見出し画像

ゲーテが愛したローマ、ゲーテの見つけたパワーストーン💎

『ゲーテ Goethe』
彼の名前をイタリアの街々で目に、耳にする。
そしてローマにはスペイン階段からほど近いvia del Corsoに彼が当時住んでいたアパートがまだある。

IN QUESTA CASA
IMMAGINO E SCRISSE COSE IMMORTALI
VOLFANGO GOETHE
il comune di Roma a memoria del grande ospite 
pose 1872

この家でヴォルフガング・ゲーテは不滅なるものを想像し書いた。
偉大なる客人の思い出とともにここに記す
ローマ市
1872


有名なVia del Corso 18



なんで急にゲーテを思い出したというと、

パワーストーンの勉強をしてたらゲーテが発見した石『ゲーサイト / GOETHITE』に出くわしたからだ。

パワーストーン Pietre Preziose
イタリアはクリスタル水晶など数ある鉱物の産地でもある

ゲーサイトは地味な黒地の色あい。
結晶の光沢に特徴あり。
シラーではないみたいだけど、縞模様のような色味「ストリアクStriations」があることも。

硬度5〜5.5程度、なので比較的柔らかい石
同じぐらいの硬度だとラピス、同じ黒系のオブシディアンがある。

ヘマタイトとは同じ酸化鉄鉱グループに属す
しかしヘマタイトと違い、磁石には反応しない

産地はイギリス、アメリカ、オーストラリア、ブラジル

・ストレスや不安を和らげ、感情を安定させる
・直感や洞察力を高める
・鉄を含むため疲れや疲労感を軽減、パワーとエネルギーを回復させる
・物事を冷静に考え、グラウンディングとバランスを保つ




ゲーテは『恋多き詩人❤️』という漠然としたイメージしかなかったが、

なにやら
「鉱山学」「地質学」以外にも、
「自然科学の研究🌱」にも聡い人だった。

(ダヴィンチにしろ、イタリアって未来人のような「多才で天才」にまつわる話多いけど、やっぱり変わった人が惹かれる国なのか…)

Come poeta, io sono politeista;
come naturalista, io sono panteista;
come essere morale, io sono teista;
e ho bisogno, per esprimere il mio sentimento, di tutte queste forme.

詩人として、私は多神論者です。
自然主義者として、私は汎神論者です。
道徳的な存在として、私は神論者です。
そして、私は自分の感情を表現するために、これらすべての形式を必要とします。

New Anthology of Letters


まずはゲーテの
「鉱山学💎Ingegneria Mineraria」

それのすごいのは、

「イタリア滞在中を含め、生涯にわたって各地の石を蒐集しており、そのコレクションは1万9000点に及ぶ」

wikipedia

一体どこに保管してたんだか。
ローマのあのアパートにも、いくつか置いてたりしたのかな。

そして
「植物学🌱Botanica」においてのすごさ。

それは、

ダーウィンが『種の起源』で進化論を唱えるずっと前、

そいでもって
ダーウィンのお祖父さん、エラズマス・ダーウィンが『ズーノミア〜1796年』を発表する前…

ゲーテは『植物変態論〜1790年』で、「花弁やおしべは葉っぱが変化したもの」と著して、それが進化論の元になったという。

ゲーテがいなかったら、もしかしてかの有名な猿人類から人間への進化の図式はなかった。か、立証が少し遅くなってたこともあったのか。なんて想い馳せると、歴史って興味深い。

🍕🍕🍕🍺


ちなみに
ゲーテとニュートンの色彩論の話もなかなか面白い!
お好きな人はぜひ調べてみてください。
(私はゲーテの捉え方の方が好き)





ゲーテが魅了された〜ローマとシチリア


『ローマのゲーテはこんな感じ』
ヨハン・ヴォルフガング・ゲーテが1786年にローマに到着したとき、彼はすでに世界的に有名な作家であった。
彼が2年間を費やした「イタリア紀行」は、喜びだけでなく、むしろ再生への滞在であり「ローマでのみ、私は自分自身を見つけることができた。初めて、私は自分自身と調和し、幸せで、合理的だと感じた...」と残している。
1786年から1788年の間、首都ローマに滞在していた時、彼は40歳を超えていて、ドイツの画家ヨハン・ハインリヒ・ティッシュバインと一緒にコルソ通りに定住し、その場所「ラ・カーサ・ディ・ゲーテ」は、今日、コルソ通りの18番地に博物館として存在する。
スペイン広場にあるトリニタ・デイ・モンティの135段の階段は、ゲーテの散歩のルートであり、彼はそこを通りトリニタ・デイ・モンティ教会まで登り、そこから下へ広がる美しいローマの街のパノラマを眺めるのを日課にしていた。
そしてスペイン広場からカフェグレコまで、トレビの泉からクイリナーレ宮まで、ゲーテはこれらの場所を歩くのが大好きで、美しい街並みを享受する散策を、ヴィラメディチで締めくくるのが大好きであった。
コンドッティ通り86番地のアンティコカフェグレコは、1760年にギリシャ人によってオープンした首都の歴史的なカフェであり、ここはゲーテの散歩コースとミーティングの場所とされ、彼の家から数歩のところにあり、彼はそこでゆっくりと長い時間をかけイタリア式の朝食を楽しむのが大好きであった。
モンテチトーリオ宮殿とクイリナーレ広場は、ゲーテが友人の画家ティシュバインと一緒に散歩に行くお気に入りの場所であった。広場を歩き通るたび毎回ゲーテは魅了され「宮殿の前の広場には、まったく紛れもない、不規則でありながら、壮大で調和のとれたものがある。そして、私は2つのカストルとポルックスの彫像の前にいる!」
「イタリア紀行」で詩に詠んだように、ゲーテは永遠の都を愛しただけでなく、「世界にはローマは1つしかなく、私は水の中を泳ぐ魚のように気分が良い」と評し、ローマ郊外の田舎へ旅行した際にも「先週3日間過ごしたアルバーノ、カステルガンドルフォ、フラスカティの丘の上では、空気は常に純粋で澄んでいる。そこでは、異なる性質を研究することができた。」と書き残している。

https://www.visitlazio.com/goethe-a-roma/


Soltanto a Roma ho potuto ritrovare me stesso. 
Per la prima volta, mi sono sentito in armonia con me stesso, felice, ragionevole…

ローマでのみ、私は自分自身を見つけることができた。
初めて、私は自分自身と調和し、幸せで、理にかなうことができる...

イタリア紀行 Viaggio in Italia


そんなに理想的?!
私は…そうは思いません、けど…💦

L'Italia, senza la Sicilia, non lascia nello spirito immagine alcuna. È in Sicilia che si trova la chiave di tutto. La purezza dei contorni, la morbidezza di ogni cosa, la cedevole scambievolezza delle tinte, l'unità armonica del cielo con il mare e del mare con la terra. chi li ha visti una sola volta, li possederà per tutta la vita.

シチリア島のないイタリアは、精神にイメージを残さない。
すべての鍵が見つかるのはシチリア島です。
輪郭の純度、すべての柔らかさ、色の降伏交換性、空と海と地球との調和のとれた統一感。
一度でもそれらを見た人は誰でも、一生それらを所有するでしょう。

イタリア紀行 Viaggio in Italia


はい、これはよくわかる、その気持ち。
ローマとシチリアにこそ真のイタリアありき!


そんなゲーテ、
(5人も子供がいたのに)たった一人しか成人まで生き残らず、そしてその一人息子になってしまったアウグストを奇しくもローマで亡くし、その1年半後、彼もその生涯を終えたのです。



そんな
言葉の魔術師ゲーテ。

自分の出生をこんな風にホロスコープの、星の動きを引用して詠んでいました🌜

Sono venuto al mondo a Francoforte sul Meno il 28 agosto 1749 al suono delle campane di mezzogiorno. La costellazione era fortunata; il Sole era nella Vergine, al culmine in quel giorno; Giove e Venere gli ammiccavano amichevolmente, Mercurio senza ostilità; Saturno e Marte erano indifferenti; solo la Luna, quasi piena, esercitava la sua forza avversa con maggior intensità perché entrata nella sua ora planetaria. Essa si oppose dunque alla mia nascita, che non poté succedere fin che quell'ora non fu passata. Questi aspetti fortunati, a cui in seguito gli astrologi diedero molta importanza, possono ben essere stati causa della mia conservazione, perché per inabilità della levatrice io venni al mondo come morto, e solo con molti sforzi riuscirono a farmi vedere la luce.

私は1749年8月28日にフランクフルト・アム・マインで正午の鐘の音で世界に来ました。星座は幸運でした。太陽はその日のピーク時に聖母にいました。木星と金星は彼に友好的にウィンクし、敵意のない水星。土星と火星は無関心でした。ほぼ満員の月だけが、惑星の時間に入ったため、より大きな強度で不利な力を発揮しました。したがって、彼女は私の誕生に反対し、その時間が過ぎるまで起こり得なかった。占星術師が後に多くの重要性を与えたこれらの幸運な側面は、助産師の能力のために私は死んだように世界に来て、多くの努力によってのみ、彼らは私に光を示すことができたので、私の保存の原因であったかもしれません。

libro autobiografico Poesia e verità,

ホロスコープになぞらえて、こんな風に自分の出生を表現するなんて、なんてロマンティック!

・『正午の音で世界に来ました』
この入り方、上手いな〜すっと引き込まれる。

・『木星と金星は彼に友好的にウィンクし』
木星は幸運の星、金星は愛の女神ヴィーナスを象徴する星なので、ウィンクを持ってくるところが言い得て妙。

・『したがって彼女は(ほぼ満月の月は)私の誕生に反対し、その時間が過ぎるまで起こり得なかった。』

ホロスコープを想像するとさらに面白い…
本当に素敵な言い回し。
オシャレさん💫


💁Grazie di essere venuti a leggere.
✨良い1日をお過ごしください✨

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?