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はじめに

はじめまして。

都築由美(つづき ゆみ)と申します。

孫です。


私の祖父の名前は 都築賢策 (つづき けんさく)。

祖父です。


祖父は私が2歳の時に他界しているため、ちゃんと会話をした記憶はありません。

周りの人からは「真面目」「おとなしい」と耳にしてきました。

私が覚えているのは、祖父が座っていたイスによじ登り、祖父が食べていたうどんを2本ほど貰った事。
定かではない記憶です。

そんな祖父は第二次世界大戦中、
関東軍第5軍 司令部参謀部動員室に従軍し
1940年11月20から満州にいたようです。

1945年
当時26歳で満州にて終戦を迎え、捕虜に。
シベリアでの2年間の強制労働の後、1947年6月28日 引揚船山澄丸にて帰国を果たしました


祖父の記憶が殆ど無い私がこんなに祖父の事を知ることができるのは、祖父が生前書いた手記があるからです。


『帰国は近い』のタイトルは父が付けました
全て手書きです

1947年6月28日に帰国した祖父が、帰国2週間後の1947年7月11日~7月28日の17日間で一気に書き上げたものです

この手記は、祖父が

「抑留生活のそれは、きのうの出来事の如く深く脳裏に刻まれて その一駒々々はわが再出発の心の糧となるだろう」

『帰国は近い』 記 より

と、帰国後の心の糧として書いたものです。

そして祖父亡き後、1988年に私の父が製本し家族や親族にのみ渡されました。

「あとがき」より

私も1部いただきましたが、祖父の達筆な文字と若かりし怠惰心から、しっかりと全部読んだ事がありませんでした。

そんな私もオトナになり、この本を再度手に取りしっかり読み直すと
「こんなに素晴らしい手記を後世に残さないと勿体ない」と感動😭。
手書きの文字をPCに文字起こしする事にしました。

子から孫へと語り継がれる【平和を願う抑留記】。
戦後78年経った今、初めて公開します。

26歳から28歳までの祖父の2年間の出来事が詳細に書かれている手記は、削除した部分があるとはいえ歴史的出来事が書かれていて、読んでいてヒリヒリしてきます。

宜しければご高覧ください。


なお、祖父の達筆により読みきれない文字、分からない言葉もありました。
もし使い方が間違っている文字等がありましたらコメントにてご教授いただけると幸いです。

また、祖父の個人的主観が入った表現も多々ありますが、歴史上の出来事についての誹謗中傷等はお控えください。

それでは、次回より祖父のシベリア抑留記を記載していきたいと思います。
どうぞお付き合いくださいませ。


『帰国は近い』目次より


↓ 祖父の手記、はじまります


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