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わたしのはなし:ちいさいころの言葉たち


母が思い出したように思い出を思い語る時、よく語られるわたしが居る。

昔お付き合いした人に話しを始めた時には、さすがに恥ずかしさの絶頂まで行くしかなかったが、今ではそれを語る母の優しい顔が好きだ。今ではわたしから話すくらいに、思い出のわたしと今の私の距離が広がる程によく歳をとったのだと思う。
ふと思い出したこどもの頃の言葉をまとめてみようと思う。


んがんが


小さいこどものオノマトペ
動物の鳴き声は

猫はニャーニャー
犬はワンワン
鶏はコケコッコー

と記憶している。
わたしが、おしゃべりするようになったのは、1歳半と割と早いほうだった。

小さなわたしが指をさしたその先には
猫がいたそうだが、わたしの発した言葉は母の、予想したそれとは違っていた。
力んだような激しいスタッカートで
「ンガンガッ!」
と言ったらしい。
可愛い“ニャーニャー”や“ニャンニャ”を予測していた母は面くらい、「ンガンガッ!」と猫を指さす我が子よりも人目が気になり少し恥ずかしい思いをしたようだった。

その話を初めて聞いた時、「ンガンガッ!」って一体?!と爆笑すると同時に、そのオリジナリティをなんだか誇らしく思った。
ちなみに母曰く、初めて見た猫が喧嘩中だったからでは無いか、との事。
なんとなく納得するのであった。


すてきすてき


大人になると様々なしがらみがあり、なかなか毎日素敵に過ごせない。とはいえ、回り道を覚えて
自由にゆっくり過ごす選択も出来るのがおとなだったりもする。

ある日トイレから、「すてきすてき」と楽しげな声が聞こえて来るのを、母は聞いた。
トイレで何が素敵なんだろう?と
中を覗き込むと、トイレットペーパーをカラカラと無限に引き出して、やわらかな白に埋もれた我が子を見つけた。

「すてきすてき」と喜ぶ我が子を見て、かわいいやら面白いやらと思った、と締めくくるこの話。
その後、大量のトイレットペーパーはどうしたんだろう?とか、もったいないね、と思ってしまうわたしはもう、すでにいい大人なのである。

母から聞いて想像するだけなのだが、生まれた頃住んでいた古いアパートのトイレで、無邪気にキャッキャと笑いながら「すてきすてき!」とトイレットペーパーに埋もれるわたしを想像すると、何だかかわいい。それは否めない。

うーかんかん

消防車のことを「うーかんかん」と呼んでいた。
端的で分かりやすく、特徴を全面に出した語彙はまるでコピーライターの様だ、なんて思ってしまうくらい、一押しの言葉。

消防車が通ったら、それはうーかんかん。
みんなを守る元気な赤い子、うーかんかん。

ぜひ日常的使いのレパートリーに加えてみて欲しい。

あとがき

ありがたい事に健在の、母のイメージは昔と変わらない。
わたしが3歳の頃、まだ世界が笑顔で溢れていて、安心して母に甘えていたあの頃の世界を、永遠にループしていたいと切に願ってしまう。
世界が優しかったころの感覚で、今もわたしは生きている。

世界にいつまでも馴染めなくて、
心が、置いてけぼりな気がしているわたくし。
いつも違和感を感じて過ごしているけど、小さい頃の優しい方の思い出は、少し淋しくなるけど守ってくれる大事なたからものなのです。

ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
とっても嬉しいです!

fin

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