緊急事態宣言のさなかに本を出して、思うこと【芹沢政信】
小説家は世界の終わりをよく使う。
設定としてわかりやすくて便利だし、なによりドラマチックだから。
だけど現実に世界の終わりらしきものがやってくると、その静けさと残酷さに戸惑ってしまった。なにせ速度がゆっくりなのだ。一瞬にして地球がぽんと弾けたりすることはなく、じりじりと壁際に追い詰められている。
こんなうす気味悪い終わり方を、ぼくは小説の設定に使いたくはない。
世界の終わりはなかなか終わらない。終わらないのに終わっていく。
終わったことを実感させられながら、終わらない世界を生きていく。
去年の暮れくらいから、大体そんな気分だった。
ニュースを見れば感染者数はうなぎのぼりに増えていて、なんとも不穏な気配を漂わせていた。気が気じゃない。まさしく世界の終わりが迫ってきているような感覚だ。1年ぶりの新刊の発売が間近に控えていて、もし緊急事態宣言でも発令されようものなら、ダイレクトに影響を受ける。誰もが外に出なければ、ぼくの本が人の目に触れる機会が減ってしまう。このときのために必死に準備してきたのに、スタートラインに立つ前から終わってしまうかもしれない。そんなのは嫌だ、誰かなんとかしてくれ!
しかし緊急事態宣言はやってきた。いざそのときを迎えてみると、誰も助けてくれないわけじゃなくて、誰もが助けを求めていることに気づいてしまう。
自分と同じように一月に新刊を出す小説家や漫画家が陰鬱なツイートを呟き、驚くほどあっさりと学生の頃から使っていたスーパーが潰れ、ショッピングモールはガラガラになり、楽しみにしていたアニメ映画の公開は延期されてしまう。
今さらながら、去年の春頃から追い詰められていた人たちの気持ちがわかった。
飲食店の、旅館やホテルの、劇場やライブハウスの。
そしてなにより、前線で耐え忍んでいる医療従事者の。
今まではわかった気になっていただけだった。
いや、今だってまだわかっていないのかもしれない。
それを言ったらこの災禍で家族を亡くした人の、実際に罹って苦しんでいる人の、後遺症に苦しんでいる人の、不幸にも命を落としてしまった人の気持ちなんて、今のぼくにわかろうはずもない。想像することしかできなくて、想像するだけですんでいるというのは、自分がまだ幸運な立場にいるということなのだ。
自分より苦境に立たされている人がたくさんいるのだから、不幸に酔うことだってできやしない。余裕がなくなってくるとどんどん自分本位になってきて、そのことに気づいて自己嫌悪に陥ってしまう。ぼくは物語の主人公にはなれない。どこまでもみみっちいモブである。現実にやってきた世界の終わりは、そんな事実まで可視化していく。
ぼくは物語の主人公みたいになりたくて、誰かに優しくできるようになりたくて、苦しんでいる人を元気づけられるようになりたくて、世界を救えるような力が欲しくて、だから部屋の隅でしくしくと泣きながら、ままならない現実に怒りと不安をぶつけながら、性懲りもなく、誰かに届くかどうかもわからない小説を書いているのだろうか。
今やこの世界のどこにも逃げる場所がなくて、現実と向き合わなくちゃいけなくて、でもそれだけじゃ疲れてしまうから、せめて物語の中で安心したくて、楽しくなりたくて、ぼくもまた誰かの小説を読みたいと、そう願っているのだろうか。
わからない。
わからないけど、ぼくはまだ、物語の力を信じている。
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