見出し画像

ごあいさつと自己紹介など

友人の勧めがあって、このnoteをはじめてみた。
…は、良いのだが、さて、どう進めれば良いやら、自己紹介するにも、どう書いたら良いやら。
(他のSNSで散々「私感」や「暮らしの断片」を垂れ流しておいて、何を今更、と自分でも思う。)

まずは、簡単な略歴など。

1978年(昭和53年)日光生まれ
2001年(平成13年)東北芸術工科大学デザイン工学部環境デザイン学科卒(現・建築・環境デザイン学科)
卒業後、都市計画コンサルタント、補償設計コンサルタントなどを経験しつつ、地元日光のまちづくり団体「NPO法人日光門前まちづくり」に役員として参加。
(設立当初の名称は「NPO法人日光東町みんなのまちづくり」)
2009年(平成21年)同法人の理事長に就任。
2010年(平成22年)日光門前の市・日光マルシェを立ち上げる。
2012年(平成24年)東日本大震災の復興まちづくりの支援のために、仙台の特定非営利活動法人都市デザインワークスの職員となる。仙台市宮城野区の津波被災集落のサポートや屋敷林(=居久根・いぐね)の再生のプロジェクトに関わる。
以降、仙台と日光を往復しながら、主に二つの地域でのまちづくりに関わっている。
2013年(平成25年)まちあるきガイドツアー「日光ぶらり」を開始。
2015年(平成27年)NHKブラタモリ日光編への番組取材協力、資料提供等。
2018年(平成30年)仮称「日光ガイド博覧会」の実行委員長就任。(10月〜11月実施予定)

こんな感じで、環境デザインや都市計画の仕事をしています。

高校まで日光で過ごし、大学で4年間山形に。
その後就職で仙台、再び日光。と、北関東から東北にかけてボトムがあります。

キャリアの途中では、補償設計というやや特殊な世界にも足を踏み入れました。
道路拡幅や区画整理などの公共事業等で移転が必要になる建物や工作物、営業などの補償金を算定する仕事でしたが、その詳しくはまた別の機会にでも。

人口減少を前提としたまちのビジョンやアクションが必要とされている中、まちの文脈を引き継ぎながら、新たな枠組み、新たな姿を目指すとことが肝要かと思っています。

この時に、「文脈を引き継ぎながら」という部分が、戦後の都市計画には圧倒的に欠如していたものではないかと私は考えます。(明治以降の様々な転換はあったとしても、特に「向こう見ず」の状態であったのは戦後かと思います。)

“囚われる”のではなく、“踏まえ”、“活かす”。

そうありたいと、様々な模索しながら日々挑戦中です。

コミュニティ、まちなみ・景観デザイン、災害と復興、地域の伝統や文化などなど。このnoteには、これまでのまちづくりの過程で見えたこと、感じたこと、私なりにポイントとなると思うことなどを整理して、少しずつ書き綴っていければと思っています。

どうぞよしなに。

#まちづくり #都市計画 #環境デザイン #アーバンデザイン #景観デザイン #コミュニティ #日光 #NIKKO #仙台 #震災復興 #東日本大震災 #災害

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?