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失敗して学ぶのは最適解か?

「若いうちはたくさん失敗した方がいい。」

20代の僕は、しばしば大人の方々からこのようなアドバイスをもらうことがあります。

悩み苦しみ、それでもなんとか行動したものの、再び悩む。そんなことを何度も何度も繰り返してきました。

思うように上手くはいかない。

そんな葛藤を抱えて相談すると、たくさん失敗してたくさん学ぶことで上手くいくコツを掴めていく、といったアドバイスをもらいます。

若いうち、特に社会に出たばかりの20代は、エネルギーとアイデアを武器にいろいろと行動するものの、理想と現実のギャップに苦しむことがあります。

孔子の『論語』の有名なフレーズ「子曰はく、吾十有五にして〜」には20代に関する記述はなく、「三十にして立つ」と30歳でやっと自立できるという教えがあります。

20代というこの時期、たくさん行動してたくさん失敗することで、多くのことを学んでいき、自立した落ち着きのある30代を迎えることができるのでしょう。

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とは言え、ここに一つの疑問があるのも事実です。

失敗をしなければ学びにはならないのか?」といったことです。

世の中には数えきれないほどの書籍があり、世の中を上手く振る舞うための教えは数多く残されています。それらから学び、自らの生き方へ適応することはできないのか。

たとえば、僕のようにネガティブ思考の強い人間は、一度何かで失敗すると大きく落ち込んでしまいます。

自暴自棄にもなりかねない気持ちが生まれ、自分で自分をコントロールすることに苦労してしまいます。だから、できれば失敗したくない。

史実から学ぶことで杞憂にならず、スマートに物事に取り組めるのではないか、ということです。

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「自由」についての壮大な哲学を展開した、イギリスの哲学者ジョン・スチュアート・ミルの『自由論』では、個人の自由は必ず守られるべきとしています。

個人の自由が社会の混乱を巻き起こすと言われた19世紀、他人に危害を加えなければ個人は自由であるべきだとミルは説いています。

個人の自由が規制されて社会が良くなることはなく、後の世代にも影響を及ぼし、結果的に人類全体が被害を受けます。

たとえば、自分の意見が正しいと思っていても、社会から少数派のレッテルを貼られ、異端だと認識されてしまうと、覆すのが難しくなってしまいます。

ここで、あらゆる意見については、可能性を十分に議論することが大切だとしています。

世界には処世術がたくさん残されていながら、その教えについて十分に議論をしていないから、なぜ多数派の意見が正しいのか理由がわからず、因果関係のみを盲目的に従ってしまっている、としています。

せっかくの教えも宝の持ち腐れになってしまい、個人の自由に反してしまいます。

少し文脈の方向性とは異なってしまうものの、世の中にたくさんある処世術を知り、なぜそれらが正しいのかを知ることの重要性について言及しています。

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もし時間が無限にあったら、僕はインプットにたくさん時間を割くのでしょう。

この1万年間で0.1%も変化していないと言われている人間がこれからの時代を生き抜くコツは、歴史を知ることだと思います。

とはいえ収入も必要だし、生きがいもなくなってしまうため、全ての時間をインプットには割けません。だから、少しずつ知識を蓄えていくしかありません。

結局のところ、学ぶことももちろん大切だけれど、行動を起こし、失敗して学ぶことも大切だと思っています。

この世にたくさん処世術はあるけれど、実際のところ、あまりにも数が膨大すぎて取捨選択をするにも、インプットをするにも限度があります。

できる範囲で処世術を学びながら、行動して失敗して学ぶ、これを繰り返すのがやはり良いのでしょう。

どっちつかずな結論にはなってしまいましたが、そういったことを思った日曜日の朝でした。


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それでは、また明日お会いしましょう!

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