「気にしすぎだよ」ではアドバイスにならないから、まずは気づく自分を肯定する
「ストレングスファインダー」という有名な自己分析テストがあって、これは聞いたことがある人も多いかもしれません。
実際、ぼくも一度受けたことがあります。
ただ、今回コルク代表の佐渡島さんが、noteにてそれに加えてFFS理論という自己分析テストを紹介していて、こちらは初耳でした。
両理論を紹介していた佐渡島さんのnote:息子も他人? 「人はなぜ揉めるのか
FFS理論というのは、正直ぼくもまだちゃんと調べきれていないのですが、人間を5つの因子に分けて、その割合でその人の傾向を判断するのだそうです。
5つの因子とは、「凝縮性」「受容性」「弁別性」「拡散性」「保全性」で構成されています。
分析やる前は「受容性」と「拡散性」が強そうだなあと思っていたのですが、いま簡易テストやってみたら、「受容性」と「保全性」が強かったです。
ちょっとだけ意外。
画像:「隠れた危険な自分」がわかる4タイプ別チェック
画像:「隠れた危険な自分」がわかる4タイプ別チェック
FFS理論の趣旨としては、「どの因子も精神状態が良い時は良い面が出るけど、過度にストレスがかかったり、あまりにもストレスがかかっていなかったりすると、悪い側面が出ることがあるから、適度な負荷がかかる環境を選ぶことが大事だよ」って内容です(という解釈をぼくがしています)。
そして先日は、繊細さんの本を読みました。
オリラジのあっちゃんが、YouTubeの動画内で紹介していたことがきっかけです。
自己分析とか、繊細さんの本を読むとか、半年後くらいの自分がこのnoteを読み返したとき、当時どんだけ内省してたんだよって感じると思います。
繊細さんについては、まあ名前の通りなのと、詳細はぜひ本を読んでいただければと思うので、繊細さんの定義自体については、そこまで詳しくはここでは書かないです。
ちなみに、繊細さんは学術的には「HSP(Highly Sensitive Person)」っていう、正式名称みたいなものもあります。
ただ、前半の「こんな人が繊細さん」って内容を読む感じだと、ぼく自身はそこまで繊細さんではないのかなと感じました。
たぶん、繊細さんの要素を一部持っているってくらいだですかね。
とは言え、ときには繊細さん的な自分が顔を覗かせる自覚はあったので、そういったときにこの本に出てきた考え方を生かしていきます。
あと、この本を読んで(当たり前ですけど)世の中にはぼく以上に繊細な方がたくさんいるんだなってことを知ったので、ぼくが繊細さん側としてこの本で得た知識を使うだけではなくて、逆にぼくが非・繊細さんの立場になることもあるのだなということを念頭に置いて、今後生活していきます。
そして、肝心の本の中身ですが、メッセージをぼくなりに一言でまとめると、「繊細であることはそのままにして、逆にそれに対して自覚的になり、その上で少しずつ自分の主張を伝えていくようにしよう」というものでした。
これは本の冒頭にも出てきて、ぼくも共感したのですが、よく、繊細さんに対して、非・繊細さんが「気にしすぎ!そこまで心配しなくても大丈夫」って言うんですけど、気づいてしまうものは仕方がないんですよね。
気にしないようにして気にならなくなるものではなく、気づくのは無意識的にセンサーが反応しているだけなので、こればっかりはどうしようもできません。
繊細さんにとって「気づく・気づかない」は、自分の意志でコントロールできるものではないのです。
(本中より引用)
(以下この引用箇所で囲まれた文章は、全て『「気がつきすぎて疲れる」が驚くほどなくなる 「繊細さん」の本』からの引用です)
だから、大前提のスタンスとして、大事なのは、「気づく自分」を受け入れることです。
「気づかないようにしよう」と無理に自分の感性を塞ぎ込むと、逆により一層のストレスがかかってしまうこともあります。
繊細さんに必要なのは、「気にしない」という言葉ではなく、気づいたことにどう対処したらいいのかという、具体的な対処法なのです。
それに、繊細さんって、諸刃の剣というか、もちろん気づきすぎて疲れてしまうことがあるかもしれないんですけど、逆に繊細な感覚を持っているからこそ、他の人が気づかない「良いもの」や「美しいもの」にも嬉しさや楽しさを感じることができます。
そういった嬉しいや楽しいといった感情は、そのままその人の人生の豊さにも直結します。
だからこそ余計に、「気づく」こと自体は、肯定することが大事なのです。
その上で、気づいたその事象や感情に対して、その事象や感情は本当なのか?と確認することが、自分の繊細さによって、自分が過剰に疲れてしまうことを避けるために必要です。
例えば、繊細さんにあるあるなのは、「求められていないのに助けてしまうこと」です。
繊細さんは、他人の疲れている兆候やSOSにいち早く気づきます。
ただ、手前で手を打ちすぎると、繊細さんの時間がいくらあっても足りなくなってしまうし、何よりその助けられる側の人にとっても、ちょっとしたピンチやストレスを、自分自身で克服していくスキルを身につける機会を失ってしまうことにもつながります。
だから、気づいても、まずは見守る。
相手を気にかけつつそばにいると、面白いことに、相手が自分からぽつりぽつりと悩みを話し始めます。
そして、ハッキリと言葉で「手伝って欲しい」や「アドバイスが欲しい」と言われたタイミングで、初めて手を差し伸べるのです。
あと、繊細さんは「自分の意見がない」と言われることもあるのですが、それは厳密には間違っていると、著者は述べます。
厳密に言うと、「意見がない」というよりも「意見を言わない」のです。
なぜか。
相手が「表面上は意見を求めつつも、実は同意を求めているだけ」の場面では、そのニーズに気づいてしまうからです。
多くの場合、「自分の意見がない」は勘違い。
「意見はあるけれど、相手のニーズに応えなければと思うあまり言えなくなっている」だけなのです。
ただ、繰り返しますが、その繊細さんの気づきも、いつも当たっているとは限りません。
むしろ、気づきがさらなる気づきや過剰な結びつけにつながり、その気づきから推測される状態や感情が、間違ってしまっていることも多々あるのです。
だから、自分のなかで気づいてしまったときも、「本当に相手はその状態なのかな」とか「本当にそのことを求めているのかな」とかってことを、再度冷静に考えたり、直接相手に確認してみたりすることが重要です。
そして、自分自身の感情や意見に対して、素直になる。
本の終盤、
たくましくなるとは、決して鈍感になるという意味ではありません
という言葉が出てくるのですが、「たくましくなる」という表現が、繊細さんが目指す方向性としてはけっこうピッタリと来るのではないかなと思いました。
ここから先は、ぼく自身の解釈も大幅に混じってくるところなのですが、まず繊細さんのいろんなものに気づく力は、そのままその人の特性として肯定する。
その上で、その繊細なセンサーで、(自分にとって)「繊細なままでいるところ」と「気づいた上で流すもの」を見極めていく。
そうすると自然と、少しずつ自分の周りには自分が繊細でありたいものだけが目に入ってきて、流すべきものは少しずつ流せるようになっていきます。
「あ、これは誰も気にしてないんだ。流していいんだ」って体験を積み重ねていく。
「気づかないようにする」ってなると難しいかもしれないですが、気づいた上であえて流す体験を積み重ねていくと、少しずつ繊細の対象にもグラデーションができていくようなイメージです。
正直、本を1冊読んで次の日からいきなり人生が変わる!ってことはないと思いますが、スタンスや考え方などの面で、今後の自分の引き出しになりそうなところがたくさんありました。
「気づきすぎて」疲れることがある人にとって、特にこの本やこのnoteが参考になることがあれば嬉しいです。
その「気づく」力、他の人には気づけないことにも気づける、とっても貴重な能力です。
最後まで読んでいただいて、ありがとうございます!!!すこしでも面白いなと思っていただければ「スキ」を押していただけると、よりうれしいです・・・!