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【読書感想文】赤ちゃんを👶として扱わないという件と障がいにおけるEquityの考え方が私の中で一致した

"赤ちゃんは言葉が話せないのではなく、話せるけど話すための喉の筋肉が発達していない(もしくは使いこなせない)だけであって、実は言葉を理解している。"
私がここ最近で一番衝撃的でなんて面白いんだろうと思った事実。


"聾者親の👶と、健常者の👶が言葉を扱い始める時期を追うと手話で話し始める👶の方が早かった。手の筋肉をコントロールす方が喉のそれより安易なので手話なら言葉を表現できたのだ。
この事から、実は👶は言葉を発音できないだけで、理解しているということがわかった"

我々大人は👶はどうせ言葉が分からんだろうと思ってブーブーとかワンワンとか、所謂赤ちゃん言葉で彼らに言葉を投げかける。

ここで、話せない、聞こえない、見えないの三重苦であるヘレンケラーへの周囲の扱いが重なった。

彼女は最初勿論言葉を話せず、彼女に愛情を注ぐ親でさえ、彼女が話すことなんて到底無理だと決めつけていた。しかし、サリバン先生により"できる"とひたすら信じて試行錯誤を積んだ結果、最終的に200回以上の公演を世界中で行うまでになった。

この2つの事象から、"相手をナメて(スキルを決めつけて)レベルを下げることは、相手の可能性を閉ざすということ"なのだということ。

相手を自分と同等の立場で向き合うことが、相手の可能性を解放することに繋がるのだと思う。

じゃあ子どもを大人のように平等に扱うことがよいのだろうか?

ここでもう一つ思い出したのは、イギリスでは昔こどもは"こども"ではなく、"小さな大人"として見なされていた事実だ。(これも衝撃的な事実だったよなー…)

小さな大人なので、幼児も大人同様朝から晩まで劣悪な環境で働かされる。勿論子どもと大人は体力が違うので病にふせる"小さな大人"が続出したという。

さぁ、先ほどの質問に戻ろう。

子どもを大人のように平等に扱うことがよいのだろうか?
その答えは、NO。

ただし…質問をこのように変えるとどうだろう…?
子どもを大人のように"公平"に扱うことがよいのだろうか?
-YES。



何を言ってるかと言うと、ちょっと前に盛んに言われたEquality(平等)と、Equity(公平)の違いが、この相手との向き合い方における根本にやっぱりなるよね、と思ったのだ。

こんな風に、前提条件が違うのに大人と子どもに同じツールを与えたからって、同じ結果を求めちゃいかんよね、という話。


これはよく障がい者への話に使われる考え方だが、"障がい者を私はナメてないし差別もしません、私たちと同じように働ける人だと思ってるから、私たちと同じ職場環境を与えるので頑張れ!"(これがEquality寄り)

ではなく、

"障がい者を私はナメてないし差別もしません、私たちと同じように働ける人だと思ってる。
けど、私たちと同じ職場環境だと例えば通勤が大変だよね?であればリモートでもできるように環境を整備するから、頑張れ!"(これがEquity寄り)

故に、👶にナメずに接しよう、ということは、👶にハナから同じ景色が見えていることを期待するということではなく、
あくまで自分と同じ景色が見えるよう、彼らの必要な箱(さっきの絵)は何かという事を考えて、与えてあげる、と言うことがナメない、ということなのだということなんだ。

その為には、相手が何に困っているか、逆に困ってない(むしろ誇りに思っていることは何か、助けてほしくないと思ってることは何か)と言う事を察知する、平たく言うと

相手の気持ちを考えると言うことが、やっぱ大事なんやな!

ということです。
ほんで、やっぱそういう人がモテるんだよきっと、本能的に!(雑)。


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