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ママが作る朝ごはんを楽しみに待つ元カノ。

現在33歳の私だが、23歳までは「食」に対して全くこだわりを持たない人生であった。

もちろん母は栄養バランスのいい食事を提供するように心がけていたと思うし、小さなころは出てくる料理、出てくる料理が好きだったと思う。

栄養士だったかなんかの勉強をしている母を見て、子ども心に私たち兄妹の成長を考えてくれているのだなぁ、と感じたものである。長男としてね。


が、母の料理が我も忘れるほどに熱狂的に好きだったか? と問われると、これはクエスチョン。たとえば夜も眠れなくなるほどに明日の料理が楽しみだったかというと、そうではなかった。誰だってそうだと思う。


当たり前のものに対するありがたみなんて、酸素に感謝することがないように感じないものだ。


ところが、この私の過去のnoteに再三出てきて、いまだにネタにされるような素晴らしい元カノは少し考えが違ったように思う。


10年前のある日に彼女と「睡眠」について話していたのだが、彼女が言うには「夜になったら、とにかく早く眠りたい」ということで。その理由を尋ねてみると「翌朝のママの朝ごはんを早く食べたいから」だと言う。


「ママの朝ごはん、何が出てくるか分からないから楽しみすぎて早く眠りたい」


どんだけ美味しいだ? フランツ・カフカを愛読するような素晴らしい元カノだ。この彼女以降、いまだかつて「ママの翌朝の朝ごはんが楽しみで早く眠りたい」と豪語する人には男女の違いなく会ったことがない。


この話を聞いた当時23歳の私が感じたのは「なんかすげぇ」であり、それ以降、朝昼晩を問わず「食べること」を少しだけ真剣に考えるきっかけになった気がする。


だって人間は食べ物で出来ている。



レストランや居酒屋では、大量消費の中で、できるだけ何も考えず労力をかけずに調理された食材が提供される。それを「うわ、これ美味いな」と言ってありがたがって食べる。

その一方で親から提供される食べ物はどうか。

愛する我が子の成長と健康を思い、時に手を抜くことがあるかもしれないけれども、親が作る食事というのは、その根底に我が子の健やかなる成長の願望を込めたある種の希望のかたまり。


当時の彼女は、ママの朝ご飯を食べるために一刻も早く眠りたいし、そう思える自分の幸福度の高さをよく話してくれた。



その影響かどうかは明言を避けたいが、33歳となった今、毎晩妻が作るご飯が楽しみで仕方がない。疲れて帰った夜、どんな料理が提供されるのだろうかと楽しみで家に帰るわけだ。

全ての奥様がそうだとは言わないが、妻は私の好みの味付けの料理をいつも出してくれる。私が食べるたびにその反応を見て、翌日の味付けをチューニングしてくれる。

いやいや、それはねイトーさん、奥さんが専業主婦だからそういうことができるんですよ。

という手厳しいご意見も否定するつもりはない。私は夫として妻から提供されるご飯をただ食べるだけの人間であるから、何も言えない。


が、先ほども書いたとおり、人間は食べ物でできている。これは間違いない。


なんらかの感情のこもった料理を食べ、それを作ってくれた誰かに感謝をし、そう思った経緯がどうであれ、食事が楽しみだと言えるような人間でありたいものだ。


自分のため「だけ」に作られたであろうその食事。既婚者でも独身でもなんでも構わない。


食べることは生きる上での必要不可欠の、至上のよろこびであるのだから、文字通り噛み締めながら食を楽しみたいものである。


〈あとがき〉
妻が提供してくれる食事の素晴らしさは過去の音声配信で話したような気がします。要はただ食べるだけの立場であるならば、その背景や思いに思考を寄せて、とにかく美味しそうに食べることが家庭円満の秘訣なのかもしれません。うーん、ちょっと違うかもしれませんがね。今日も最後までありがとうございました。

【告知】音声配信は明日の15時からです!

これ誰ですかぁ!

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