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関西外大で日本の伝統文化(能・歌舞伎ほか)を学ぶ。そこでの気づきと、得られたもの

こんにちは、学生広報スタッフの中谷日香梨(スペイン語学科3年)です!
突然ですが、皆さんは伝統芸能についてどのようなイメージを持っていますか? 


日本の伝統芸能には様々な種類があります。

雅楽・舞楽に始まり、能や狂言、歌舞伎、人形浄瑠璃など、時代と共に形態は変化しつつも、今日までその時代に生きた人々の文化が継承され続けられてきました。


そして、意外に感じるかもしれませんが、関西外大にもそうした日本の伝統文化について学ぶ授業が開講されています。

具体的には、日本の音楽・伝統芸能を中心とした日本の文化を学ぶ「日本学B 」という授業で、担当するのは2024 年4 月に開設する国際日本学科の井口はる菜先生(所属予定)です。


この記事では、私が「日本学B」で学んだことやこれまでの経験をもとに、「伝統とは何か」を考え、そして「受け継がれた伝統芸能を、今を生きる私たちが次世代にどう伝え続けていくのか」ということを考察してみました。


日本の「伝統文化」について考える

日本の伝統文化について考える前に、まずは「伝統」の意味について調べてみました。

伝統 
古くからの、しきたり・様式・傾向・思想・血筋など、有形無形の系統をうけ伝えること。また、うけついだ系統。

出典:コトバンク(精選版 日本国語大辞典)


伝統文化についても調べてみました。

こちらは、日本伝統文化振興機構(JTCO)からの引用です。

(前略)伝統文化、伝統工芸、伝統芸術などは、それまでの長い歴史の中で形成されたなかでも特に普遍的に重んじられてきたものであり、地域に根ざし地域社会の生活様式と共に伝承されてきたものを言います。それは祭事や神事、伝統芸能や風習・行事として地域文化として伝えられてきたものや、嘗ては日常生活の道具として使用されたものが、使用価値から美術的価値や工芸品的価値に形を変えてその技法は匠の技として継承・伝承されてきたものです。(攻略)

出典:日本伝統文化振興機構(JTCO)「伝統文化とは」

私が日本の文化について学びたいと思ったきっかけ

1年次に「日本語学概論」という授業で、非母語話者からの視点で日本語について学び、諸外国から見た日本の姿に興味を持ったことが、日本や日本の文化に興味をもつきっかけになりました。


具体的に「日本語学概論」では、小学校から習ってきた国語とは違い、

  • 日本語が母語ではない人が日本語を学ぶときに苦労するポイント

  • 方言の研究がどのように進められてきたのか

など幅広く「外国語の中の日本語」について主に学びました。

その中で「言語もその国が持つ、一つの文化なのだ」と考えるようになり、日本の文化について学べる「日本学」の授業にも興味を持ちました。


ちなみに、「日本学」の授業にはAとBがあり、「日本学A」では、

  • 伝統芸能

  • 日本庭園

  • 和食・和菓子

  • 日本人の宗教観

など、分野を限定せず幅広く日本文化に触れることができました。

その体験があったからこそ、「日本学B」にも興味を持ち、日本の伝統芸能・伝統音楽とい分野にも出会えたように思います。

伝統芸能は退屈で、面白くない!?

日本の小・中・高では、伝統芸能の団体鑑賞の機会が設けられています。

しかし、そうした機会を通じて児童や生徒の伝統芸能への理解や関心が高まるのかというと、必ずしもそうとは言えません。


私自身の体験談でいうと、高校生の時に人形浄瑠璃の舞台を鑑賞しました。

ただ、その時は「人形浄瑠璃を観に行く」とだけ伝えられただけで、

  • 人形浄瑠璃がどのようなものであるか

  • 人形浄瑠璃の歴史

といったことについての事前学習も、一切行われませんでした。


そして私自身も詳しく調べることもせず、音声ガイドを頼りに、なんとなく観に行っただけで終わっていました。

「なんかめっちゃ疲れたね」

これが人形浄瑠璃の鑑賞後に、友だちと言い合った感想です。

学校に戻ってきてからも、振り返りを行うような時間もほとんどありませんでした。今思えば、何のために観に行ったんだろうと、疑問と後悔だけが残ります。


「日本学B」で井口先生がおっしゃっていましたが、高校までに伝統芸能の団体鑑賞の機会があるのに、それが上手く活かされていない要因の一つに、引率する教員の方自身が伝統芸能・文化の知見がなく、その魅力を児童や生徒に伝えられないという問題があるのかもと思いました。

もしかしたら、先生たちも子ども時代から「伝統芸能は退屈で面白くない」と思い込んできたのかもしれません。


一方で、海外からの留学生のお話を聞いていると、みんな自国の文化や政治、歴史について誇りを持っており、日本との違いに衝撃を受けます。

そして、私は考えました。

  • 日本人の私たちにも同じことができるのか

  • 日本のことについて、どれだけ自分の言葉で伝えられるのか

と。伝統芸能を学ぶことは、その第一歩だと思っています。

日本語には伝統芸能が由来の言葉が多い

▲ 幕の内弁当の語源は歌舞伎⁉

授業で伝統芸能を学ぶ中で気づいたことがありました。
それは日本語には伝統芸能が由来の言葉がかなり多いということです。

例えば、

  • 打ち合わせ

  • 修羅場

  • 幕の内弁当

という言葉はどれも伝統芸能・伝統音楽と深く関係した意味を持っています。


それぞれ意味を確認してみましょう。

打ち合わせ
1 前もって相談すること。下相談。「仕事の打ち合わせをする」
2 衣服の、前身頃まえみごろの重なったりする部分。うちあい。「コートの打ち合わせが浅い」
3 雅楽で、打ち物だけの合奏

出典:コトバンク( デジタル大辞泉)

③の「雅楽で、打ち物だけの合奏」の「音合わせ」から転じて、現在私たちが使っている「前もって相談すること」という意味が派生しています。

修羅場
1 血みどろの激しい戦いや争いの行われる場所。しゅらじょう。「修羅場をくぐりぬける」
2 人形浄瑠璃・歌舞伎・講談などで、激しい戦いや争いの演じられる場面。

出典:コトバンク( デジタル大辞泉)

こちららは、人形浄瑠璃・歌舞伎・講談などの争いのシーンが語源となっています。


幕の内弁当 
俵形の握り飯とおかずとを詰め合わせた弁当。芝居の幕間まくあいに食べるものとして考案され、現在では最も一般的な弁当になっているもの。

出典:コトバンク( デジタル大辞泉)


このように普段何気に使っている言葉の中には、雅楽や歌舞伎などの伝統芸能の中で使われ、それが語源となっている言葉がたくさんあります。

気づいていないだけで、私たちが想像していた以上に、伝統芸能は私たちの生活と隣り合っている存在なのかもしれませんね。

伝統芸能のつくり手は演者だけではない!?

伝統芸能をつくっているのは、演者だけではないというお話もあり、印象に残っています。

例えば、歌舞伎などの伝統芸能には、

  • 大道具

  • 小道具

  • 衣裳

  • 床山

  • 楽屋番

  • 照明

など、演者が舞台に立つまでには多くの人が関わっています。

一方で人形浄瑠璃では、人形遣いの方々がご自身で人形や人形に着せる着物を作成しているのとのことで、その事実を知ったときにはとても驚きました。


また、演者や裏方の人々だけではなく、観客も「つくり手」の一人として機能し、特にそれが感じられたのが「歌舞伎」です。

歌舞伎では、劇中観客が即興的に掛け声を上げて盛り上がる場面があります。いわゆる「大向こう」のことです。

大向こうとは
歌舞伎の公演を盛り上げるために、「成田屋!」「中村屋!」などと客席から声をかける人のことを『大向こう(おおむこう)』と言います。今でいうアイドルへの“コール”のようなものでしょうか。元々は、贔屓の役者さんに向かっておのおの好き勝手に声をかけていたものが、段々洗練されて「演出の一つ」のようになっていきました。

出典:OFF TIMES - 明和地所「歌舞伎」


また、能では「能面で演者の表情がわからない」ということが象徴的ですが、物語の解釈のほとんどを鑑賞者の想像に委ねていると授業で教わりました。その意味では、能の舞台すべてが、観客とともに作られているという見方もできるのではないでしょうか。

役者や演奏者だけではなく、観客を巻き込んだ芸能なのだということを学び、古くから「観る人も一緒になって盛り上がるつくり手だ」と考えられていたことを知って、とても面白い!と感じました。

日本学を学んで感じた私の変化

「日本学A・B」の授業を通じて、日本の伝統文化全般に対する知識が増えました。

その中で、歌舞伎や能などへの興味、関心が高まったのはもちろん、それらの伝統文化と深く結びついている現代の文化(サブカルチャー含む)の見方も変わったように思います。


以下で、その事例を2つご紹介します!

能の演目が見事に取り入れられたドラマ『俺の家の話』

2021年1 月期にTBS テレビ系で放送された金曜ドラマ『俺の家の話』では、ホームドラマの中に能が取り入れられていました。

私はリアルタイムで『俺の家の話』を見ていましたが、その時はドラマのストーリーが単純に面白くて、伝統芸能がどうとかなど考えず、ただひたすらお腹を抱えて笑って見ていました。でも授業で能楽を学んだあとにもう一度見直すと、「別の面白さ」があることに気が付きました。


劇中で披露される能の演目と、ストーリーが非常にうまく絡められていたのです!

また演目とのリンクだけに限らず、その他の細かなところへのアプローチも見逃せません。例えば、主人公の観山寿一(長瀬智也)は能楽の後継者でありながら、プロレスラーの道を歩んでおり、覆面を被るマスクマンとして活躍しています。

このプロレスと能楽の共通点は少なくなく、

  • 能舞台とリングはどちらも観客に囲まれた四角い空間

  • 能役者は面を付け、プロレスラーも覆面付ける(主人公は覆面レスラー)

といったことをはじめ、作中でも言及されているように、どちらも「体幹が重要」で、舞台(リング)を通じて「生と死」に関わります。
(能楽は多くの作品で亡霊が出てくるのなど、生死を表現する芸術であり、プロレスは比喩的なところもありますが、ドラマでは実際に「死」という現実が出来します)


能の演目とのリンクでいうと、例えば兄弟、親子がテーマの回で「小袖曽我」が取り入れられていたのをはじめ、能の代表的な演目である「道成寺」や「高砂」などが本編のストーリーに絡められ、内容が見事にリンクしていました。

ここではドラマ最終盤で取り上げられた「隅田川」についてご紹介します。

隅田川
(1)能の曲目。角田川とも書く。四番目物。五流現行。シテは梅若丸の母(狂女)。人買にさらわれた愛児を尋ねて隅田川まで下った狂女が,わが子の墓前でそのまぼろしを見るという筋で,他の母子再会の狂女物に比べて哀傷深く,異例の悲劇的結末で終わる。近代劇的作風をもつ観世元雅の名作。

出典:コトバンク(百科事典マイペディア)


主人公の寿一が新春能楽会で舞う予定の「隅田川」の稽古に励んでいます。

この「隅田川」には、子どもが親より先に亡くなり亡霊となって現れ、母親が子を追い求めるという場面が出てきます。この場面の演出において、父であり師匠である観山寿三郎(西田敏行)が寿一に、以下のような話をします。

  • 演目のクライマックスに、子を喪った母の前にその亡霊が現れるが、観阿弥は亡霊役の子どもを出さずに演者の力量で亡霊を想像させるべきと唱えた

  • 一方で、世阿弥の息子で『隅田川』の作者である元雅は、子どもを登場させるべきだという

これを聞いた寿一は、「俺なら会いたいから出てくる」と言います。


『俺の家の話』のクライマックスで、寿一がプロレスの引退試合で亡くなってしまいます(寿一は伝統芸能を継ぐことを拒み、プロレスラーの道を歩んだ後、能の世界に戻ってくる。そしてプロレスの引退試合に臨む)。

寿一の死を受け入れられない寿三郎は、亡くなったはずの寿一と会話をします。その後、脳梗塞で舞台から離れていた寿三郎が、もう一度舞台に上がろうと努め、地謡として「隅田川」の舞台に上がります。

地謡(じうたい)
能には、シテやワキなどの登場人物が心情を語り発言する部分と、場面や情景が描写され劇の進行が語られる部分とがありますが、主として後者の部分を担当するのが「地謡」です。8人構成を基本とする一種のコーラスですが、全員が同じ高さで謡い、ハーモニーを形成することはありません。地謡は場面によって、情景の描写だけでなく、登場人物の内面や曲の内容に関わる逸話などを謡い分け、曲の展開に大きな役割を担っています。

出典:文化デジタルライブラリー

そして、舞台に上がった寿三郎の目の前に亡霊となった寿一が現れます。観阿弥と元雅の対話を話題にした際に、寿三郎に向かって寿一が「俺なら会いたいから出てくる」と言ったわけですが、まさにそれを実現したわけです。


一方で、亡霊となっている寿一が見えているのは寿三郎だけで、他の家族の目にその姿は映りません。

これは寿三郎が「隅田川」を演じているからという見方もできますが、認知症を患っている寿三郎(提示された野菜の名前も上手く言えない姿などが描かれている)が、半醒半睡の状態にいることも暗示されているように思います(老人介護もドラマのテーマの一つになっている)。


ここで紹介したのドラマと能のつながりはほんの一部ですが、「日本学B」で能について学んだことで、少なからず台本の中に組み込まれた「仕掛け」に着目でき、気づいたことでより深く、楽しくドラマを鑑賞できました。

もちろん、最初に視聴したときの私がそうだったように、能楽の知識がなくても『俺の家の話』は楽しむことができますが、「能なんて興味がない」と思っている伝統芸能に一番遠いところで生きている人たちにも、「能ってこんな感じなの?」と面白い発見があって、現代で生きる私たちに響くものもたくさんあるドラマなので、是非お勧めしたいです。

Check Point!
プロレスと能とでは文化も歴史も異なる全く別の舞台ですが、「プロレスの中に能、能の中にプロレス」という二つの要素が混じり合い、まるで一つの舞台でパフォーマンスされているんじゃないかと錯覚する場面は、見どころの一つだと感じました。

今までにない能に挑戦!「コロナ禍で生まれた新能舞台」

テレビ大阪で放送された「コロナ禍で誕生!伝統『能舞台』に新風 ~新作能 媽祖 独占密着!」という特集を視聴する機会がありました。

同番組では、新作能「媽祖」(まそ)の原作を手掛ける作家の玉岡かおるさんと、今までにない能面づくりに挑戦する能面打の見市泰男さんについて紹介されています。


玉岡さんは、2014 年にテレビドラマ化された『お家さん』をはじめ、女性が主人公の多くの小説を生み出した人気作家です。

玉岡 かおる
作家。大阪芸術大学教授。神戸女学院大学卒業。平成元年、神戸文学賞受賞作『夢食い魚のブルー・グッドバイ』(新潮社)で文壇デビュー、15万部のベストセラーとなる。『天平の女帝 孝謙称徳』(新潮社)、『虹つどうべし 別所長治ご無念おとめ御留』(幻冬舎)など年に1冊のペースで作品を送り出し、著書多数。第25回織田作之助賞受賞した『お家さん』(新潮社)は舞台化(主演・竹下恵子)、TVドラマ化(主演・天海祐希)された。

出典:小説家玉岡かおる 公式サイト「プロフィール」

玉岡さんが手がけた新作能「媽祖」の主役は海の女神です。

同番組とは別の対談で、玉岡さんは、新作能の舞台となった当時(天平時代)とコロナ禍の今が重なる部分があるとおっしゃっています。

いわく、

天平時代っていうと優雅な時代と思われていますけど、謀反で戦乱はあるし、戦乱が起きると孤児や戦争未亡人、小児軍人とかも出てきて、国民が傷ついている。さらに飢饉があったり、疫病がやっぱり流行ってたんですよね。称徳天皇のおじさんにあたる藤原四兄弟という光明皇后のお兄さんたちがバタバタ死んだというのがあって…。そういうのを収めるのが天皇のお仕事だったんですね。

出典:「片山九郎右衛門 × 玉岡かおる 新作能〈媽祖〉について語る

そんな中、人々がすがったのが神の存在で、「媽祖」もその対象の一つだったわけです。日照り、疫病、盗賊などから住民を守護する「媽祖」の存在は、人々にとっては救いの神、まさに女神だったのでしょう。

そうした天平の世と、コロナ禍の先の見えない閉塞感を重ね合わせ、制作に取り組まれたのが新作能「媽祖」というわけです。


そして、能の演目に不可欠な能面に関しても、新作能にあわせて能面打の見市泰男さんによって進められます。

能面にはさまざまな種類があり、女面だけでも小面(こおもて)、万眉(まんび)、若女(わかおんな)など複数の面が存在します。


新作能で「媽祖」を演じた片山九郎右衛門さんは、

  • 「近江女」は不安・期待を感じる顔でイメージをつくるには最適

  • 「節木増」は女神となる強さがあり、女神となるとこれぐらいの強さがないと…

といったコメントを番組内の玉岡さんとの対談で語っています。

近江女
〘名〙 能面の一つ。若い女の美しさを表現しているが、妖麗な感じがつよい。女面。

出典:コトバンク(精選版 日本国語大辞)

節木増(ふきしぞう)
宝生流の名物面で、鼻の付け根に節があることからこの名がある。 若い女性の役に用いられる。

出典:金沢能楽会「能楽をさらに詳しく知る」

女性の若々しい美しさと、女神の力強さ。この相反する2つの要素を表す、「能面『近江女』の柔らかさと『節木増』の気高さの両方を併せ持った唯一の能面」づくりに、見市さんが挑戦するところまでがドキュメンタリーでは放映されていました。

女性の二つの顔を能面で表現するという発想は、玉岡さんのつくる女性が今までのどの能楽に登場する女性にも重ならない、新しい女性像であったから生まれたのだと思います。


私はこの作品について知ることで、「伝統」というものは単に「過去」のものとして存在するのではなく、今の私たちの生活にも深くつながっていることを改めて実感しました。

私たちが知らない遠く離れた時代と、私たちが今生きている時代との「つながり」を見つけることで、伝統芸能は何百年たっても色褪せない伝統文化になっていくんだなと、そんなことを考えさせられました。

さいごに

この記事では、日本の音楽・伝統芸能を中心とした日本の文化を学ぶ「日本学B 」で学んだことをご紹介するとともに、それらの経験を通じて「伝統」ということについて、私なりに考えてみました。

伝統とは「古くから伝わって来たもの」というイメージがありますが、実はそれだけではありません。

ただ伝えられてきたものの形を全く変えずにそのまま次の世代に残していくものではなく、伝えられてきたものを人々がどのような形で残したいのかを考えることで、伝統文化とは日々形を変え、時代とともに変化していくのです。

つまり、今を生きる私たちも伝統をつくる一人だということです。


私はもともと、

  • 外国語を学びたい

  • せっかく大学で取り組むなら、英語だけじゃなくてスペイン語も学びたい

という気持ちが強く、関西外大のスペイン語学科を志望しました。


入学後、専門分野を学んでいく中で、「英単語を覚える」「会話を通じてコミュニケーションをする」という語学学習とは別に、言語を学ぶことで見えてくるその国の文化や歴史そのものに面白さを感じるようになりました。

特に日本語は普段当たり前のように使っているので、意識しないとその面白さに気がつきません。「日本語学」の授業で外国語から見た日本語について学んでいなければきっと、「日本学」に出会うこともなかったと思います。

そして、そうした伝統文化について学ぶ私たち一人ひとりが「伝統文化の担い手」でもあるわけです。


新しくできる国際日本学科では、日本語を含む、日本の文化について幅広く学び、それを世界に向かって発信していく学科だと聞きました。

学びを通じて、きっと「誰かに伝えたい日本の魅力」が見つかるはずです。その魅力を、外大で磨いた語学力でぜひ世界に届けてください!


【国際日本学科・特設サイト】

【この記事を書いた人】 学生広報スタッフ 中谷 日香梨(スペイン語学科3年)
中学1年生のときにアメリカでの2週間のホームステイを経験し、外国語に興味を持つ。英語やスペイン語を学ぶなかで、「ことばの意味にはそれぞれその国の文化・歴史的背景が大きく関係している」ということに気付き、現在は言語コースを専攻している。

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