見出し画像

わたしの知らない世界で今日も。

何度か訪れたことがある韓国。

慣れてきたとはいえ、毎回行く場所が違えば、感じる雰囲気も違う。

その度、自分は本当に小さな箱の中でしか生きていないんだと思い知る。

知らない言語、知らない文化、知らない食べ物、知らない人々。

この人たちの普通が、わたしの中では普通でなくて、

わたしの普通が、この人たちの普通ではない。

どれも間違いでもなければ、正解でもない。

「そういうもの」として、受け入れるだけ。


でも、こうして新しい発見があるたび、こそばゆい気持ちになる。

わたしの知らない世界では、当たり前に数え切れないほどの人や街や文化があって、それぞれの秩序の中で必死に同じように生きている。

日本の大阪という街で生まれ育ち、東京で数年暮らした経験しかないわたしには、到底想像もつかない人生を歩んでいる人がいるんだ、と。

その事実をほとんど知ることも感じることもなく、ただ自分の周りの環境だけに目を向けて悩んだり苦しんだりするのは、本当にもったいない、もっと外を見なさいよ、と自分自身が諭されてるような感覚になる。

実際、こそばゆくて居心地が悪い気持ちになるとともに、

一瞬にして心が解放されるような感覚も覚える。

ああ、わたしは今がやっぱり窮屈なんだな、と再確認する。

何一つ今の人生に不満も後悔もないけれど、きっと、もっと知らない世界を観たがっているんだ。


今回の韓国での滞在で、自分のことをもっとよく理解した気がした。

韓国に限ったわけではないけれど、違う国へ行くということは、わたしの人生がいかに狭く、固定概念に囚われた生き方をしているかを肌で感じさせてくれる最高の機会だ。

わたしの知らない世界で生きる人々が、今日も同じように息をしているという事実が、少しだけ、今日のわたしにゆとりを与えてくれた。


もっと、もっと、生きている間に、心ゆさぶられるような、そんな体験がしたい。



この記事が参加している募集

一度は行きたいあの場所

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?