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人生で最も幸福だった10日間−30万円使った初めてのヴェネツィア旅①

こんにちは。camelといいます。

私自身の2022年を振り返って思ったことは「もっとアウトプットしたかったな」というもやもやでした。
仕事で疲れているからゴロゴロしていたい。天気がいいから山を歩きたい。ひとりでお酒を飲みながら漫画を読みたい…

1週間に2日しかない貴重な休日をどうやって過ごすのか。
それは、月曜日から金曜日までを仕事にあてている方が持つ、とても一般的な悩みではないでしょうか。

「あと1日あったら遠くまで旅行に行けるのに」
「平日に休みが取れたら宿も安いし、どこも空いているのに」

かくいう私も、会社員になってからの3年間で何度思ったかわかりません。
いや、平日休みのシフト制も、それはそれで違う悩みがあるのです。
今の会社に勤めるようになるまで、私は平日休みのフリーターでした。シフト制だったので土日出勤することもありましたが、平日に休むことも普通でした。

さて、今回の記事はそれよりも少し前。私が今とは違う職場で会社員をしていた頃や、入院生活を送る無職だった頃を跨ぎます。
ちょっと長いですが笑、ぜひお時間があるときにでも読んでいただけますと幸いです。
※長くなってしまうので何篇かに分けるつもりです

消極的な自殺願望を持っていた22歳の私

どうでもいい。生きていても、そうでなくても

私がまだ20代だった頃のことです。
当時私が勤めていたのはとある電機会社で、業務内容は所謂現場仕事でした。

ずっと実家で暮らしてきた私にとっては、初めて地元を離れて体験する一人暮らし。
マイペースで気分屋、ひとり時間が大好き。さらにパーソナルスペースが広いという特徴を持つ私にとって、一人暮らし自体はとても気楽で楽しかったです。

楽しくなかったのは…仕事でした笑。
就職面接で聞いていた内容とは全く違う実務と、同僚である体育会系職人たちが持つ独特の価値観に、私は全くついていくことができませんでした。あの職場が特殊なだけかもしれませんが…

「なんでそんな、自分に合わない会社で働こうとしたのか」と今なら激しく抗議したいところですが、その頃の私はわけあって大学を除籍になっており、人生に於いて建設的なことを何ひとつしない毎日を送っていまして…

「こんな経歴の人間なんて、どうせまともな会社に勤められるわけがない」

と投げやりになっておりました。いじけ方が極端!笑

言い訳ですが、当時働いていた飲食店で、主に年配の男性から「新卒がいかに大事か」「何の実績を持っていない人間がいかに必要とされないか」という話を散々聞かされていました。
自尊心が残り少なくなっていた私はそれを鵜呑みにしていたのですね。ある部分では正しいと思うけれど、鵜呑みにするほどではないですよね。もったいない。聞かなくていいよ、そんな話。

今となっては「いやいや全然就職できるよ!」と教えてあげられるのですが…まぁ言ったって当時の私は信じないでしょうね。それくらい、当時の私は世間知らずでした(今はちょっとマシになったと思う。ちょっとは)。

自分に対する自信が全くなくて(でも見栄はある)、自分に価値を感じることができない。頑張って報われなかったら、今度こそこの世から消えてしまうかもしれない。そんな風に思って生きていました。

そんなある日、私を担当している保険会社の方から「正社員で働ける職場を紹介してあげられるよ」と話を持ちかけられたのです。ちょうどバイクの免許を取りに教習所に通っていた頃でしたね。思い返すと本当にマイペースで生きてますね、私は。車の免許を取りに行っているわけではないんですよね笑。

さて、その保険会社の営業マンからこんな話を聞かされた私が当時どう思ったのか…書くのも恥ずかしいのですがこう思いました。

こんな私が、正社員になれる…?
しかも地元を出て1人暮らしができる…?

悪くないかもしれない。

で、ろくに考えずに「どれ、試しに就職でもしてみるか」と、紹介されるままに就職したら全然自分に合わない職場だった、というわけです。
さすがに考えなさすぎる!笑

もうお気づきかと思いますが、私の残り少ない自尊心はこの職場で底をつくことになります笑。(いや、笑い事ではないのですが…)

全く馴染めない職場。定時にタイムカードを切らされてから続くサービス残業→平日の睡眠時間が3時間。面白いと思えない仕事。今でも忘れられない飛び交う怒声と罵声。そして過去の喧嘩自慢と陰口が続く飲み会。
思い出すとすごい状況ですね。よく死ななかったな。

そんな毎日から逃げるように、月に1回はバイクに2時間乗って地元に帰っていました。
地元の友達と遊んで、暴飲暴食して、たっぷりと眠る。
それでなんとか1ヶ月仕事に行ける、というような毎日を送っていたのです。

全治3ヶ月の骨折からはじまる入院生活

ただ、それでも心身が回復しなくなっていた11月。ものすごく帰りたくない気持ちがとうとう変わらないまま夜になってしまいました。明日は仕事なので、実家から2時間かけてあの街に帰らなければなりません。
仕方なく、夜の国道をバイクで走ります。

「もしここで事故ったりしたら、仕事に行かなくて済むのにな」

そんな思いで駐車車両を避けながら走っていますと、幸か不幸か(?)駐車車両のうちの1台のドアが突然開きました。誰かがそこから出てくるところまではスローモーションで見えました。
急ブレーキをかけつつも避け切ることが出来なかった私は、脛をドアにぶつけて転倒。バイクは私の前方に向かって横転していき、私はアスファルトの上に投げ出されました。

通行人でしょうか、数人が私を覗き込みながら声をかけてくれます。救急車も呼んでくれているみたい。あと、今まで感じたことのないくらい脚が痛い。うまく呼吸ができない。吐きそう。

救急車に乗せられてからも止まらない過呼吸と悪寒、身体の震え。
「大丈夫ですよ。落ち着いて、深呼吸してくださいね」と優しく声をかけてもらっても、それに応えることもできない。
よくバトル漫画とかで脚が折れてもすぐに立ち上がって敵に向かっていく主人公がいますよね。でもあんなの私には無理。戦う気力が湧くどころか深呼吸すらできないんだから。

「死ぬのかな、俺」

今でも不思議に思うのですが、そのときの私はあんまり慌てたり騒いだりする気持ちにならなかったんですよね。過呼吸が止まらなくて寒い。痛いというよりも苦しい。でもそれだけ。「死ぬのかな、俺」と静かな気持ちで救急車に乗っていました。震えながら救急車の内装とか観察したりして笑。
もしかしたら、毎日が嫌すぎるあまりに「とりあえずこれでしばらくは休める」みたいに思ったのかもしれません。だとしたら思考がやばい。

運んでもらった病院での検査の結果、ドアにぶつけた脛はばっちり骨折していました。当時付き合っていた彼女と親にはその日のうちに連絡し(事故に遭って骨折したが命に別状はない)。翌朝には会社に電話をして事情を伝え(えらい)、友達に連絡してなぜか爆笑され(何がおもろいねん)…
脳の検査やら保険の契約内容の確認やらを高熱にうなされながら進めている中、会社からはなんと自己都合退職させられ(!)、無職の入院生活が始まりました。

警察の方や保険会社の方々と示談を進めながら(交通事故は事故のあとがめちゃ大変なんですよ!)けっこう頑張って松葉杖の使い方を練習し、看護師さんと仲良くなって近所の観光名所の話で盛り上がったり、夜勤で赤くなった目を見て感謝と尊敬の念を抱いたり。
お見舞いに来てくれた友達と他愛もない話をし、仲良くなった同室の患者さんと煙草を吸いに屋上に通う、穏やかな入院生活(本当は禁止されているんですよ!看護師さんも吸いに行っていたけれど!笑)。

強がりでもなんでもなく、けっこう楽しい入院生活でした。
ギプスがあるからお風呂には入れませんでしたが、入院したのが11月と寒かったのでそれほど辛くはありませんでした。ビオレの汗拭きシートには大変お世話になりました。ありがとう。

これからどうするか…いや、これからどうしたい?

今までになくたっぷり眠れる入院生活。適度な運動と栄養バランスに優れた食事。そして潤沢な「暇な時間」。まともに眠ることができた頭はようやくまとまったことを考えられるようになりました。
ちなみに無職になったことについては、なぜかそれほど心配していませんでした。貯金もちょっとはあるしな、くらいに考えていましたね。悠長すぎる。

ただ、今回の事故で学んだことは、月並みですが次の一言に尽きます。

人はいつ死ぬかわからない

人生なんてどうでもいいとか、何やったって無駄だとかいじけたまま、もしかしたらそのまま呆気なく死んでしまうかもしれない。原因は事故だけじゃなくて、病気かもしれないし、災害かもしれない。
極端な話をすれば突然誰かにこの命を奪われる可能性だってある。それは戦争かもしれないし、通り魔かもしれないし、身に覚えのない(少なくとも私には)誰かから向けられた敵意かもしれない。

死んでしまうそのとき、薄れていく意識の中で「あー、やっぱりもっとやりたいことやっておけば良かった」と悔やみたくない(そのとき意識があればだけれども)。

どうせいつかは死ぬのだから、それだけはわかっているのだから、
それが訪れるときがいつかなんて、誰にもわからないのだから、
私がやりたいことをやろう。
私が死ぬまでに、私がやりたいと思うことをやりたいようにやろう。

そんな、漫画とか映画とかでしか聞いたことのない言葉を、私は心の中でモノローグとして灯したのでした。

やりたいことを探す23歳の私

退院、通院、寛解。フリーターに戻る

退院してしばらくしてからギプスを取ってもらったのですが(骨くっつきました。人間の身体ってすごい)、同じ人の脚と思えないくらい左右で太さが違っていました。しかも、その細くなったギプスに覆われていた方の足首はカッチカチに固くなっていて、全然動かせないのです。歩くなんてとんでもない。

まぁリハビリは別に面白いところがないので端折りますが、そこからけっこう頑張って通院しながらリハビリをして、3月にはとりあえず問題なく歩けるようになりました。11月に事故に遭ってすぐ入院したと考えると、けっこうかかりましたね。

体力は過去最低と思えるほど落ちていましたが、また自分の脚で歩くことができるという事実に感動したのを覚えています。リハビリに使っていた川沿いの散歩コースは今でもたまに歩きに行きます。

そして、とりあえず以前働いていた飲食店に戻って働き始めました。理由はもちろん当座のお金を稼ぐためです。
事故に関するお金は保険会社から振り込まれてはいましたが、永遠に続くものではありませんよね。人は生きているだけでお金がかかるのだから、とりあえず働いてお金を稼いでおかないと…積極的に生きたいわけではないけれど。あくまで、とりあえず。

そんな日々を送る中でも「やりたいこと」についてはぼんやりと考えていました。あくまでぼんやりと。
でも、まとまった年数を「人生なんてどうでもいい」と思って過ごしてきた人間が、急に「私がやりたいこととは何なのか」みたいなことを考えるのはとても難しかったです。
それはまるで雲を掴むような、頭の中に立ちこめる濃霧の先にあるものが何であるのかを見定めるようなこと。
体力は次第に元通りにはなり、以前と同じくらいの生活を送れるようになってはいたのですが(身体ってすごいね!)、こちらの進展はさっぱりでした。

親友が語るヨーロッパ5ヵ国を巡る旅の計画

時間は前後しますが、8月のある晩、といっても22時くらいだったでしょうか。
かれこれ10年以上親交のある友達から夜のドライブに誘われました。
彼とは映画や音楽の感想を言い合ったり、一緒に深酒をして2日酔いになったり、たまに喧嘩したりという時間を過ごしてきました。
青臭い表現になりますが、親友というやつです(照)。

彼が運転する軽自動車の助手席に座った私は、ぬるくなった缶コーヒーを飲みながら煙草を吸い、流れていく景色を眺めていました。そして、「車に乗って夜のドライブに出るようになるなんて、俺も大人になったなぁ…」なんて感慨に耽っていました(自分は運転していないくせに)。

そしてこの日、彼から「実はヨーロッパ旅行に行こうと思ってる」という計画を聞かされるのです。予定している期間はなんと3ヶ月!

フランス、イタリア、ドイツ、オーストリア、チェコ。
大学で日本画を学んでいた彼は、ヨーロッパに行って現地の写真を取ったり絵を描いたりしたいと言うのです。そのために時給の高いアルバイトを始めて、一気にお金を貯めていると。

「ああそうそう、ヴェネツィアにも行く予定」

ヴェネツィア…?イタリアの?

camelも行きたがってたよな、ヴェネツィア」
「俺は行くから。ヴェネツィア”も”」

そう言って、彼はちょっと悪い笑い方で笑ったのです。私の性格を知った上で的確に焚き付けてくるところ、高校時代から全然変わってない、こいつ。

いつかっていつ?

そう、彼が言う通り、私は「いつかヴェネツィアに行ってみたい」と彼に語ったことがありました。お酒を飲みながらとか、まぁ酔っ払いの戯言みたいな感じで。
でもそれは「いつか仕事辞めて旅に出たい(辞めない)」とか、そういうときの「いつか」と同じ意味で口にしていました。
「ヴェネツィアでさー、本場のカフェオレを飲んでみたいんだよねー」みたいな。
つまり、それに向けて具体的な行動を取らずにテキトーに言うだけ。実際には何もしない。本当に言うだけ。

寛解した3月。
私は彼が語っていた計画のことを考えていました。彼が笑いながら語ったあの言葉が、まるで時限爆弾のように私の中で音を立てて動き始めていました。

ヨーロッパ旅行。イタリア。ヴェネツィア。

彼とはあれから何度か会いましたが(お見舞いにも来てくれた)、着実に、そして急速にお金を貯めている様子でした。このままいけば、彼は今夏にはパリにいるかもしれない…かもしれないじゃなくて、彼なら確実にいるだろう。そして、ヨーロッパを巡る旅を3ヶ月続けて日本に帰ってくるのだろう。すごいな。本当に。

…私は?

「いつかヴェネツィアに行ってみたい」

…いつかっていつ?

時間は…ある。仕事は(不本意な形だけれども)辞めた。今の勤め先はシフト制だから、休み希望を出せば長期間でも全然休める。
お金は…ちょっとはある。保険会社から振り込まれたお金が30万円くらいある。将来のことを考えたら気軽には使えないけれど、理由があれば使うべきなのがお金だと思う。

あとは?
あと足りないものって何がある?
いや、いっぱいあるんだろうけれど、そんなのは決めてからでもなんとかなる。

じゃあ決めた。

私はヴェネツィアに行く。


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