に合わせて開店するので、皆朝食をとりに出かけるのだった。
 ダンジョン内はスペースが限られているせいか、食事を出してくれる宿屋はほとんど無いようだ。僕の暮らす宿屋も同様だが、僕はこの食堂の料理が気に入っているので何も不満はない。宿代に含まれているとかで、代金を払う必要もない。
 やがて広い空間に出た。大衆食堂に到着したのだ。食堂を目の前にしたらお腹が空いてきた。腹ごしらえするとしよう。
 テーブルに付いて食事をしていると、ミチローという冒険者が僕のところにやってきた。彼は僕ほど高潔でもないし、女神様から使命を与えられている訳でもないのだが、話が面白く、何より悪い人間ではないのが気に入って仲良くしている。
 いくつか世間話を交わした後でミチローをパトロールに誘ってみたところ、彼は二つ返事で承諾してくれた。パーティーを組めれば心強い。たった二人の小パーティーだが、一人きりよりずっといい。
 僕たちは意気揚々と食堂を出て、いよいよダンジョンの奥へと進んでいった。するとダンジョンの床に寝転がっている者が居る。
 何事かと寄ってみると、それはトクという馴染みの冒険者だった。トクは随分と長い事このダンジョンに住み着いていて、すっかり年老いているが、このダンジョンが気に入っているのか出て行くつもりは無いらしい。
 折角なのでトクもパーティーに誘ってみると、ヒマだからとあっさり加わった。
 そこからまたいくつか曲がりくねった通路の先にある扉を開けると、明るく開けた場所に出た。中庭だ。
 中庭のあるダンジョンは珍しいだろう? どうもこのダンジョンの設計者は魔物よりもここに住み着く人間の方が好きだったらしい。ただ、この中庭は四方を高い壁に囲まれていて、誰一人外界に出る事を許さない。しかし見た限り誰も出ようとはしていないので、いささか取り越し苦労のように思えなくもない。
「あらトリエステさん、パトロール?」
 女性冒険者のミナが僕らを見かけて声をかけてきた。彼女を見ると何だか心臓の鼓動が早くなる、そんな素敵な女性だ。少しドキドキしながらパーティーに誘ってみると、何と快諾してくれた。嬉しい。
 こうして陣容の整った我がパーティーはダンジョンに戻ってパトロールを再開するのだった。
 そのうちに教会のチャイムが鳴った。お昼だ。
 皆お腹が空いているだろうから食堂に戻って昼食をとる事にした。そういった気遣いもリーダーの務めなのであるぞ、エヘン。
 昼食の時には、特におしゃべりなミチローを中心に世間話をしたが、僕は世情には疎くて何を言っているのかよく分からない場合も多々あった。でもコミュニケーションはパーティーの命綱だ。ミチローのおしゃべりに付き合うのも大切だ。
 やがて昼食を終え、再びダンジョンのパトロールに就く。が、しばらくすると使用人たちが僕らを呼びに来た。センセイ……つまり医者に診てもらわねばならない時間だと言う。そう言えばそんな予定が入っていたか。パトロールは中断だ。今日のダンジョンはまずまず平和なようだから大丈夫だろう。
 使用人に従って、皆一旦宿屋に戻り、それぞれの使用人に連れられて医者が開業している部屋まで行く。診てもらうと言っても僕自身は健康そのものなので、やる事と言えば主に雑談だ。しかし医者は僕のような冒険者を手厚く世話しなければならないという確固たる意志があるようだ。少しばかり面倒に感じる事もあるが、彼らの冒険者に対する敬意を無碍むげにする訳にもいくまい。
 そうしているうちにまた教会のチャイムが鳴り響き、夜が来た事を知った。そこでまた大衆食堂に出向いて夕食をとる事にした。するとパーティーのメンバーも集まってきたのでまた皆で食事をし、そこでパーティーを解散した。
 元メンバーはそれぞれ気の向くままに散っていく。ミチローは食堂に留まり他の住人や使用人と話をし始め、トクは図書館に行くと言って食堂を出ていった。
 ミナはどうするのだろうか……もし何も予定が無いのなら話をしたいと僕は思ったのだが、生憎彼女はさっさと自分の宿屋へ戻っていってしまった。
 特に何か予定がある訳でもないので僕はパトロールを再開した。しかし夜も更けてきたので軽く一周しただけで宿屋に戻った。するとまた使用人が現れて何かと世話を焼いてくれた。実にありがたい。
 こうして今日も無事一日が終わった。ベッドに横たわり、女神様に感謝しながらと天井を眺めているうちに眠たくなってきた。

*  *  *

 少年数人が彼を取り囲み、代わる代わる殴りつける。カバンを奪い取って中身をぶちまけ、それを拾おうとする彼の背中を踏みつけ黒い制服を上履きの形の白い痕だらけにする。
 手を変え品を変え休み時間毎にいたぶられ、ようやく授業が全て終わり彼は学校を後にする。
 帰り着いた家は、どこか暗く沈んでいるように見える――学校の方がまだましにすら思えるほどに。
 無人の家にカバンを置くと、入れ替わりに別のカバンを持って塾に行き、意味の分からない授業をやり過ごす。
 家に帰ると塾の間にパートから帰ってきていた女が待ち受けている。女は学校の中間テストの成績も模試の成績も上がらないと彼を責め立て、ののしり続ける。
 そんな女は、夜遅くに帰ってきた男とリビングで口論する。女は男に殴られて沈黙し、男はこちらに向かって来る。
 男は隣室 ――彼の姉の部屋―― のドアを開ける。じきにベッドの軋む音が、壁越しにかすかに聞こえる。
 それら全てから逃れるため、彼は頭から布団を被り、イヤフォンで耳を塞いで面白くもないゲームに没頭する。

 彼の目の前で、姉は通学路を走る大型トラックに身を投げる――


ぁぁぁああああああ゛あ゛あ゛あ゛!

 僕は眠りながら物凄い声をあげ、その自分の声で目が覚めてしまった。心臓が早鐘を打ち、その鼓動が全身に響いている。
 恐ろしい夢を見た……詳細は覚えていないけど、ただただ絶望に支配されていた。
「どうしました? 大丈夫ですか?」
 使用人が慌てて部屋に入ってきた。大声をあげてしまったものだから心配して見に来てくれたのだろう。こんな夜中に申し訳ない。
「ありがとう、ちょっと変な夢を見てしまって……」そう僕は言い、使用人を安心させようとした。それは同時に自分を安心させる意味もあった。あくまで夢なのだ、と。しかし全身の震えは止まろうとしない。
 使用人は、少し待っててくださいと言って部屋を飛び出し、すぐに何かを手に戻ってきた。それはコップ一杯の水と丸薬だった。
「気分が楽になってよく眠れますよ、さあ飲んでください」
 使用人は笑顔でそう勧めてくれた。僕はその優しさに感激しながら、丸薬を口に入れ、コップの水で飲み下す。丸薬はコップの水と共にゴクリゴクリと咽喉の奥に流れていった。
 ありがたい事に、使用人は僕が落ち着いて横になり、布団を被るまで優しく見守ってくれた。僕が目をつむると、静かに使用人は部屋を出ていった。
 ところが今日に限ってどうも寝付けない。瞑っていた目を開いてしばらく暗い天井を眺めたが、一向に眠れる気がしないのだ。
 僕はベッドから下りて、部屋のドアの前まで行った。もしまだ使用人が居るようなら話し相手にでもなってもらいたかった。
 ドアノブに手をかけようとしたところでドアの外から話し声が聞こえた。
「ホリエさん、大丈夫でしょうか」「うん、時々フラッシュバックするから気を付けてあげて」
 使用人たち、よく僕と間違えるホリエとやらの話をしているようだ。
 すると、そこにようやく眠気がやって来てくれた。僕はアクビをしながらベッドに向かう。使用人の手を煩わさずに済んで良かった。
 気付けばすっかり心が穏やかになっている。丸薬に魔法成分が入っているのだな……きっと相当に腕の良い魔法使いから買った薬なのだろう。
 頭の中に女神様の声が聞こえてきた。
「トリエステ、何も心配する事はありません。明日もパトロールに精を出しなさい」
 女神様、ありがとうございます――まどろみながら女神様への感謝を心の中で述べ、明日のパトロールとダンジョンの住人たちを想った。
 眠りの闇は静かに僕を包み込んだ。

<了>

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