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個別最適と全体最適、短期的視野と長期的視野の対立解消に動ける人が必要

過去から未来まで、様々な場面で対立や衝突がある。

考え方の違いや価値観の違い、優先順位が異なることによって、意見が対立するのは当たり前。

正義の反対側にあるのは逆側の正義。

見方によってはどちらも正しいし、どちらも間違っている。

ある特定の軸をベースに考えたときに、見る人の立ち位置と位置づけによってただ効果性が異なっているだけ。

そしてそれぞれの人が自分自身の中における最適解を行動に移しているのみにすぎない。

だからこそ、自分が感じる世界からして相手側がどれだけ間違っているように思えても、その相手側から見た正義を見ることが出来るかどうかによって世界は全く別のものになってくる。

だからこそ、どのような世の中であっても対立が収まることはほぼありえない。




世の中の多くの人は共通の目的を持っている。

幸せでありたい。

豊かでありたい。

自分の所属するコミュニティーが幸せになってほしい。

人生を充実させたい。

愛に溢れる人生を歩みたい。

環境と調和しながら、人類が長く発展していく未来を描きたい。

それにもかかわらず、常に上記のことが脅かされたり、達成されることが少ないこともあったりする。

誰もが同じような望みを持っているのにそれとは逆の作用が生じる、それはなぜなのか。

ひとつは個別最適と全体最適が異なること。

ひとつは短期的視野と長期的視野の解が異なること。

そしてそれぞれの解が一致することが少ないという事。




個別最適、それは個人だけがどこまでも充実させて最適な行動をするということ。

自分自身が快適で心地よい状態を常に確保するという事、最も合理的な答えというものは、全体から見ると最適ということは出来ないものが多い。

大勢で重い荷物を持つ時誰か一人が楽をしていたら、その人だけが楽になり後の全員の負担が増すようなもの。

楽になった一人としては疲れないという意味で最適解だが、その他の人にとっては全く最適とは言えない選択。

一方で全体最適は、その真逆。

全員が同じような負担を受けることで、個人にとっては最適解とは言い切れない。

でも客観的に見ると公平であり、平等に感じる。

どちらを重んじるか、そして秩序に対してどう感じるかによって、行動が変わってくる。




短期的視野と長期的視野も、異なることが多い。

これは目の前の快楽を取るか、先の長い充実した達成という幸福を取るかということもあったりする。

ダイエットを我慢せずに多く食べてしまうか、しっかりと我慢して理想の体型を手に入れるかという事も例の一つとして存在するように感じる。

短期の幸せと長期の幸せ、それが真逆になることも世の中に溢れている。

紛争や国の財務状況、人口の問題や環境やエネルギーの問題についても、同じようなことが言えるように感じる。

短期的な解決は長期的な問題を引き起こし、短期的に解決をせずに長期視野で取り組むと、どこかのタイミングで我慢しきれずにとん挫する。

一方を立てると片方が立たず、とても難しい問題が溢れている。









もちろん全体最適と個別最適、短期的視野と長期的視野が一致するものがあるのならば、それがベストな解になるので問題が解決しやすい。

ただ、現在世の中の多くの問題として残っているものについては、この2つの対立が逆側の解が最適とされているもの。

だからこそ論争が絶えないし、先に進まない。

そして気が付いたらどちらにも選択の舵を切ることが出来ず、決断を先延ばしにする。

実は先送りが最適解に見えるが、実はそれは問題の規模がさらに増えるだけで最悪の選択。

そしてさらによろしくない状態に陥って、いざ対応する頃にはどうしようもなくなっているものが溢れている。

だからこそどこかで、個別最適と全体最適、短期的視野と長期的視野の解消に向けて動く必要が出てくる。

そして動いた人は、大きな批判や犠牲を伴うことが常。

もちろんその覚悟があるということは、とても勇気のいること。

いつも報われることなく、泥をかぶる役割になるのがほとんど。

ある意味そのような人が最も評価される人なのかもしれない。

自分のその場の評価よりも、問題解消に向けて行動することを選ぶことが出来る人。

そのような人が今求められているし、そのような人の行動・勇気・決断によって生かされているという事に、もっと気が付いたほうがいいのかもしれない。





ありがとうございました。

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