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繊細すぎて生きづらい〜私はHSP漫画家〜

 先日投稿した記事の中で少し触れましたが、読みました。

 家から出ることができない状況になったことは、「外に出る」自由を制限されていて息苦しく感じるのですが、家にいること自体は好きなので割と楽しく生活しています。本を読んだり映画観たりして。

 そういうわけで最近は読書と涙活、そして来るべきトレッキング挑戦に向けて登山用品の選定をして日々を過ごしています。筋トレはサボりがち。走ったり泳いだりできないからいいかげん飽きてきた。

 さて、こちらの本を私はKindleで購入して読みました。理由は外に出なくても買えることと、値段が安いこと、そしてダウンロードしておけば「いつも持ち歩いている状態」にできることの3点です。

 表紙の色が綺麗だったので紙の書籍で買おうか迷いましたが、今後出先でちょっと読み返したりすることも考えると、この「いつも持ち歩いている状態」というのは大変便利な気がしまして。まだ外に出て読んでいないので想像ですが。

「HSP」とは何か?

 それについてはこの本に書いてあるので読んでください(乱暴な宣伝)。

 というのも、素人である私が最近知った言葉であるそれを知ったかぶって説明しても誤解を生みそうですし、迷惑なので。

 でも面白いし、ためになるし、読んでほしい。。。

 ということで予め「HSP」についてのあれこれを知りたい方向けに、著者のおがたちえさんと監修を務められたみさきじゅりさんのページを貼っておきます。

 まずは私というフィルターを通さずにおふたりのページを読まれた方がいいと思うので(丸投げ)。

 ※さて、ここから先はあくまで「キャメルが考えたこと」ですので、言ってみればただの感想です。

 私が持っている専門知識なんてないし、本を読んだ感想から想起した自分の経験と、それにまつわる思いを(主に転職関係)書いているだけです。

 ですので、「HSP」について専門的に学んだからすれば「この人の解釈は間違っている」というものがあると思います。でもそれについてはどうか「この人はそう解釈したんだな」と思ってもらえると助かります。

 私にとっての「読書」とは、知識を学んでいく方法というよりは、その本を読んだ私が何を感じ、何を考えたかということだと捉えているので…という予防線を張っておきます。。。

 それに、なんといっても本なんて自分で読むのが1番ですよ(身も蓋もない!)!

 私自身について言えば、たぶん「HSP」の傾向がある方の人間なんだと思います。

 全部が全部当てはまるわけではないけれど、まさにコレのことだ!と思い浮かぶ幾多の出来事。。。

 とはいえ「HSP」と一口に言っても様々なタイプがあるらしく、当てはまる項目があったりなかったりするものなのだとか。

 それでも私には「それわかる!」「え、これって私だけじゃないんだ…」と思うことが多かったです。

 ですので、共感できるところが多い人にとっては、「自分だけじゃないんだ!」と励まされることの多い本ではないかと思います。

 共感ベースで「うんうん」「わかるわかる」という頷きと「あれってそういうことだったの…?」という気づきがたくさんありましたから。

 というのも、私自身の経験で言えば「どうして『普通』のことができないんだろう」という思いが1番辛かったからです。

 たぶん『普通のこと』という言葉に振り回されていた気がします。反省とか自責とかではなく単に思い返す事実として。それが辛かったなぁ、ほんと。

 感性が人と違うことは別にいいんです。自分が好きなものを人が好きじゃなくてもいいんです。

 みんなが盛り上がっている話題に入れなくてもいいんです。だんだん「そういうものだ」と流せるようになるから。

 でも「一生懸命やっているのに『普通のこと』ができない」という思いは本当に辛い。辛いんですよ。。。

 手を抜いているわけじゃない。むしろものすごく真剣に取り組んでいる。でも近くで監視されたりすると手が止まってしまうし、それを「自信を持って取り組んでいれば人の視線なんか気にならなくなる」と叱られたりするのが辛かった。

 自信?

 自信なんてないよ。絶対成功する確信なんてあるわけがない。私はそそっかしいし、抜けてるってことを今までの経験で自分で嫌になるくらいわかっているから。

 そんな私がやる作業なんだから、せめて失敗の確率を下げるために精一杯気をつけて、確認して、それで人よりも時間がかかっても、少しずつ進めていくことしかできないんじゃないか。。。

 でもそうやって「気をつけて、確認して」って頑張るほど空回っている気がしていたし、しかもあんなに(気をつけて、時間もかけて)確認したのに、「どこかでミスしていた」なんてことは割と合って。

 さらに「他の人は時間もかかっていないのにミスしていない」なんて余計に追い込まれることも割と合って。

「私はみんなと違って要領良くないんだし、愚直に真摯に取り組んでいくしかないんだ」という思い。

「こんなに気をつけていたのにどうして…」という思い。

「私はこんなことすらできないのか」という思い。

 やりきれなかった。真剣にやっている(と自分では思っている…)分、「それでもうまくいかない」という結果を見つめることの辛さ(これも『限界』が来るまで見つめてしまうんです…)。

 そんな思いを繰り返すたびに自分をすり減らしていく。摩耗。消耗。

 馬鹿にされても、見下されても、「できない自分が悪いんだ」と自分を責める。 

 それが行き着く先。

「ああ、私は『普通のこと』すらできないんだ」

「じゃあ他に向いている仕事はあるんだろうか」

「いやいや、『普通のことすらできない』私が就ける仕事なんて他にないだろう」

「え、だったら私はずっとこのまま、こうして生きていくしかないのか」

 という思いに膨らんで、「だったら・・・」と生きていくことをやめたくもなりました。いや、わかってるんですよ、極端だってことは。。。

 なんというか、この先のことを考えるとどうしてもうまくいく気がしなかったんですよね(先のことを考えてしまうのも「HSP」あるあるだとか)。

 いや、今も別にうまくいく気はしていないんですけど、もっと追い詰められていたというか。

 周りから言われた言葉も辛かったですね。

「じゃあ転職するの?無理じゃない?」とか「新卒だって苦労してるらしいよ」とか。

 でもあるとき、そこでガクガク震える膝を手で押さえて踏ん張って「ここは私がいるべき場所じゃない!」「ここにこれ以上いたら私はダメになってしまう!」と奮起しました。

 たぶん本能的な「ここを離れろ」という命令が「でもうまくいかないかも…」という不安を超えた力で私を動かしたんだと思います(危険を感じやすい「HSP」あるある?)。

 頭に浮かんでくる、そんな大小様々なネガティヴを力づくで押し込んで、転職活動に踏み切った自分を褒めてあげたいです。働きながらの転職活動ははっきり言ってものすごくしんどいですし、気が散って疲れましたが。やってよかったです。

 ありがとう私の本能!

 しかし、実際に働きながら転職活動をしていると体力や気力もバランス悪く消耗するし、体調は頻繁に崩すし。

 気持ちとしては転職活躍に集中しなければいけない、集中したいと思っているのに、でも現職の方にも(どうせ辞めるのに)迷惑をかけたくない…!とてんやわんやでした。「そこ気にする?」と言われるあるある。。。

 めんどくせぇな、私!と振り切れる日もあったのですが、それは1回限界を超えたあとというか。「もう今日は何もしたくない」とベッドの上から動けない日の次の日くらいにようやく来て。

 そんな自分を「こんな自分ではいけない」「怠けてる」「だからダメなんだ」と自分で責めて責めて、ベッドの上から動けなくなって。

 翌日になって「でもやるしかない」と起き上がって仕事に行き、職務経歴書を書く。

 思い出したら辛くなってきた。でも、書きたい。読んでほしいから。

 でもそんな辛さを経験したから思うこともあります。

 私は周りの人から「すぐに仕事を辞める奴は根性なし」「そんな奴はどこに行っても中途半端」と脅され続けてきましたが、それらの『全部が間違い』だとは思いません。

 『全部正しい』とも思いませんが。

 何かひとつの法則や定説が全てに適応できるわけがないと思います、今となっては。今だったら「うるせぇ」と聞く耳を持たないこともできるのですが。

 でも失敗続きで自信がなくなっていると、そういう「強い言葉」に捕まってしまうこともあると思います。

 というか、私自身の経験でいえば捕まってばっかりです。嫌なんだけど、聞いたら気分が悪くなることもわかっているんだけど、立ち止まって聞いてしまうんですよ。。。こちらから立ち去ることもできずに。

 そんなあれやこれやを今までの人生で経験した私にとって、この本の存在は嬉しかったです。

 存在だけでなく、この本が出版されている世界に生きているということも嬉しかった。死ななくてよかった。

 おがたちえさんやみさきじゅりさんのような人がこの本を出してくれたことも嬉しい。言葉にしにくい葛藤や不安を抱えながらも描いて(書いて)くれたわけですから。

 あと、「HSP」的な傾向を持った子ども(「HSC」と呼ばれているそうです)を育てている方にもおすすめの本です。

 「どうしてうちの子はこんなに神経質なの?」とか「心配性すぎてこっちも心配になる」とかいう経験のある方に、

 というかタイムマシンに乗って私と私の両親に読ませたい。。。

 ある晩ふと「死んだらどうなるんだろう・・・」」と考え始めて、どんどん不安になっていって、親に隠れてひとりで泣いていた5歳の私。しかも答えは出なかった(今も出ていない)。

 無視されたり、殴られたり、「死んだ方が世の中のためだ」「お前なんて生きている価値ない」と人格やらなんやらを否定され続けた20歳頃の私。

 今すぐそこから逃げていいんだぞ(時間はかかったけれど逃げられた)。

…人格否定してくる人ってなんなんですかね、ほんとうに…この本に出てくる版画家を私は捻り潰したい。

 だからこそ。

 今「辛い」と感じている人に「それ、めっちゃわかるぞ」と私は言いたい。

 いじめられている人に「そういう鈍感で無神経な奴らの言う言葉で傷つくあなたは少しも悪くない」と私は言いたい。

 我慢することもときには必要なんだけど、繊細すぎるあなたは誰に言われなくても(すでにかなり)我慢しているんだから、それ、やめちゃっていいんだぞと。

 たぶん、「我慢しなくていいや」と思うくらいでちょうどいいのではないかと。

…いや、私だって今も昔あったことを思い出して辛くなることあるけどさ。。。いっぱいあるけどさ。今だって別に生きづらさを感じないわけじゃないけどさ。。。

 生きづらさMAXのところから逃げ出したらけっこう毎日楽しいぞ。生きるって案外悪くないかもしれんと思うぞ。

 繊細な自分を認めて、「自分のために生きよう」と舵を切ったら自分が主人公。

 いらんこと言ってくる奴らなんかみんな脇役やぞ。

 なんてな!

 窓から見える青空を見ながら、今の私はそんな風に思うんです。

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