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それでも 自責する理由

世の中では、『何かを 継続』できる事は
すばらしくって、尊いって言うか えらいのだ

そんな風に 評価されている

そんな習慣が、いつか その人のチカラに なるから

そう 言われている


でも、続けてこれた事 なんて あったかな?
そう ふりかえってみた時に

思い浮かぶのは

『 自分へのダメ出し 』

  ~ しなくっちゃ
  ~ でなくては、いけない
  ~ であるべき、だったのに・はずなのに


そう 思いこんで にぎりしめて 苦しくなって
毎度、にげては 責め続けた

でも、自分が嫌になるばかりで
ちっとも『理想のじぶん』に、変わる事はできなかった

できないところ 至らない部分ばかりが 目について
『できているように見える』他人が うらやましくって


自己嫌悪・自己憐憫 を続けて
そういうじぶんが ますます 嫌になった


環境を変えれば うまく行くはず
自分をたたきのめしながら、逃げ出して
あたらしい所に 行ってはみたが
何か 自分をごまかしている様な
そんな気になって、


だれにも 責められてなんかいないのに
かってに 『その場に 居づらさ』を 作り出した


じぶんの 味方で いたいのだが
そのじぶんを 嫌っている


役に立たない、認められない にんげんだ
どこにいっても くりかえしだ


そう 思って 苦しくなる

小さく 小さく 固まっていって

いつか 小さな点になって

そのまま きえてしまえば ラクなのに


なんで、それでも 肉体は存在しているのかな
どうして こころは 存在しているのかな


感覚が なければ、こころが なければ
いっそ ラクになれるのに


でも、こころも 感覚も なくならない
ずっと ずっと 一緒にいつづける


世の中でいう 『生きづらさ』?

いや

じぶんで 作り出した 苦しさだ

 
きっと、
 ~ できれば、
 ~ に なれれば、
 ~ で あれば、


きっと、きっと その苦しさは 無くなるはずだ

そう 思いながら、できていない

そう 思いながら、じぶんを責め続ける

ずっと ずっと ずっと ずっと
それを 続けてきて

ヘトヘトに なって
どこかに 答えがあるはず って
本とか サイトとか 動画とか
人に 話を聞いてみたり 


でも、
同じように 感じている人は 見つからなくって
わかってもらう事を あきらめた


説明するのも いたたまれなくなって

『 きっと他の人は、こんな事で 悩んだりしないんだ 』
『きっと 自分だけが ヘンなんだ』

異分子なんだ。

そう 思うと楽だった


同じような 経験をした人が いたとしても
同じように 感じるとは かぎらないから

その人 その人の 世界の中で、みんな 生きている 
その人がもつ 価値観の中で 見える世界

ただ みんな そこを生きている

だから、おんなじ世界に いるようで
みんな べつの世界を みているんだ


『自分を責める事』が やめられないのは、

ほんとうは、
自分を 悲しみたいんじゃない
そうやって 自分を罰したいわけでも ない


ただ、ただ、ただ、
こんな自分でも 安心して 生きたいだけだ
おだやかに すごして いたいんだ
笑って いたいんだ


ただ その事だけを あきらめたくは ないだけだ


知らず 知らず 続けてしまっている事
どうしても 手放せない こだわり


きっと そこには 『鍵』がある


じぶんが 本当に もとめていることの 鍵だ


だって、
だって、
だって、

ほんとうは わらって すごしたいから
ほんとうは 笑顔で 生きたいから
そうやって 暮らしていきたいんだ

そんな 時間を もちたいんだ

そういう 世界を 生きたいんだ


それが わたしの 本当のねがい だったんだ




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