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誰かに生きる勇気を与えるために生きてるのよ、誰かに勇気をもらいながら。(宇宙兄弟)

「何のために生きる?」

この質問の”答え”を人生で一度も考えたことが無いという人は、この世にはいないハズである。

自分自身、書籍や動画等で色んな意見に触れてきたし、これまで出会った人達から色んな考えを聞かせてもらった。

現在の自分にとって、この質問に対する一番納得した答えは、この記事のタイトルにある

誰かに生きる勇気を与えるために生きてるのよ、
誰かに勇気をもらいながら。

である。

「宇宙兄弟 24巻 #232答え」より抜粋

これは「宇宙兄弟」という漫画の登場人物「シャロン(天文学者)」が主人公の一人「ムッタ」に対して言ったセリフである。

少年時代のムッタがシャロンに「人って何のために生きてると思う?」と問うと、シャロンが「私が思うに、そんなつもりはなくても人はね、誰かに”生きる勇気”を与えるために生きているのよ。誰かに勇気をもらいながら。」と答える。

僕はこのシャロンの回答が、性に合うというか、スッと入ってきたというか、納得できたというか、そうであって欲しいなと思った。

これまで自分が見てきた回答の中で、一番優れているように思えたし、その理由としては、その答えが生きる人全員に関係しているし、彼らに対しての”救い”になっているからである。

「誰かに与える。誰かからもらいながら。」という循環のイメージが素晴らしいと思う。お互い様精神に溢れている。与えている人は「誰かからもらっているんだ」と謙虚になることができるし、もらっている人は「今度は誰かにあげよう」と前向きになれる。そうやって、順繰り順繰りと関係性をいろんな人と構築していって、人生というのは出来上がっていくのだなと思った。

で、そこで何を付与しあってるかといったら、「生きる勇気」なんですよね。いや~、たまらんですね。笑

個人的には、もともと自分が先生になろうと思った時に、「自分と出会った子ども達は将来社会へと出て行くのに、先生としての自分は大学出てすぐに学校に閉じ籠もるのは良くないだろ。子どもが行く先を自分で体験しないで、先生として子どもの前に立てるか!社会で色んな経験をして、それを子ども達に伝えていける先生になりたい!」と思っていましたので、同世代と比べると、”一般的な道”ではないところを歩んできたなと思いますが、その遠回りは自分で狙ったものなんで全然okです。

あと、この記事で書いたように、魅力とはどれだけ他人と違ってるかだと考えているので、他人と違うのは個人的には超ウェルカムですね。笑

1年浪人したのが、同期とズレた最初ですね。その後、大学で学部変えて、1年間留学したから、同期と3年ズレる結果に(事実として書いてるだけで、こっちとしてはまったく気にしてない。笑)。

ドイツの大学に留学したくて、4年の9月頃までドイツ語勉強してたけど結果としては全然伸びず。ドイツ留学は諦めて、秋採用の時期に就職活動を開始。なんとか新卒で入った結構大きめの会社を8カ月で辞めてドイツへオペア留学。でも、コロナが流行りだして2020年の2月に帰国。

その後は実家に住みながら(無職状態で)就活して、10か月後に職業訓練校へ半年通うことに。訓練修了後はその分野のお店に就職するも、森の幼稚園がずっと心の中に残り続ける。30歳前にもう一度挑戦したいと思い立ち、2022年3月下旬に会社を辞めて、4月から貯金を切り崩しつつ、一日中ドイツ語勉強生活を開始。

最初の2カ月で図書館にある語学系の勉強方法が載ってる本を片っ端から読んでいき、自己流の勉強方法を生み出す。それが功を奏し、2022年12月にはドイツで仕事をする際の証明書になる「ゲーテB2」に1発合格。

自分の性格的にも、一つのことに熱中するタイプなので、会社を辞める選択は正解だっと思う。仕事やりながらの語学勉強は身が入らなかっただろうと簡単に想像がつく。あと、在学中に語学力が伸びなかった経験がトラウマになってて、今回も伸びなかったらどうしようと超絶不安だったが、なんとか博打に勝つことができて良かったなと心底思う。で、現在はBFDに向けて資金稼ぎの最中。

これからは、「8月からBFDして、Ausbildung(職業訓練)して幼稚園の先生の資格とって、ドイツで森の幼稚園の先生として働いて…」みたいにまだまだやること盛りだくさんなので、元気に乗り越えて自分の夢を叶えたいなと思う。また、そんな生き様が、誰かの目に留まり、その人にとっての「生きる勇気」になれば、これほど嬉しいことは無いと思う。

僕自身、これまでの人生で多くの「生きる勇気」をもらってきました。印象に残っていることを羅列していくと、小1の頃に全然縄跳びが出来なかった僕を見かねて、毎日お昼休みに一緒に練習してくれた教育実習生だったY先生。Y先生のおかげで、努力することの大切さを学びました。

そして、小6の担任のH先生。この先生は自分にとっての理想の先生です。H先生からは簡単に言えば、挑戦心、座右の銘(情熱をもって前進‼)、自分を愛する心を授かりました。

中学は「駅伝」を通じて、自分の得意なことを活かしたり、仲間と切磋琢磨したり、チームの為に個人がしっかり自分の役割を果たしたりする姿勢を身に着けました。

高校は、正直暗黒時代だったのですが、その中でも、自分のやりたいように大学受験させてくれた親であったり、スポーツ実技試験の練習を手伝ってくれた小学校からの友達や、学校帰りに寄った時にいつもオロナミンCを出してくれて、何気ない会話をして自分に寄り添ってくれたおばあちゃんには感謝してます。

大学はもう、恩師のN先生一択です。N先生と会えたからこそ、今の自分があります。感謝すべき点は山ほどあるのですが、個人的に一番嬉しかったのは、N先生が自分を怒ってくれたことですね。N先生は基本優しくて、怒る姿なんて、長く付き合わせて頂いた自分でも一度も見たことが無かったんです。それが、トビタテの書類選考に出す留学計画書の添削を頼みに行った時に、普段仏のようなN先生がえらい剣幕で怒ったんです。「こんなんじゃ、トビタテに合格できんぞ!作り直すから、そこ座って一緒にやるぞ!」と。その時は当然ビックリしましたが、後々で考えてみると、普段からN先生との飲み会で「トビタテに受かって、ドイツに行って、森の幼稚園で実習したい!」って何千回も言ってたので、それを知ってるからこそ、「コイツを留学させたい」と思って下さっての行動だったんじゃないのかなと、自分は解釈しています。N先生が怒った姿を見たのはそれっきりだったので、本当に心を鬼にして、「受からせてやりたい」という気持ちから言って下さったのだなと、本当に愛を持って接して頂いたことに心から感謝してますね。

あと、やっぱり、Waldzwerge森の幼稚園で出会った子ども達に言及しないわけにはいきませんね。今、こうしてまだ森の幼稚園に興味を持って生きていいられるのも、子ども達と楽しい時間を過ごせたからなんですよね。もちろん、先生達や保護者の方々にもたくさんの愛を頂きました。

ペーペーの実習生でしたが、有難いことに3人の子ども達から「友達ブック」に記入をお願いされました。こんな自分に興味を持ってくれて、それを保存してくれるなんて先生冥利に尽きます。

ある女の子(5歳)から。
一番最初に懐いてくれた子で、一緒に遊ばない日は1日も無かった。
ある男の子(5歳)から。
サッカー少年。好奇心旺盛で頭が良かった。日本語で20まで数えれた。
ある男の子(3歳)から。
男の子(5歳)の弟。兄に負けず劣らず好奇心旺盛で、チャレンジ精神が強かった。

僕としても、お別れ会の時に、子ども達1人1人にメッセージを書きました☟

全部で35枚くらいかな…

一人一人に対してメッセージを書いたし、紙も和風な物を使って、ちょっと豪華に。宝物として大事に持っててくれたら、先生冥利に尽きる。

子ども:「キーくん、人って何のために生きるの?」
Ein Kind:"Ki-kun, wofür lebt man?"

自分:「誰かに”生きる勇気”を与えるためだよ。誰かに勇気をもらいながらね。」
Ich:"Um anderen deinen Mut zum Leben zu geben und den Mut zum Leben von anderen zu bekommen."

あ~、早く子ども達に教えてあげたい~笑


〈追記〉

大切なのは希望よりも勇気だ。しかし、次のようにも言えるのではないか。希望は誰でも持つ事ができるが、勇気を持つ事ができるのは少数の人に限られる、と。

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