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JW29 名草の英雄

【神武東征編】EP29 名草の英雄


天道根命(あまのみちね・のみこと)(以下、ミチネ)が言う、同じ場所に二柱(ふたはしら)の神を祀るとは、一体どういうことなのか?

ミチネの説明は続く。

ミチネ「同じ場所に、二つの神社があるということですな。」

質問をした大久米命(おおくめ・のみこと)が驚嘆の声を上げる。

大久米(おおくめ)「えっ! 合祀じゃなくて、あくまで別々の神社が同じ場所にあるってことっすか?」

ミチネ「そういうことになりますな。ちなみに、二千年後も同じ場所に立っておりまする。」

そこに、ミチネの息子、比古麻(ひこま)と日臣命(ひのおみ・のみこと)の息子、味日命(うましひ・のみこと)が補足説明を始めた。

比古麻(ひこま)「総称して、日前宮(にちぜんぐう)と呼ばれておりまする。」

味日(うましひ)「名草宮(なくさぐう)とも呼ばれてるみたいやじ。」

日前宮1
日前宮2
日前神宮と國懸神宮
日前宮3
日前宮4
日前宮5
日前宮鳥居
日前神宮
國懸神宮

ミチネ「さすがは味日! ちなみに、正式に神社が創建されたのは、我が君が、天皇(すめらみこと)になった翌年の紀元前659年のことと伝わっておりまする。」

ここで本編の主人公、狭野尊(さの・のみこと)(以下、サノ)が疑問を投げかけてきた。

サノ「ところで、どうして秋月(あきづき)が最適な地なのじゃ? 美しい地ではあると思うが、名草戸畔(なくさとべ)という、女の族長が支配している土地ではないか。彼らによって、破壊される可能性がある土地ぞ。それに、上陸した琴の浦よりも、以前紹介した水門吹上神社(みなとふきあげじんじゃ)や竈山神社(かまやまじんじゃ)の方が近いではないか。」

日前宮1

ミチネ「彦五瀬命(ひこいつせ・のみこと)(以下、イツセ)の死亡関連で紹介したため、前後致しましたが、我らは、琴の浦に上陸したあと、竈山に向かい、イツセ様を葬ったのではないかと考えておりまする。」

サノ「では、イツセの兄上は水門吹上神社で亡くなられ、我らが琴の浦から上陸した後、竈山に葬ったというわけか・・・。」

秋月

比古麻(ひこま)「まあ、竈山の件はともかく、秋月という地は、重要な地域なのです。」

サノ「重要とは、如何なることじゃ。」

比古麻(ひこま)「紀の川は物資を運ぶ上で、重要な交通の要衝なのです。その河口付近を抑えておきたいという政治的理由もあって、ここを選んだのです。」

サノ「されど、名草戸畔が、それを許さないのでは?」

そのとき、件(くだん)の女人の笑い声が再び響いてきた。

名草戸畔(なくさとべ)「その通りっ! あたいたちは許さないよ。さっさと帰りな!」

サノ「名草戸畔っ! 汝(いまし)は勘違いしているだけじゃ!」

名草戸畔(なくさとべ)「問答無用! 皆の者、攻めかかれっ!」

再度、攻めてくる名草軍。

ついに天孫軍と大がかりな戦闘となってしまった。

しかし、今度は船から下りた状態の天孫軍である。

名草軍を打ち破り、追撃を開始した。

そして結局、名草戸畔は高倉山(たかくらやま)の麓まで追い詰められ、討ち取られたのであった。

高倉山へ

頃合いを見計らって、博学の天種子命(あまのたね・のみこと)が説明を始めた。

天種子(あまのたね)「高倉山は現在の和歌山県(わかやまけん)海南市(かいなんし)に所属する土地にあらしゃいます。」

神宮と高倉山
高倉山1
高倉山2

この説明を聞き流し、サノが雄叫びを上げた。

サノ「名草の者たちよ! 我らは戦いに来たのではない。一つの国を作り、皆が豊かに暮らせる世にするため、この地を訪れたのじゃ。よって、これからも名草の者たちで治めてほしい!」

名草の民「戸畔(とべ)ちゃんが死んだんやで。弔い合戦するのが道理やろうがっ!」

サノ「確かに、それが道理じゃ。弔いはせねばならぬ。彼女を神として祀ろうぞ。それで許してはくれぬか?」

名草の民「そこまで言うんやったら、考えてあげてもええで。」

こうして、名草の英雄、名草戸畔は神様として祀られることとなった。

ところが、話は順調に進まなかった。

名草の者たちが鎮座地の選定で諍(いさか)いを起こしたのである。

海南市小野田(かいなんし・おのだ)の民「高倉山の麓で亡くなったんや。ここに祀るんが道理やろっ!」

海南市阪井(かいなんし・さかい)の民「何言うてんねん。わしらが一番忠義が厚かったんや。わしらのところに祀るんが道理やろっ!」

海南市重根(かいなんし・しげね)の民「はいはい。わしらのところで決定やな。」

サノ「よし、こうなったら三つに分割するしかない。」

名草の民「三つに分割?!」×多数

サノ「討たれた地の小野田は首(みしるし)を祀れ。阪井は胴体を祀れ。重根は下半身を祀れ。これでどうじゃ!」

名草の民「いいね!」×多数

サノの提案だったのかどうかは不明であるが、名草戸畔を三つに分けて祀ることになった。

三つの詳細は下記の通り。

 頭・・宇賀部神社(うがべじんじゃ)・・海南市小野田・・通称「おこべさん」
 胴・・杉尾神社(すぎおじんじゃ)・・・海南市阪井・・・通称「おはらさん」
 足・・千種神社(ちぐさじんじゃ)・・・海南市重根・・・通称「あしがみさん」

頭と胴体
足の神社
三つの神社

サノ「名草戸畔は、地元で人気があったのじゃな・・・。」

こうして名草戸畔は三つの神社に祀られ、名草の人々も、サノたちに従ったのであった。


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