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銀の爪切り。

妻の手はとても美しい。指はスラっと長く伸びていて、爪の先はいつも綺麗に整えられている。いつもピンク色の爪切りを使って、爪の先の白い部分が見えなくなるまで短く切り、最後はヤスリで磨いてピカピカにしている。

「爪にはね、品性が宿るのよ」

妻はそう言って爪を切る。爪の先の白い部分が完全に見えなくなるまで切る。この習慣は当時の私にはなかったので、そんな妻を見習い、私も同じように爪を整えるようになった。結婚した当初のことだから、もう4年になる。


たしかに爪の白い部分が見えなくなるほどに爪を切ると、なんだか見た目にいい気がする。仕事で出会う「お、この人は」と思う大人物の爪も観察するようになる。

「爪にはね、人生も宿るのよ」

妻の言うとおり、大人物たちの爪も、白い部分が見えない。美しく整えられている。


「今日、こんな人に会ってね、その人も爪が綺麗だったよ」

家に帰ってそんな話を妻にすると「そうでしょ、そうでしょ」と言う。神は細部に宿るというけれど、神は爪の先に宿る、と言い換えてもいいかもしれない。

そんなことを話しながら、ふと自分の手の先を見ると、爪がすこし伸びていることに気づく。妻に自分の指先をお化けのように出しながら聞いてみる。

「ねぇ、この爪はどう? もう切ったほうがいいかな?」

「うん、それは今すぐ切って。逆に商談先の人がその爪で現れたらどう?」


こういう定期的な会話をもう4年している。爪を切るとき、私はベッドの脇にある、木でできた収納棚をあける。この棚は、ひとり暮らしを始めたときに中古品店で一目惚れして買った、大好きなデザインの収納棚だ。引き出しは3段あり、棚の天板にはランプと本が置いてある。寝る前はオレンジ色の光の中で本を読む。



結婚して数ヶ月のころ、いま書いたような爪を切る切らないジャッジを妻にしてもらって、爪を切ることにした。お気に入りの小棚の引き出しを「爪切りはここにあったかな」とひく。

ガラッとひくと、その中には使えなくなった昔のパスポートや免許証が入っていて、いつも使う爪切りもその中に入っている。

爪切り。

私がいつも使う爪切りは、よくある一般的な爪切りで、色は銀色と黒。少しだけ汚れが目立つ。年代物の爪切りなのだが、高価なブランド物の爪切りではない。

妻の前で爪を切ると「パチッ、パチッ」っと音が鳴る。妻からすればその音が気にいらないらしい。

「ちょっとその爪切り、切れが悪いんじゃない? 替えたら?」

「いや、この爪切りは一生替えられないよ」と言うと妻は「?」という顔をしていた。



この爪切りはかれこれ、10年使っている。亡くなったひいおばあちゃんからもらった爪切りだ。



10年前、ひいおばあちゃんがもう長くないと知った。毎日のようにひいおばあちゃんが入院する病院に通っては励ました。

ある日、お花を持ってお見舞いに行くと、ひいおばあちゃんは寝たままで、私はベッドの横にイスを置いて、今日のできごとを話した。大学に行ってもつまらない、でもばあちゃんがいつ元気になってもいいように、札幌を離れるつもりはないよと言うと、ひいおばあちゃんは喜んでいたような。

病院のベッドに横たわるひいおばあちゃんの脇には、無機質な白い収納棚が置かれていて、その天板の上にポツと置いてあったのが、この銀の爪切りだ。


「ばあちゃん、この爪切りはいつから使ってるの?」と聞くと、ひいおばあちゃんは「さかえさんが使ってたんだ」と教えてくれた。栄さんは私のひいおじいちゃんだ。ひいおじいちゃんと私は血のつながりがない。私の本当のひいおじいちゃんは沖縄で戦死していて、栄さんは戦後に再婚した旦那さんだと聞いていた。

本当のひいおじいちゃんには会ったことがない。ひいおばあちゃんの寝室に飾ってあった写真でしか顔を知らない。軍服姿をしていて、無表情でこちらを見ている写真。やけに端正な顔立ちをしていて、それが子ども心に怖かった。

ひいおばあちゃんは信心深い仏教徒で、元気なころはいつも17時になると、寝室で木魚を叩いてなにか念仏を唱えていた。私たちひ孫は、ひいおばあちゃんの毎日の習慣を、いつも後ろに立って眺めていた記憶がある。ばあちゃんが誰に何を祈っていたのかは、ついぞ知らない。


「この爪切りは栄さんが使ってたんだ」と言っていたけれど、この栄さんとの思い出ももちろんある。まだ70代くらいのひいおばあちゃんと栄さんがニコニコしているヒザのうえに、1才の私がブスッとした顔で写っている写真が実家にある。

本当のひいおじいちゃんは知らないけれど、こっちのひいおじいちゃんだって、血のつながらない私のことを愛してくれた。


ひいおばあちゃんが亡くなってから、私はこの銀の爪切りをもらうことになる。形見だ。



「だからね、これは一生替えられないんだ」と妻に言うと、妻は「そうね」と静かに笑う。


……



爪には。


爪には品性が宿る。


爪にはね、人生も宿るんだよ。


〈あとがき〉
爪以外にも品性が宿る部位はあることでしょう。私の爪切りは、ずっと変わらないので、ここに書ききれなかった思い出を、いつか生まれてくる子どもにも話してあげたいものです。本当は100円ショップの爪切りとかのほうが切れがいいんでしょうけれど、ずっとこのままでいいと思っています。今日も最後までありがとうございました。

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