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「関係作りの“モンスター”!」 実習7日目 デュッセルドルフ森の幼稚園 20230913


・6時40分:起床

・7時:準備完了&出発

今日は曇りの感じで、気温も20度いかないくらいの肌寒さ。


・7時40分:バウバーゲンに到着。カタツムリを見つける。



昨日作った絵を持ってきていて、子ども達に見せようと思ったら、まさかの「ご本人登場!」だったので、カタツムリの絵の所に本物のカタツムリを置いた☟



殻を持ってないナメクジもいたのでそいつも一緒に乗せた。このナメクジはそこら中に生息してます。笑

・7時50分:先生方が来られる。いつもの様にバウバーゲンの準備。

・8時:子ども達が登園。

最初に来たエダと一緒にカタツムリを観察。

その後、エマと一緒にバウバーゲンの中に入って本を選ぶ。バウバーゲン入り口付近でその絵本を読み聞かせ。ルイス、デリア、アーノックが集まる。

ずっと絵本の読み聞かせをして、ルイスが最後まで残ってくれた…笑

・9時:先生同士で話し合いをして今日何をするかを決める。

移動開始。朝の会は時間的に過ぎていたから行わないので、朝の会の場所は通り過ぎて、遊び場へ向かう。途中で10時になったので、屋根が付いている公園のベンチみたいなところで朝食。

食べ終わったら、遊び場所へ移動。結構な距離を歩いた。

子ども達も何人かが「疲れた~」とか「もう歩けな~い」とか言っていた。

遊び場所には11時ぐらいに到着。高さの違う跳び箱みたいなやつや、腹筋する為の角度が付いた遊具、ジャングルジムみたいなやつが置いてあった。

個人的にはルイスと一緒に遊んだ。地面にお絵描きして遊んだ。

・11時45分:バウバーゲンへ移動。

・12時10分:到着。昼食の用意。

・12時30分:30分休憩。

休憩から戻ると、ルイスが走ってきて抱きついてきた…笑

なんか遊んでる時に1回「パパ」って言われて、言い間違いかなって思ってこっちはスルーしたし、ルイスは「間違えちゃった~」みたいなことを言わなかったので、互いに黙ってしまった時間があった…笑

・13時:昼食。大人4人、子ども6人。昼食後にルイスと黒砂山で遊ぶ。エダとレニと別のグループの女の子がやってきて、黒砂山から倉庫まで行って帰って来るという競争が始まる。

そのあと、フローリアンがバケツとかスコップが入っている遊具入れを持ってきて、その遊具で一緒に遊ぶ。

昼食の片づけをせずにその遊具を使って遊ぼうとしている子どもがいたので、「規則としては、片づけをした後に遊ぶんだよね?」と説得した。ちょうどその子どもの親がお迎えに来ていて、その様子を見て、「ありがとう」と言われた。

ふと他の先生を見ると3人で並んで丸太の上に座って雑談してたので、自分も加わろうと思い、フローリアンの隣に座る。

座ってたら、黒砂山で遊んでる子ども達から「一緒に遊ぼう」と誘われたが、「ここにいて他の先生とお話したいから無理なんよ~」と答えたら、フローリアンが「ナイス回答」って言った。

直接話してないので推測になってしまうのだが、その真意としては、「(子ども達に自分の意見を伝えたから)ナイス回答」って意味合いだと思ってる。

コッチとしては、子どもが遊ぼうと誘ってきたら、是が非でもそれに応えてあげたいと思っている。子どもが遊びに誘ってくれるのは名誉だと思ってるので。


子供にとってうれしいことは、我等がいかに立派な人間であるかよりも、我等をいかに十分に彼等に与えてくれるかである。子供にとってもっとも幸福なことも、教育にとってもっとも肝心なことも、恐らくこれに他あるまい。我等は何をやるかでなくて、我等自身を与えることである。それだけが我等に出来る。(幼稚園雑草(上)p17)

―――自分でなければならない。―――・・・何事でもこういう心持があってこそ、自分のしていることに力が入る。それでこそ、相手に充分に徹底し得る。・・・どうしたら、どうしたらとばかり考えていて、自分が一人ひとりの子供たちの為にどの位必要のものだということは、一度だって思いもしない。子供たちは要求しているのだ。私を要求しているのだ。私からではない。私をだ。私からお噺を聞きたいばかりじゃない。お噺を私から聞きたがっているのだ。私と遊びたいのだ。(幼稚園雑草(上)p138~139)

③倉橋惣三が考える、「子どもにとって嬉しいこと」とは?(幼稚園雑草より抜粋)

②「見守り」の一人歩き…

”森のようちえん”の教育方針として「見守り」を掲げるところが多いと思うが、個人的には「それだけにフォーカスされてもな…」と思う。

子ども達の主体性に任せるのが森の幼稚園の教育方法の根幹だと思うが、そこに大人が介入してはいけないなんて決まりを作るのは、それも先ほどの「自然体験」と同じで、先生側のエゴを子ども達に押し付けているだけに見える。もちろん、先生側が常に子ども達が遊んでいる所に顔を出して、「何してるの?先生もまぜて!」と言うのは論外であるが、子ども達の方から「一緒に遊ぼう!」と誘われた際に、「私たちの役目は見守ることだから、子ども達は遊ばない」と断るのはオカシイと思う。

子どもの特性として4~6歳の幼児期(遊戯期)は、「大人のマネをして、自分もやってみたい」と思う”積極性”が育つ時期であるし、身近な人物になりきって遊ぶ”模倣行動”が盛んに行われる。そんな子ども達の遊びに大人が入れば、子どもの遊びの可能性が広がり、同時に深めることができるのは当然のことであろう。

例えば鬼ごっこを例に挙げれば、足の遅い子ばかりが直ぐに鬼になって楽しくなくなってしまうことはよくあるが、そこに大人が入れば程よく”手抜き”をしてあげて、足の遅い子が頑張って逃げる体験が出来たり、あるいは、すぐに他の子を捕まえることが出来る足の速い子が一生懸命に大人を追いかけたりすることが出来る。サッカーやかくれんぼ、お絵描きとかでも、模倣行動が盛んな子供に「大人の実力」や「大人のアイデア」を見せることで、その子ども達から新たなインスピレーションが生まれることだってある。

大人が介入しなければ、子どもがすっぽり入るくらい深い穴は掘れまい。

前半部分で既に述べたように、ヴァルトツヴェルゲ森の幼稚園のように、「若くて体力のある実習生は遊び専門、経験のある接し方の上手い先生は見守り専門」というようなシステムにした方が、子ども達の為にも、先生の為にもなるように思える。

というか、「見守り」という言葉がなんかセンスが無いなと思ってしまう。静的なイメージしか持たなくて、子ども達と遊ぶという動的な部分をカバーしきれてない感じを持つ。個人的にピッタリくるのは、「付き添い」である。ドイツの森の幼稚園のホームページを見ていると、「Begleiter(ベグライター)」という表現が頻繁に出てくるが、まさに「同伴者、付添人」とかを意味する単語である。付き添いだったら、子ども達を見守ることも、子ども達と遊ぶことも、どちらもカバーできる。

自然体験や見守りを第一主義として掲げてしまう原因の1つは、「自分が見聞きした情報”のみ”に基づいて勘違いをしているから」だと思う。学生の頃に森の幼稚園について書かれた論文をかなり読んだが、どれもこれも「1週間ドイツの森の幼稚園を視察してきました。その時のレポートです!」みたいな感じで、心底参った。そもそも論、森の幼稚園は「「「森」」」を拠点として活動する幼稚園である。で、森は春夏秋冬で全く異なる顔を見せる。だからこそ、森の幼稚園は春夏秋冬に沿った教育方法を実践している。それが分かれば、なぜ1週間視察したからといって「これがドイツの森の幼稚園です!」みたいなデカい顔ができるのか意味が分からない。自分は2014年に1日だけフライブルクの森の幼稚園で実習させてもらい、その時に感じた「この素晴らしい教育の、今日1日だけで見れなかった部分を知りたい。1年間を通じて森の幼稚園の教育方法を知りたい。」という思いから、ヴァルトツヴェルゲ森の幼稚園での1年間の実習に至っている。

自分で経験せずに、他人が言っていたことを鵜呑みにして、「自然体験!」、「見守り!」と熱狂し、子ども達の遊びの自由を制限するなんて、絶対にやってはいけないことだと個人的には思う。そもそも論、森の幼稚園は子ども達の主体的な活動を尊重してやるものだが、先生側自身が日本の教育を受けてきたとしたら、一般的に言って子どもの頃にそうした主体性を尊重する教育経験を受けてないのに、どうして子ども達にそれが出来ようか?個人的にはそう思っていたからこそ、日本で教育免許は取りたくなかったし、ちゃんと森の幼稚園が「文化」として根付いているドイツで0から勉強したいという気持ちが常にあった。

ちなみに、幼稚園を世界的な物にまで発展させた功労者はドイツのフレーベルであるが(彼の業績を称えて、幼稚園という単語は英語でも「Kindergarten(キンダーガルテン)」というドイツ語が使われている。「Childrengarden」でないことから一目瞭然)、彼について書かれた絵の一つに以下のようなものがある☟

赤丸がフレーベル。スーツを着て、子ども達と鬼ごっこを楽しむ。

個人的な理想像はコレである。見守りなんてクソくらえであり、子ども達から「キーくん、遊ぼ!」と声をかけてもらえたら、二つ返事で遊べるような先生に、年を重ねてもなりたいと思う。というか、「キーくん、遊ぼ!」と声をかけてもらえるような魅力のある先生を維持していきたい。

魅力については既にコチラで記載済み☟

なんか、「キーくん、子ども達と遊び過ぎじゃない」と、本当に時たま言われたことがあるが、そういう先生に限って、全然子ども達から「~先生、遊ぼ!」と言われてない、先生としての魅力が無いのが共通点だから不思議なものである。おそらく、自分が子ども達と一緒に遊べないことからくる嫉妬だなと解釈してたので、無視して子ども達と遊んでたが…笑

で、先生が遊ぶことの重要性を端的に表したのが、日本の幼児教育に多大な影響をもたらした日本の幼児教育の祖である倉橋惣三のこの言葉である☟

子どもを楽しませるのは良いことである。子どもと共に楽しむのはさらに良いことである。子どもを上手に遊ばせ得る人は偉い人である。子どもと一緒に自分も愉快に楽しく遊び得る人は一層偉い人である。

いつまでも子ども達を思った行動が出来て、子ども達に付き添える先生を目指して、精進していきたいと思う。

現段階での理想は「ヴァルトツヴェルゲ森の幼稚園(Waldzwerge-Waldkindergarten)」! 教育方針編


今回それを断ったのは、直感というか、先生達が集まっているところへ行った方が良いなと思ったから。

おそらくフローリアンは、コッチが子ども達に誘われたら二つ返事で一緒に遊ぶ姿を見て、「自分の意見を言ってない」とか「子どものおもちゃになってる」みたいな感じを思って、あんまり良くない印象を持っていたのかなと思った。

ただ一つ言及しておきたいのは、昔の自分は陸上部の長距離をやっていて、5㎞とか10kmを走っていたので、そこら辺の人よりかは体力があるという事である。

早い話が、他の先生よりも疲れにくいのである。だからこそ、子ども達と長く楽しく遊べるわけであるが、その光景をあまり良く思っていなかったのだろう。

自分は全然疲れていなかったが、大人たちの空気を察したので、子ども達からの遊びを断ったのである。それを「ナイス回答」と言われて良い気はしない。言うてみれば、自分から断ったのではなくて、大人たちの空気を察して、ここは断った方が良いなと感じたから、断ったからである。

まぁ、その後フローリアンと雑談して、

「キーくんは、関係作りのモンスターだよ!まだ実習を始めて2週間ぐらいなのに、子ども達との関係を多く持っていて、しかもそれは深い関係性だし!メチャクチャ素晴らしいことだよ!まるで関係作りのロボットだよね!」って褒めてもらって、

実習2日目に言ってくれた、「観察の前に関係性作り」という最初の課題は完璧にクリアしていると言ってもらえたので、まぁ、そういうことにしておく。

なので、フローリアン的には、例えば、「3日は遊ぶ日、2日は観察の日」とかにしても良いんじゃない?的なことは言ってもらって、まぁ、自分としても観察をしてドキュメンテーションとか出来るようになった方が良いと思ってるので、その案には賛成した。

なので、観察する時のポイントとかをその後に教えてもらった。


あと、Ausbildung(職業訓練)の話をして、1月頃に書類を完成させて、応募しまくった方が良いという事を教えてもらった。そして、応募の際はフローリアンが色々とサポートするよ!って言ってくれたので、それはマジで有難かった。フローリアン自身が、他の幼稚園とのコネクションを持っているらしく、口利きが出来るとのことだった。マジで感謝しかない。


まぁね、子ども達のことを思ってちょっと無理してるところがあるのは事実なので、しんどくなったら「休憩する」って言って、先生と雑談するのも良さそう。なんか、仕事中に話をするっていうのが、真面目ちゃんの自分としてはかなり大きく抵抗があることなのであるが、まぁせっかくドイツにいるので、その文化に染まってみるのもアリかもしれない。郷に入っては郷に従えって感じか。

1日のうちで少なくとも1回は先生同士の雑談に入るようにすれば、空気も良い感じになるかも(別に今が悪いわけではないが…)。

まあ、こういう原理が働いてるのかもね…👇

(もちろん、オーストラリア全部って訳ではないと思うが・・・)私が働いているところのスタッフは「圧倒的チーム感」が強い。大前提、スタッフ間のコミュニケーションがとにかく多い。もちろん業務内のコミュニケーションだけではなく、雑談をしたり、小話をしたり、時に恋愛相談をしたり・・・

「コミュニケーションの多さ=素晴らしい環境」ということでは決してないけど、日本よりもいい意味でお互いに「干渉する」ことで、常に相手を理解しようと努めている環境であるなと感じた。

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小話とか雑談などのコミュニケーションを通じて、お互いのことを理解しよう、共感しようというアクションが多い。


・15時:子ども達が全員降園する。そしたら、今日は先生同士の会議が行われる日らしくて、2つのグループ合同で会議を行った。内容としては、有給の日程の調整、連絡事項(新しく来る子どもや実習生について)、資格取得講座の案内、自身が感じている問題点、次の行事(今日はハロウィンについて話した)に対する準備などなどについて話した。

・17時:会議が終わって解散。

やっぱり、今の自分のドイツ語キャパは、8時から15時までになっているので、会議分のドイツ語は自分にとってはオーバーロードだった感はある。

会議の中でフローリアンが、「13時のお迎えの時に、遊んでる子ども、リュックを背負って準備が出来てる子、先生と長話をしている親、早く帰りたい親みたいに、いろんな状態の人がいてスムーズに物事が進まないから、それを改善した方が良いじゃないのか?」って発言して、

自分としては、「ゴングを12時57分とかに鳴らすのは一つのやり方だよな」って思ってたけど、初めての全体会議だったので、様子見ということもあって、発言を控えて聞く専の態度をとっていたら、フローリアンが、

「12時57分とかにゴング鳴らすのってどう?」って提案して、他の先生方が、「そうやね、明日1回試してみようか!」みたいな流れになったから、「あぁ、発言しとけば良かったな…」ってちょっぴり後悔した…笑

話の内容としては半分は理解できたって感じ。

まぁ、今後のことを考えれば、会議の時に意見を言うことは大事になってくると思うので、自分のドイツ語力を磨いて、意見を物申せるようになりたいと思う!


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