戦後平和主義の「悪影響」を除くには?
【0.はじめに】
2022年2月24日の「ロシアによるウクライナ侵攻」から1年を控えた2023年2月22日、朝日新聞の国際ニュース専門サイト「GLOBE+」に以下の記事が掲載されました。
『ウクライナ侵攻、「戦え一択」にかき消される即時停戦の声 被爆地・広島からの訴え』
この記事は「戦後平和主義」の悪いところが詰まったような記事であり、私にはとても賛同できるものではありません。
この記事に対する評価としては、ウクライナ在住のジャーナリスト「平野高志」氏の意見に賛同します。
なぜこの朝日新聞の記事に賛同できないのか?
私の方でも理由を語りたいと思います。
【1.「戦争反対」と言えば良いのでは?】
朝日新聞の記事には、『論壇主流の「戦え一択」の前では、双方の妥協と交渉が前提となる即時停戦の声はかき消され、戦争反対の声さえ上げづらい状況になっている』とあります。
確かに「即時停戦」は言いづらいかもしれませんが、「戦争反対」は言えますよ。
平野高志氏が仰る通り、「ロシアに対して」戦争反対を言えば良いのです。
そして「即時停戦」を言いづらいのは、それがウクライナ人にとって「酷いこと」だからです。
その自覚もなく即時停戦を言い出すのは、ひどく「上から目線」であり「傲慢」だと感じます。
ここで国際社会の「建前」「原理原則」をおさらいします。
国際社会の重要な原理原則に「主権平等の原則」があります。
大国だろうが小国だろうが「主権国家」は平等であるという原則です。
それ故、ある国が他国の主権を侵害することはできません。
現在、ウクライナはロシアの侵略に対して「自衛権」を行使して戦闘を続けています。
自衛権の行使は「主権」の範疇であり、各国に与えられた正当な権利です。
その正当な権利の行使を、他国が「止めろ」と言うことはできません。
つまり他国がウクライナに対して「戦争反対」と言うのは、ウクライナの「主権侵害」にあたります。
一方ロシアは武力をもってウクライナに侵攻しました。
これは国連憲章に定める「武力不行使原則」に反します。
朝日新聞の記事では『軍備増強や同盟化への動きが結果的に相手の先制攻撃を招いてしまった』とありますが、そのような事情があれば武力行使が容認されるわけではありません。
上記のような武力行使は「予防戦争」とも呼ばれます。
予防戦争は国際法違反の可能性が非常に強い行為であり正当化はかなり困難です。
しかもロシアのウクライナ侵攻は予防戦争とさえも言いがたいものです。
ロシアのプーチン大統領はウクライナへの「領土的野心」をあらわにしています。
ロシアのウクライナ侵攻は、普通に「侵略戦争」と見なせるでしょうね。
したがって、ロシアに対して「戦争反対」と言うのは『国際社会の原理原則を守れ』ということであり、主権侵害にはあたりません。
戦争反対と言いたいのならば、ロシアに対して「全身全霊」で叫びましょう。
【2.侵攻された側に対して落としどころを問うのは酷】
次に「即時停戦」を言うことが、なぜウクライナ人にとって「酷いこと」なのか語っていきたいと思います。
理由を一言で言えば、『大多数の日本人は当事者でないから』ですね。
現在ウクライナで人的・物的にひどい被害が出ていることは確かです。
国連人権高等弁務官事務所の発表では、過去1年間の民間人の死傷者は「2万人」強。
しかしロシアが占領した地域での死傷者を確認できていないため、実際の死傷者は「10万人」近いとも言われています。
確かにひどい状況ですが、「ロシアに占領されていない地域」での死傷者は「全体の約20%」です。
つまりウクライナ軍が頑張ってロシア軍を押しとどめていることで、死傷者を抑えているとも言えます。
そしてロシアの占領地では「暴行」「略奪」「強制連行」など、ひどい人権侵害も報告されています。
現時点で「即時停戦」することは、ロシア占領地での民間人の死傷者や人権侵害を「見えにくくする」懸念もあります。
朝日新聞の記事にもこのように書かれています。
ウクライナは民主主義国であり、主権はウクライナ人にあります。
「どの程度の被害を許容」し主権である「自衛権を行使して何を守る」かは『ウクライナの人が決めること』であり、同時に『ウクライナ人しか決められないこと』なのです。
ウクライナの惨状に心を痛めている人もいますが、大多数の日本人は「戦火で焼かれる」わけでも「占領地で人権侵害にあう」わけでもありません。
どこまでもいっても「部外者」なのです。
故に「自らの心の平安を得る」ためにウクライナに「即時停戦」を言うのは、他人事であり「無責任」と感じます。
真剣にウクライナの人たちについて考え、ベストと思われる提案をしつもりでも、ウクライナ側から見れば「大きなお世話」に映るかもしれません。
親や兄弟、親しい友人ならまだしも、よく知らない部外者から『貴方のためを思って』と言われても、私なら『何様のつもりだ!』と言いたくなります。
結局、国際政治学が専門の筑波大学教授「東野篤子」氏の仰る通りだと思います。
『ウクライナのことはウクライナの主権者であるウクライナ人が決めること』
部外者であり民主主義国である日本は、この大原則を守る必要があります。
「即時停戦」と言いたいのならば、これも同じくロシアに言いましょう。
『即時に「クリミア併合前(2014年)」の国境線まで下がって停戦せよ』と。
これが現状「最善の即時停戦」だと思います。
【3.声をかき消されているのは誰?】
『ウクライナのことはウクライナの主権者であるウクライナ人が決めること』
これが「主権平等の原則」をとる国際社会の原理原則です。
しかし朝日新聞の記事では「ウクライナ人の声」は取り上げられていません。
なぜウクライナ人の声を取り上げないのか?
自分たちの主張に都合が悪いから?
声をかき消されているのは、いったい「誰」なのか?
朝日新聞の記者に問いたくなりますね。
せっかくなので「ウクライナ人の声」を聴いてみましょう。
昨年2022年12月の世論調査では、85%の人が『領土を譲歩すべきでない』と答えていています。
軍事侵攻が長期化するなかでも、多くの人が政府の「徹底抗戦」を支持する考えを示しています。
また昨年8月に、日本に避難してきたウクライナの学生と日本の中高生との対話で、以下のような意見が出ました。
これらはごく一部の声なので、もちろん違う声もあると思います。
しかし朝日新聞の記事には、ウクライナ人の「違う声」も全く取り上げられていません。
これはどうしても「都合が悪いからかき消した」と邪推したくなりますね。
先ほどはウクライナのロシア占領地での「人権侵害」を取り上げましたが、ロシア軍はそれだけでなく「文化財破壊」も行っています。
これに対するウクライナ人の声は次の通りです。
ロシアの占領地を残して停戦すれば、そこにいるウクライナ人の「生命」や「生活」だけでなく、「文化」も「歴史」も奪われる。
ウクライナ人はそのように危惧しています。
2023年2月24日にロシアがウクライナへの軍事侵攻を始めて1年となるのに合わせて、国連総会で「ロシア軍の即時撤退」と「ウクライナでの永続的な平和」などを求める決議案の採決が行なわれました。
その中で「デンマーク代表」が語った通りだと思います。
そう、下手に「戦うのを止めれば」、文化や歴史も含めて文字通り「ウクライナがなくなる」のです。
どうしたらこれを防げるのか?
それが停戦に向けての大きな課題であり、即時停戦の前にクリアすべき問題です。
【4.高すぎる「岸田外交」への評価】
朝日新聞の記事には、岸田首相への「要求」が記されています。
いや、いくらなんでも「岸田外交」への評価が高すぎるのでは?
私は「わりと」日本政府を信頼している方だと思いますが、ここまで政府を信頼できません。
まあ『日本外交の矜持を示してくださること』とあるので、結果は問わず、
とりあえず『停戦に向けて何か「やってる感」を出してくれ』という要求かもしれませんね。
それなら岸田首相でも可能かもしれません。
しかしそれなら、今までの「立派な人道主義」っぽいご説は何だったの?と思ってしまいます。
ウクライナでの停戦に向けて、何か具体的な「成果」を出してもらいたいのではなかったの?
朝日新聞の記事には『ウクライナがロシアに完全勝利することは本当に可能なのか』『ウクライナのNATO加盟やクリミア奪還は本当に現実的なのか』
とありますが、岸田首相にしているような「曖昧模糊」な要求を満たす方がよほど困難と感じます。
停戦に向けての「具体的な成果」を出して欲しいのならば、それこそ「具体的な要求」が必要だと思います。
朝日新聞の記事からは『我々の好む「やってる感」を出してくれ』としか読み取れません。
停戦に向けて、本当に真面目に考えているのでしょうか?
【5.停戦が国際秩序を壊す?】
仕方がないので、私がウクライナでの停戦に向けて具体的にどのような方法があるか考えてみます。
ポイントは『ウクライナ人たちの「安全」「自由」「人権」をいかに保障するか』です。
「ミンスク合意」が失敗したため、ウクライナ人たちの停戦に対する不信感はかなりのものだと思います。
よほど練り上げられた停戦案でないと、受け入れは難しいでしょう。
因みにロシア側の要求は考慮しません。
ロシアは国際社会の原理原則を破った方です、ロシアの立場を考慮する必要はないと考えています。
考えられるとすれば、朝鮮半島のように「軍事境界線」を定めることでしょうね。
ざっくりですが、東から「ルハシンク」→「ドネツク」→「メリトポリ」→「アルムヤンスク」を結ぶ辺りにラインを引いてみましょうか。
まず軍事境界線の南北にウクライナ軍とロシア軍を移動させます。
次に軍事境界線に沿って幅数十㎞の「非武装地帯」を設け、基本的に民間人は立ち入り禁止とします。
そして武力衝突を避けるために、非武装地帯には数万人規模の「国連緊急軍」を駐留させます。
これによって「停戦破り」を阻止し、ウクライナの「安全」を確保します。
続いてウクライナ国内のロシア占領地に「国連平和維持軍」を駐留させ、人権侵害の監視、人道救援、戦争犯罪の調査等を行います。
さらにロシア占領地からの移住を希望する住人には、ウクライナ西部への移住を受け入れます。
これによってウクライナ人たちの「自由」と「人権」を保障します。
・・・自分で書いておいてなんですが、あまりの「実現性の低さ」に愕然としますね。
第一、国連平和維持活動には「国連安全保障理事会」の決議が必要ですが、ロシアはその常任理事国です。
ロシアが拒否権を発動すれば実施できません。
またロシアが拒否権を発動せず国連平和維持活動が実施できたとして、「国連緊急軍」「国連平和維持軍」の主力は欧米などNATO諸国ではなく「インド」「中国」になると思います。
彼らがロシアに「配慮」せず、どれだけウクライナ人のために活動してくれるかに平和維持活動の成否がかかってくると思います。
まあ、朝日新聞の記事で即時停戦を訴えている方々はこんな難しいことは考えていないでしょうね。
「G7」諸国が一致して、「支援」を盾に有無を言わせずウクライナに停戦をのませればいい。
そのような考えが透けて見えます。
しかし、それではナチスドイツに対して「チェコ割譲」を認めた「ミュンヘン会議」の二の舞になってしまいます。
ミュンヘン会議は「イギリス」「フランス」「ドイツ」「イタリア」の4ヵ国代表が話し合い、当事者の「チェコスロバキア」は蚊帳の外に置かれました。
そしてミュンヘン会議の結果が「第2次世界大戦」につながります。
この時の反省から「主権平等の原則」が国際社会の重要な原理原則となりました。
このことは国連憲章にも明記されています。
ウクライナの意向を無視してG7やロシアなどの「大国」だけで停戦を決めることは、主権平等の原則という「国連の基礎」を壊すことにつながります。
最初に紹介した平野高志氏の意見の『国際秩序が破綻し』とはこのことを指していると思われます。
ウクライナの停戦は、当事者でない日本がイニシアティブをとって勝手に決められるものではないのです。
【6.人はパンのみにて生きるにあらず】
朝日新聞の記事では『なぜ、自由と民主主義と人権を標榜するはずの西側諸国が即時停戦と即時交渉を堂々と叫ばないのだろうか』とありますが、私には西側諸国の態度は当然のことと思います。
「人命第一」が人類の普遍的原則というのはその通りですが、それだけではないのです。
約2000年前に「イエス・キリスト」ことナザレのイエスは、自分を誘惑する悪魔にこう答えました。
この言葉は本来は『人間が生きていくためには「神の言葉(信仰)」が必要である』という意味ですが、現在では以下のように解釈されています。
この「精神的な満足感」を得るために必須なものが「精神的自由」ですね。
精神的自由とは「思想・良心の自由」「言論・表現の自由」「信仰の自由」「学問の自由」などです。
これらを保障するために生まれたのが「人権思想」です。
そして人権思想は「民主主義」の基礎となりました。
民主主義国を名乗る以上、一定レベルの人権は保障されます。
正確に言えば、国家は一定レベルの人権を保障するために「頑張る」義務があるのです。
逆に『自分たちは民主主義国だ』という意識が薄ければ、『自由や人権のために頑張らなくてもいいじゃん』『とりあえず生きてりゃいいじゃん』となるかもしれませんね。
G7をはじめとする西側諸国は、大半が民主主義国です。
建前だけも民主主義国を名乗る以上、人権を守ってくれそうにない相手に対して「頑張らない」という選択肢はあり得ないと思っています。
これが「西側諸国が即時停戦と即時交渉を堂々と叫ばない」理由だと思います。
時と場合によっては人権より人命第一を優先しなければならないケースもあると思いますが、それを選択するのはあくまでも当事者です。
部外者が当事者に「奴隷の平和」を押し付けることは、ひどく「上から目線」であり「傲慢」だと感じます。
【7.結論 戦後平和主義の「悪影響」を除くには】
ここまで見てきた通り、ウクライナでの「即時停戦」には「ウクライナ人の声」を無視することができません。
しかし、朝日新聞の記事では「自分たちの都合」ばかり取り上げ「ウクライナ人の声」をかき消しているように感じます。
「戦争反対」も「即時停戦」も気にせず言えばいいんですよ、「ロシア」に向かってね。
なぜそれが言えないのか?
そこに戦後平和主義の「悪影響」を感じます。
戦後平和主義は「平和」という言葉の概念を狭くとらえ、その狭い範囲内で「平和」を実現しようとした思想だと感じます。
この思想は一定の効果もあったと思いますが、弊害も生みました。
自分たちの考える「平和」の範疇から外れたものを想定できなくなったのです。
自分たちの考える「平和」の範疇から外れたものに対して、戦後平和主義はどのように対処したか?
私には「軍国主義者」「戦争法案」などの「レッテル」を張って、ひたすら「見えなく」していたように感じます。
ウクライナに対する「即時停戦」要求も、その延長線上にあると感じます。
彼らは『戦争をなくしたい』というよりは、『戦争を「見えなく」したい』と願っているように思えます。
『とりあえず戦争が自分の視界に入らなければ「平和になった」ような気がする』
そのような態度を戦争の当事者に向けることは、ひどく偽善的で傲慢だと感じます。
私はマンガ「BLACK LAGOON」に登場した悪徳警官のセリフを思い出しました。
この戦後平和主義の「悪影響」を除くには何が必要か?
私は平和主義の「相対化」が必要だと思います。
平和を願っているのは戦後平和主義者だけではありません。
彼らとは違う考え方を持ち、違う方法で平和を実現しようとしてきた人たちもいます。
戦後平和主義が「絶対」ではないのです。
自分たちと違う考えを持つ人がいることを認める、これは平和についても人権についても大切なことです。
まずはここからはじめましょう。
そして次に国際社会の「建前」「原理原則」を守ることでしょうね。
「建前」「原理原則」だけでは人はついてこれませんが、建前を放り投げてしまって良いわけではありません。
建前に守ってもらうためには、やはり「建前を守る」必要があるのです。
自分たちが絶対ではない、自分たちと違う考えを認める。
その上で、建前や原理原則を守りつつ「平和」を実現する知恵が必要です。
ここからスタートしましょう。
【8.おまけ 「僕らはなんて、矛盾ばっかなんだ」】
最後に一曲
アニメ「進撃の巨人 The Final Season Part2」ED
ヒグチアイ カバー 「凪原涼菜」
「悪魔の子」
歌詞にある通り、『世界は残酷』で『僕らは矛盾ばっか』です。
それでも『なにを犠牲にしても』愛したい人や守りたい物があるのです。
だから絶望の中でも希望を見いだして、人は立ち上がり前に進むのだと思います。