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【感想】行く春や永遠は身の内にあり【映画ドンブラザーズVSゼンカイジャー】

ドンゼンを見てきたぞ~!!!!

めちゃくちゃ良かったんですけど、めちゃくちゃ良かったが故に、情緒がめちゃくちゃになりました。日常生活を送れる脳のキャパシティを確保するために感想を吐き出しておこうと思います。助けてくれ〜!!

※大変申し訳ありませんが、めちゃくちゃになっている原因がドンの方なので、今回はドンパートの話をします。ご了承ください。

いやゼンパートもめっちゃ良かった……みんな愛おしい……ちゃんとドンゼンしてる(?)パートもよかったね……カラフルとどんぶら、介人がつながるシーンは鳥肌立っちゃったし、最後の「お友達」と「お供たち」のくだりは、ああこの2つの戦隊が並んでいて良かったなって感無量でしたね。乱戦パートがあまりに良かったので、もっと混ざったやつもみてみたいという気持ちもなくはないけど、別々にきっちり新作エピを描かれたせいでこれだけめちゃくちゃになれているわけなのでこれはこれでアリということで……



「めでたしめでたし」のその後、という感じだった。

人生は続いてしまう。楽しいパーティーの描写で終わる物語も、クランクアップの後には片付けがある。いい雰囲気になっても現実は暗転してくれない。2人はいつまでも幸せに暮らしましたと締められたシンデレラも、たぶん靴下を裏返したまま洗濯に出すなとかでちょっと揉めたりするんですよきっと。

実際のところ、めでたしの後で何が起きるかなんて分からない。めでたいままでいられるかも分からない。環境がひとつ変われば人の心なんて簡単に移り変わる。

ドンブラザーズは、そこまで全部やる。


ヒーロー活動がルーティンになり、他に興味のあることもでき、それが十全に叶う環境がある状況になったら、人の心なんて変わらずにはいられない。同時に仕事や生活をしたり、人間関係のしがらみも維持していかなければいけないし。いや、心自体が変わるというよりは、1人の人間に元々あった数多の側面のどれが表に出るかが変わる、という話なのだと思う。誰だってそう。サークルとかバンドとかボランティアとかもそういうとこあるよね。どんなに熱い志で始めても、惰性と不協和音の時期はやってくる。

そういうのを、ちゃんとやる。なぜならドンブラザーズは「人間ってマジしょーもないけど、そういうとこって可愛いじゃん?」をやる番組なので。

だから、そうだよなァ……そんなもんだよなァ……としみじみしながら見ていた。元々彼らは同じ店に居合わせたような、そんな袖が触れ合っただけの人たちだったのだから。そんなもんである。

そういうしょんぼり(作品に対するしょんぼりではなく、作品演出のフリに全力で応えたしょんぼり)パートでも、「めでたし」の後として見たかった発見はたくさんあった。

個人的には雉夏犬2の4人のやりとりが見られたのはかなり嬉しかった。特に雉野は、社長パートはマジでしょーもない(もはや安心感があるほどしょーもない)のだが、夏美とはみほちゃんとちょっと違う距離感で向き合っていて、犬塚とは友人として付き合い続けている、という描写がすごく良かった。犬塚が、地に足を付けた生活をしないとと自分に言い聞かせるのも。当たり前ではあるが、簡単にちゃぶ台返されない、50話で確かに積み上がっている何かがある。

それから、実力で栄光を手にしているはるかと、安定の雉野に比べると、猿原教授は少し目が死んでいるような気がするところもかなり染みてしまった。野の花は鉢植えにしてはいけないね……俳句というアイデンティティも見失っちゃって……「はなたかえれじい」なんかを見ると、彼だって調子こきであることは確かなのだけれど、今回の彼が纏う雰囲気はどちらかと言うと、未来の“しんちゃん”に近いように思えた。

本編の猿原は、桃井タロウはいかに生きるべきか、というでっかい縦軸を担当していたキャラクターだった。タロウがいなくなった時、彼のやるべきことも一旦リセットされてしまう。そこではるかの物語を生きることを選ぶと、「しんちゃん」が形成されるのかもしれない。あんなに1人でフリーダムに生きているように見えるし、本人もわりと野心家なのに、誰かに寄り添っているのが一番性に合っているのが猿原真一という人なのだろうなと思う。そんな感想が映画で補強されてしまった。

人間は変わりゆく。そんな中で変わらない、変われないのが人外たちだった。

タロウとジロウ、そして脳人、特にソノザはずっと、人間たちに「どうして?」と言い続けていた気がする。人間たちの心の機微と少し違う理屈で動いている彼らは困惑し続けていた。タロウはずっと寂しい目をしていたし、ジロウもなぜこうなってしまったのかずっとわからないままだった。人間に近づいたはずの脳人たちも根っこは変わらず、ソノイは去り、ソノザは苛立ち、浮かれたソノニちゃんですら不安だった。そういう分かり合えなさが、本編以上に際立っていた。

そう強く感じたのは、我々視聴者が、どちらにも共感できたからかもしれない。我々は欲にまみれ愛を知る愚かな人間なので、すぐ心変わりする。しかし、作中の彼らが1年を過ごしたのに対し、視聴者が過ごしたのはたったの2か月だ。流石にまだ心変われない。50話を見たわっくわくの気持ちで見に来ている。そのため、はるかや犬塚たちに、そりゃしかたないよな~という理解はしつつも、感情的にはなんでだよ〜!とソノザやタロウに近いところにいた。心が忙しい。

今回のジロウのアレ(アレ?)を見ていて思ったのは、結局ジロウもタロウも、目の前の人間がより良くなるためのものを、人間のこころを理解しないままに与える節があるという点に関しては同じなのではないかということ。アレが完全に間違っていましたかというと、間違っているわけではないと思うので……ドン家の思考回路というやつなのかもしれない。ドン家が作るものって獣人システムも桃井タロウヒーロー休暇システムもドンキラーも、人間から見ると人のこころなさすぎ案件が多すぎるので、根っこがそうなんでしょう。

ドンブラの面白さって、この絶妙な分かり合えなさにもあったなぁと思う。人の心がいまいち分からない生き物が、人の心の良いとこも悪いとこも持ちすぎている人間たちと、分かり合おうとして、でもやっぱり分からなくて、それでも少しは変わったり、分からないなりにうまくやる方法を見つけたりして、どうにかこうにか生きていく。そのけなげさにほっこりしたかと思えば、さよならタロウのソノイやけっとうマジマジのタロウみたいな、別の思考回路を持った生き物であることを急に見せつけられて背筋が凍ったりもして。そういうバランスや緩急、愛嬌やままならなさが好きだったんだな私は……ということを再確認した。

この映画がめちゃくちゃハチャメチャであったかというと、私はそうは思わなくて、むしろかなり整理されていたように感じた。そりゃすでにある程度の結論が出ているものの続きを、短い尺で広げて畳まないといけないんだからそりゃそうなんだけど、50話走ってきた人間に染み渡るタイプのディティールとゴールが明確に用意されていて、素直に楽しかったし、嬉しかった。そこだけでおつりが来るなと思えるほどかっこいいタロウのアバターチェンジや、喪服でサングラスを受け取る4人とかいう最高にかっこいい絵面も良すぎる。犬塚とソノニがカスのボニー&クライドに戻るところとか、そうだよ私が見たかったのはこの勢いだよ~!!!!と手を叩きたい気持ちだった。ありがとう…ありがとうドンブラザーズ……



それから、ソノイの話をしなければならない。

※ここから先、文章が揺れますので吊革におつかまりください。

私は最終回後に、「他の誰かだったかもしれないソノイのポジションに座った人が、他ならぬソノイで本当に良かった。ドンゼン映画でもきっとソノイはソノイらしいのだろう」という、ソノイという文字がゲシュタルト崩壊しそうな長文を書きました。

………………その通り………だったね……………ッ!


ソノイは最期までめちゃくちゃソノイだった。そうですよね、貴方はそういう人でしたよね、というのを再確認した。

ソノイは自分で選んだ、自分がやりたいことをして、人を幸せにすることの幸せを知った。彼は戦士を辞めて、本当に穏やかな日々を手に入れた

なんかいいなと思ったのは、ソノイはタロウが好きだけれど、タロウが傍にいなくてもそれなりに幸せに暮らすことはできるってこと。はるかが最終回で再会したことや、映画での各メンバーのリアクション具合から推察するんですが、8人はタロウがシロウサギ宅配便という新しい場所でヒーロー休暇中の暮らしをしっかり営んでいることを知っていたと思うんですよね。ソノイは、タロウが自分と関わりないところで元気にやってることさえ知ってれば、自分も自分なりに幸せに過ごすことができるんだな。

だから、彼に会うことができて、それが喪われたとき、迷わなかった。


なんていうか……私としては、思ったよりこの結末に対して自分の心が凪だったことに自分でも驚いていて……

だってなんか……あれ以上ってないじゃんか……


ソノイはずっと立場とか掟とか誇りとか自分の信条とかに振り回されて人生しっちゃかめっちゃかにしてきた。でもここへ来て、ついにドンブラザーズでもなくなって、本当に自分の幸福を考えられるようになった。そうして、ただのおでん屋の主人としてタロウに向き合うことができた。

そういう、何にも屈折しなくて良くなった感情がこちらですというのを見せつけられたら、もう何にも言えないよ。やっと好きにできるようになったんだし、好きにしてほしい。それが貴方のハッピーエンドだ。

そんなわけで、ソノイの幕引き自体に対してはけっこう穏やかなんです。私の心は。幼少期に仮面ライダー龍騎で特撮デビューを果たした人間なのでそういう耐性もばっちりありますし。

でもさぁ……この映画はお供がああなったことにより桃井タロウがソノイに向ける笑顔が特別であることもしっかり浮き彫りにしてしまっており……アレ、もう見られないんですか?タロウの貴重な居場所の1つだったじゃないですか!!奪われて、叩き起こされて、また奪われて、この世界ってあまりにもタロウに過酷じゃないですか???でもきっとタロウはそれを運命として受け入れるんでしょう?そういうとこが好き!でもさ!!!!!私は理不尽で無常なこの作品の世界観が大好きですけれど、タロウを愛するオタクとしての私は暴れ野郎になってしまう。

だからもうこの件に関しては、ただただ自分の心をなだめるための捉え方をしようと思います。

出されたものは全部口にしてしまうような(今回も明らかに不審なラーメンを食べようとしてておいおいと思った)つながりに飢えたタロウを、深く愛した誰かがいたということが、タロウの中に残ってほしいと思う。ソノイがしたことをタロウがどう受け止めたのかというのは今のところ描かれていないので、そこを我々が知ることができないのは悔しいところではある。でも、ちゃんと伝わったと私は思うんですよね。

タロウが認識できる"愛"って、「美味しいご飯を作ってあげる」「自分のケーキの1つきりのいちごをあげる」みたいなことなんだから。

この映画、全体を通してマスターがかなり良い役回りをしていたと感じた。タロウを起こして、パーティーを用意してくれた。解散パーティーも開いてくれようとした。ひとりぼっちに戻ったタロウにずっと優しかった。もしかしたらトゥルーヒーローは、ヒーローを守ってくれる存在なのかもしれない。永遠にヒーローでありつづけるもの。ヒーローにとっての神様。そういう概念。

ソノイもまた、タロウにとってのトゥルーヒーローの仲間入りをしたのであればいいと思う。それがあれば戦っていけるような、生きていけるような、杖になる何か。古今東西の詩で歌われてきたそれ。心臓の音?ピングドラム?これはもうただの50話分付き合ってきたオタクの祈りです。どうしようもなく不器用なまま、これからもヒーローであり続けることが定まっているタロウに、そういうものがあってくれないだろうか。彼が最期に贈ったのはそういう何かであったと思いたい。きっとそうだ。


あと、これはドンブラなので!!!これから先何があるか分からないし!!!!!うん!!!!!



……よし、だいぶ落ち着いてきました……ここまでお付き合いいただいた方、ありがとうございました。すみません……

ドンブラが終わってしまうことが本当にさみしい。でも私も弱い人間なので、そのうちにこのさみしさも通り過ぎていってしまうのかもしれないな。いつかくるそのときまではこのさみしさをしがんでいたい。そういう気持ちでいます。あとなんかまだいろいろ展開があるっぽいし……帰ってないのに帰ってくる気でいるのほんとおもろい……ありがとう、ドンブラザーズ……



今日はここまで。ありがとうございました。

本編感想はこっち。


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