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来年はちがうことで悩んでる。

パンダはいいな、悩みなんかなさそうで。パンダはいいな、みんなにチヤホヤされて。パンダはいいな、笹を食べるだけで歓声があがって。パンダはいいよ、白と黒で。ああ、いいな、パンダ、ぶっ飛ばしたいなぁ。

と、妻が言う。

妻には悩みなんてない。私にも悩みがない。いや、小さな悩みはある。思ったように時間が作れないなあ、とかそういうこと。

いまからちょうど1年前に、何を考えていたのかはすっかり忘れてしまった。全然思い出せない。何に喜びを感じて、何に悩み、何にストレスを感じていたのか、よく思い出せない。


noteは書いていたから、楽しかったとは思うし、ちょうどnoteのお友だちができたころだったから喜びに満ち満ちだったような気もするけれど、とにかく何に悩んでいたのか、とかそういうことは覚えていない。


自分の世界ではこうだけど、他人の世界ではそうもいかなさそうだ。1年、2年、3年とずっと同じような悩みを抱えて生きる方もいると聞く。

大変だろうなぁ。長年の悩みのタネというのはたいてい、自分の心の持ち方だけではどうにもならないことが原因だ。つまりは環境要因。


家族、住まい、仕事場。たぶんこれしかないんじゃないか。長年の悩みのタネって、ほぼこれしかなさそうだ。


仕事場でいうと、24歳のころの職場はイヤだった。早く仕事が終わらないかなと思っていたし、お昼休みは誰とも話したくなかったし、日曜夜が憂鬱だった。死んだサバのような顔をしていたと思う。パクパクと。


もひとつ仕事でいうと、27歳のころの職場もイヤだった。というか上司がイヤだった。上司からくる仕事のチャットを見るのがいやで、胃がキリキリした。もっといい言い方はできんのか? と思って、とにかくスマホを開きたくなかった。上司が私に背中を向けているときに、何度も白目で中指を立てたものだ。


幸い、家族や住まいに関しての悩みはない。職場も変わった。なんなら仕事を作った。

いまは上司がいない。間違いを指摘してくる嫌味な上司がいない。私がなにか正しくない行いをしたときに、それを正してくれる導き手がいない。「私の経験ではね」と前例を教えてくれるカスみたいな上司もいない。


これは問題だ。


悩みはないと書いたけれど、いまはこの、上司がいない、つまりは導き手がいない、というのが悩みな気がする。と、言うものの、私の周りにはたくさんのデキた大人たちがいるので、困ってはいない。悩み、解決。


きっと来年はちがうことで悩んでいるだろうし、明日も翌月もちがうことで悩んでいることと思う。

これで来年も同じことを言っていたら、何も進歩していないということなので、そのときは自分に中指でも立てようと思う。


〈あとがき〉
師匠がほしいなぁと思ってるんですよね。しかも業界を同じくするような師匠。でも、いそうでいないんです。そもそも探してないから見つからないっていう可能性ももちろんありますね。今日も最後までありがとうございました。

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