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[異論はあるでしょうが、私の仕事論]vol.03

 前回も書き記しましたが(と言うにはだいぶ前ですが……)、僕は小さな出版社に勤めています。
 この業界、出口の見えない不況の最中で、町中の本屋は日に日に減り、そして出版社は売上が伸びないので、ひたすらヒット作をめざして本を出し続ける(しかも超スピーディーに)自転車操業の権化。そしてひたすら本屋の場所取り合戦を繰り広げています。今はコロナの影響が少しプラスに作用しているようですが、依然として出版業界は、見えない不況が続くと言えます。
 今回は、僕が仕事を通して(スキルとかテクニカルなことではなく)学んだことをちょっと思い出しながら、その転機となることを少し書いてみようと思います。仕事論というほどでもないけれど、仕事をしている人ならば、なんらかの出会いが必ずあって、それによって少し考えに化学反応が起きる……なんてことはあるのではないでしょうか。

人間関係はむずかしいを知る

 まず、今の仕事は、「制作部」という本の紙の手配や、印刷会社とのやりとり、他には読者向けのチラシやDM、書店向けのチラシやポップ、その他対外的な資料などなどを作ったりしています。この部署の前は編集部におり、雑誌の編集者をしていました。今回の話は、編集者時代のこと。
 今の会社は29歳の時に中途採用。20代の前半は、とある編集プロダクションにいた時期があり、それが採用の決め手になったようだった(編プロ後、20代の間は、映像制作やウェブ製作の仕事をしていたので、まあ体よくデジタル分野にも強いと思われていたのでしょう)。
 編集の仕事を数年した頃、雑誌の表紙を担当することになりました。要は雑誌の顔を担当するので、まあいろいろ心労はあり、出てくることは愚痴ばかりになりそうなので、詳しくは書きませんが、その表紙には、当然デザイナーがアートディレクションをしてくれるわけなので、基本的には、担当者は社内の表紙用のネームをまとめること、表紙用のイラスト(その雑誌は基本表紙は、イラストないし絵画が飾ることを基本方針としていました)を作家に描いてもらう。それで、集まった素材をデザイナーさんに送り、仕立ててもらうという流れでした。
 2010年当時のことなので、もうデジタルが印刷分野のほとんどを占めていたし、多くのデザイナーさんも同様でしたが、このお願いしているデザイナーさんは、完全なアナログ派の人でした。基本は連絡はFAXもしくは郵送のみ!ため息しか出ませんよ……。
 そういうデザイナーさんなので、聞けば当然、老齢なおじいさん。当時は(ま、今もだけど)デザインという仕事は好きだけど、有名デザイナーとか有名デザインだとか、そういう知識はあまりなくて、そのおじいさんがどんな人かは知りもしませんでした。そもそもそれを教えてくれなかった同僚にも責任はあると思うけど……。
 兎角、ぶっきらぼうで、柔軟性はない人なので決めたデザインは変えてくれない、気に入らないこちらのやり方には瞬時に苦言を呈し、若かりし自分は社内とデザイナーの狭間で、苦渋を飲まされた……そんな記憶しかありません。そして、機嫌がいいのか悪いのかわからないFAXの文面を注視しながら、「はぁ、はやく担当変わりたい」そんな思いばかりでした。

風前の灯

 そこから季節は移ろい秋。相変わらず、状況は変わらず、でもそのストレスにも慣れ始めたその頃から、たまにこのおじいさんに呼び出され、直接打ち合わせをするようになりました(気心が知れたと思ってもらえたのかも知れない)。白金にある高級なマンションロビーで、打ち合わせ……いや雑談を何回かする中で、この「おじいさん」は、いろいろ饒舌にお話をしてくれました。見た目は白髪の頑固ジジイ、Tシャツにスウェットでサンダル姿。職人気質な雰囲気がにじむような感じは、やはり緊張感があった。そのため、結局は雑談というより、独演会に近いものだった。でも、話はとてもおもしろかった。

「デザインっていうのは、人の好奇心のカケラの組み合わせだよ」

 彼の話した中で一番印象的な言葉。そして、「すべてが組み合わせで、その素材を見つけるための心血を注ぐんだ」と加えた。
 僕はある種の情熱と、それを冷ややかに見る他人感が、このおじいさんにはあるような気がした。話の折々に、輝かしい自身の功績を自慢を含ませながら語るかと思いきや、先ほどのような少しアイロニックのある言葉を投げつける。
 当初、この人は余生の楽しみのひとつに、うちと仕事してるのかななんて思っていた。たぶん当時で70代後半くらいだったわけで、穏やかに人生の終わりを迎えたいというのが常人だ。でも、なんというか、仕事に生きる、仕事にしか生きられない、そんな情念のようなものを僕は感じ取った。
 そんな中、ある日、そのおじいさんは、僕に1冊の本をくれた。
 開高健『一言半句の戦場』という書籍だった。

 もちろん僕でも読んだことのある著者だった。この本は、おじいさんのブックデザインだという話だった。
「これは君にやる。雑誌や本は、見た人があっと驚くことをたまに入れて変化させなきゃ消えてくよ。君んとこの雑誌は長く続いてるから、これからも当然続くと思うんじゃなくて、いつも新しく生み出す! という気持ちだよ」
 文字で起こすと、実にハッキリとした物言いに見えるが、実際はもっと弱々しい声色だった。そして最後に「期待してるよ」と珍しく笑顔を見せてくれた。

何が自分を支えてるんだろう……

 先ほどの話は2010年の秋のこと。その後の2011年の表紙は別のデザイナーに変わった。僕とそのおじいさんの会話はそれが最後となった。
 そしてその数年後、そのおじいさんは静かに息を引き取ったという(その報せが来たのは、亡くなってから少し時間が経ってからだ)。
 いつも結構大事なことは後から知る。
 このおじいさんのこと自体、当時は昔に名を馳せたちょっとした有名人だった人くらいに思っていた。没後2016年に、その方のことをまとめた1冊が出版された(いつか読もう読もうと思いながら、気がついたら流通が少ない本だったらしく未入手…)。

 なるほど、本当にすごい人だった。本の概要とレビューなどから読む限り、一時代を築いた人だった。「ミセス」「ハイファッション」「装苑」のアートディレクターを歴任だと!?

 後から知るという悲しみは後悔と同義だ。後悔先に立たずとは本当にそうで、かつなんて現金な人間なんだと自嘲した。だから、もう仕方がない。あのおじいさんの最後の言葉を鵜呑みにしておこう。

「継続とは変化の受容」

 これが、自分のベクトルとなる指針で、学んだことです。今も変わらない。地味でもなんでも変化は受け入れようと思っている。これって案外若い頃はできても年取ると難しいなと思うけれど、70後半のおじいさんに言われてできないとも思えない。
 ドラマティックな人生ではないけれど、「なんか背負ってんなオレ」みたいな時がたまにある。
 それは、人から知らずにうちに渡ってくるバトンのせいではないかな。言葉だったり、雰囲気だったり、やさしさ、厳しさ……etc
 押しつけられたものではなく、受け入れてしまったものとも言えるかもしれない。

 僕はもう編集者として仕事はしていないけれど、何かを誰かに伝えたいという気持ちは継続してある。後藤繁雄さんの著書に「僕たちは編集しながら生きている」という本がある。表題の通り、人生はその人の編集力にかかっているんだと思う。だからそこに継続と変化を持たせなければ……なんて思わされる。
 人生後半戦!
 そう思いながら、仕事に人生を巣食われないよう、自分の時間を持って自分だけの表現をしていきたいと思う今日この頃であります。

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