見出し画像

なぜ、地方出身の大学生が休学し、米・ポートランドのコミニュティカレッジに留学することにしたのか。

ついに、アメリカ出国まで5月の1ヶ月間、毎日続けてきたnoteも、最終日を迎えました。

これで「書く」を辞めるわけではないけど、とりあえず、気持ちは一区切りがつく感じが、します。ここまで読んでくださったみなさん、いろんなギフトをくださったみなさん、本当に、ありがとうございました!

最後、何を書こうか考えましたが、やっぱり、これ一択でした。

なぜ、地方の女子大生が4年を休学し、米・ポートランドのコミニュティカレッジに留学することにしたのか。

私の留学は、交換留学でもなく、大学留学でもなく、インターンでもない。
そんな一風変わった、不思議な留学に、なりそうです。

自分の今の思考を整理しておくためにも、今日は、このテーマで書こうと思います。初めて一連の流れをこうやって書くのに、ちょっと、緊張。

きっときっと長くなるけれど、最後まで、めいっぱい、本当の気持ちで、書きたいです。宜しくお願いします!

なぜ、4年生を休学し、留学をするのか? 一言でいうと?

一言でいうと、自分の海外への思いと海外への縁、今までやってきたことが、このタイミングで、全て重なったからです。

いつの間にか、「海外に行く!」「海外で、人の役に立つ仕事をする!」「旅をする!」というのは、私の小さな頃からの、変わらない夢になっていました。テレビの影響なのか、本の影響なのか、よく分からないですが、小さいころから、世界の知らない街に思いを馳せていたんです。

そこからずっと、留学や海外での活動を夢見つつ、さらに興味分野のひとつになった「教育」を、学問として学べる大学に、進学。

ですが、コロナウイルスの影響で、海外に行けなくなった大学生活が、2年ほど、続きました。海外の方は、諦めかけ、国内での教育活動や学校内外での勉強などに専念する日々でした。

それでも、やっぱり、「海外に行きたい!」という夢は、諦められずに、文部科学省主催の「トビタテ!留学JAPAN」に応募し、合格。海外留学への一歩目を、踏み出しました。

しかし、合格後、行こうと思っていた大学の語学学校が、コロナで閉鎖。その後も、日本の大学からの渡航許可が降りない日々が続いたり、トビタテに期間の制限があったり、と、なかなか苦しい環境の中で、世界のいろんな教育機関を探すものの、条件に合うところが、見つからず。半年以上、計画は、チャラになったままでした。

気づけば、休学申請の締め切りまで、残り1週間。刻々と、決断が迫る中で、改めて、留学エージェントに連絡しまくりました。

担当者:「すみません。その条件では、うちは難しいですね…..!」

私:「そうですよね、そうですよね(うなづき×100000回)。大変な中、探してくださって、本当に、本当にありがとうございました…..!失礼します…!ガチャン。」

この会話は、何回したのでしょうか。「もう無理かもな〜」と諦めかけていた最後の最後で、「ポートランド」という都市、そして「コミュニティカレッジ」という大学以外の選択を、知ります。

コミュニティカレッジは、地域にひらかれた学校です。アメリカの大学は、日本に比べ、学費が高い。だから、学費の安いコミカレに2年間通い、基礎の単位を取りながら、その時間の中で、本当に、やりたいことを決めていく人が多いようです。他にも、ビジネススキルを得るために1年通う人や、リタイア後で学び直す人など、さまざまな世代の人が通っています。

日本の、一度学校を卒業したら、社会に出なきゃいけない、というような風潮とは、また違う機関で、とても興味があります。

留学先が決まってからは、トントン拍子で、話が進みました。場所に呼ばれるとは、こういうことなのでしょうか。

お世話になっている大学教授が、偶然、夏に調査でポートランドに行く予定だったり。Facebookで見つけたOBの方が、迷っている時に、すぐに話をしてくださったり。ポートランドに住んでいた、大人の方を繋げていただいたり。

そこからここまで、お得意のギリギリ手続きで、バタバタヒヤヒヤとしていましたが、なんとか、無事に、2022年の6月から、アメリカ・ポートランドへ、8ヶ月間ほど行けることになりそうです。

トビタテのテーマは、「分断を乗り越える、キャリア教育」

「教育」とはいえど、「学校」や「教える」というワードに、囚われるつもりはありません。

街全体をフィールドに、カフェやアートなど、
さまざまな媒体で実践されている手法を、体感したり、学んだりしたい。そして、留学期間に、実践にまで、落とし込みたいと思っています。

ここからは、なぜ、キャリアや教育に興味を持ったのかについて、書いてみたいと思います。

上京し、大学に入学。さまざまな人と出会うことで、見えた人の強い光と、それを和らげてくれた、旅。

私は、地方の進学校に、通っていました。そして、待ち受けていたのは、部活と勉強に、追われる日々。戻りたいかと言われると、そうではなけど、その時、培ったことは、今でも確実に生きていますし、本当に母校がここで、良かったと思っています。

そんな私は、第一志望の大学を落ちたことで、たまたま、東京に出てくることになりました。

東京に出てきて、何よりも大きかったのが、人との出会いです。

1年の頃に熱中しにしまくったTABIPPOや旅革命をはじめ、世代、肩書き、性別などを超えた、いろんな人に、会うことができました。

さまざまな人に出会えば出会うほど、自分の考え方は、どんどんアップデートされていく。そんな中、どこかで感じ続けていた、「外側」の息苦しさ。

分かってる。「それだけ、じゃない」と分かってるはずなのに、学歴や偏差値、見た目などで、人の光と自分を比べてしまう、自分がいました。

この、息苦しさマックスの時に出会ったのが、でした。

大学1年生のカンボジア・ベトナムの旅では、「〜大学の」とか「〜が専門」とか、そんな「外側」のラベルを脱ぎ、一人の人間同士として、その場に居ることができる心地よさがあった。

それから、旅を重ね、何度も人と出会うことの喜びと苦しさを味わう中で、たまたま、現・HASSYADAI socialの理事であり、人生のかっこいい先輩であり、戦友の、三浦宗一郎に出会ことができました。(本当に、お世話になりすぎて、頭があがりません。)

その出会いをきっかけに、自分で人生を自分で選択できる未来のため、ビジネスで日本の社会構造に挑む、「HASSYADAI 」に出会いました。

ここまでの詳しい話は、以下に書いてます。

大学2年、コロナ禍に突入。HASSYADAI socialでの立ち上げに、ジョインする。

旅の魅力を知る中で、「もっと、もっと、世界を旅したい!」と思っていた矢先、やってきたのが、コロナウイルスでした。

予定していた旅のVISAは停止され、もちろん、キャンセル。次は、いつ、旅ができるか分からない状況になってしまいました。

そんな世界の混乱と同時期に立ち上がったのが、一般社団法人HASSYADAI social。全国の高校、児童養護施設、少年院を中心に、さまざまな選択肢を届け続けています。

「ここでやりたい!」という思いを、宗ちゃんに伝えた時が、偶然、法人の立ち上げの時期だったこともあり、一緒に仕事をやらせてもらえることになりました。


メンバーは、HASSYADAIの社員だった3人と、スキルも実績も何もないのに、ただやる気だけある、学生1人(私)。

右も左も分からない中から、インタビューを書いてみたり、SNSをはじめてみたり、ワークショップについていって写真を撮ってみたり、イベントをやってみたり。

とにかく、できることを、なんでも、やりました。

共同代表のおふたり。初めて並んで写真を撮れた時は、本当に、嬉しかったなあ。

その中で、ここで、また、今までとちがう、新たな人たちに、出会うことができました。

中卒・高卒の仲間。夜間の定時制、児童養護施設、地方の進路多様校、農業高校などに通う、高校生。ハッシャダイソーシャルを応援してくれる大人の方々。

ここで過ごしたどの日々を取っても、新鮮で、新しい世界に満ち溢れていました。

そして、「大学進学が、あたりまえ」の世界線で育った私からすると、ここでの時間は、とにかく、カオスでした。

(カオスな1年の振り返りは、酸いも甘いも、ここに書いています。)

大学3年。トビタテ合格。

大学3年になった、2021年。マスクをすることや、オンラインでどこでも授業や会議ができることが、日常になじんでいくようになりました。

コロナは、まだまだ落ち着く様子を見せず、海外に行ける目処もらたってない。だけど、どこかで、「やっぱり、このまま、大学卒業をするのは、いやだ…..!」という気持ちが抜けなかった。でも、そう思ったのは、交換留学が締め切られた後の、大学2年の冬。

時すでに遅し、と思いたくなって、なんとか行ける方法を考えた時に、SNSで目に入ったのが、トビタテの奨学金でした。

実は、元々、トビタテへの憧れは、ありました。高校時代、目の前のことに必死だった頃、いつも目をキラキラとさせ、世界を視野に入れていた先輩が、トビタテ生だったからです。

トビタテは、コロナもあり、挑戦するのを、いつの間にか諦めかけていましたが、「今、応募するしかない!」と思い切り、友人や先生、トビタテ・大学の先輩方にお世話になりながら、応募することができました。

トビタテは、英語力や学歴などは一切考慮されず、「ユーモアさと情熱」が選考基準の奨学金・コミュニティです。

ここで何を書こうと考えた時に、これまでの経験をはじめて言葉にし、その思いを、第一次選考の、計画書に書くとにしました。

そして、大学3年生の夏、2度の選考を乗り越え、無事、トビタテ13期になることができました。

(今は、変更申請中ですが、トビタテ生でいれるように、がんばりたいです…..!)

大学3年パート2。実践を重ねる中で気づいた、分断社会と美学の、つながり。

大学3年生は、HASSYADAI socialでの活動を続けながらも、いろんな実践を詰みました。

ひとつめは、地元・北九州で開催した「九州未来フェスティバル」。高校生、大学生世代の若者が、キャリアの選択肢に触れることができる、200名規模のオンラインイベントです。

これは、幼馴染の佐野真望が代表を務め、副代表・PMを、私がやりました。

真望は、小さい頃から毎日学校に通うほど仲が良かったものの、高校卒業後の未来フェスに私が誘ったことから、また新たな一面を知れた人です。

お互い、社会にある「外側」を乗り越えるために3年間やってきた。だから、今できることを全て、ここに、ぶつけました。

地元をまた違った角度から考えたこと。新しい仲間たちとの出会い。ここまでのすべてをアウトプットをしてみて感じた、自分のふがいなさ、悔しさ、違和感。

ここで考えたすべては、これからを考える上で、活かしたいと思っています。

出会ってくれた、みなさん、本当に、本当に、ありがとう。帰れる場所があるということは、今でも、ずっと、心の支えになってるよ。

***

ふたつめは、「project:ZENKAI」。トヨタ自動車とハッシャダイソーシャルの共同でのキャリア教育プロジェクトです。

学歴・経歴は不問。全国100名の高校世代が集まり、3ヶ月間で、対話や実践を重ねる対話型のプログラムを、2022年の1~3月で、やりました。

このプロジェクト自体は、プレ期間も含め、1年以上、一緒に、走らせてもらいました。

今まで感じてきた違和感や息詰まり、思いがすべて詰まっている、と胸を張っていえるプロジェクトです。

本当に色々あったのですが、特に、最後の1ヶ月で、自分の中で、「本当に、本当に、このプロジェクトに、人生で出会えてよかった」と思える瞬間がありました。

この社会構造の中で、目の前で、あの人が、困っている。その瞬間に、出会った時です。

私は、共に、悔しくて、たくさん、泣きました。その思いをメンバーに伝えた時、また、泣きました。

プログラム2ヶ月目でお世話になった、「夢を叶えるゾウ」作者の水野敬也さんと、話していた時、ふと、私の中で、ここまでのすべてが繋がった瞬間がありました。

「分断社会の反対側には、人のつながりがある」
という、言葉。

学歴社会や、偏差値社会は、数字で、輪切りをされている。でも、そんなに簡単に切れないのが、日々の人とのつながり、だということ。

それは、私がずっと、ここまで、大切にしていたことでした。

それは、簡単に目に見えるものではないし、分かりやすいもの、でもない。常に揺れ動くもので、日々を大切にする中で生まれるもの。

大学で好きになった文化人類学の勉強やここまでの経験の中で見出した、私の中の小さな美学と、今まで問題視していた分断社会の糸口が、すっとつながったような気がします。

***

project:ZENKAIのことは、簡単な言葉で表したくなくて、安易に理解されたくもなくて、ずっとずっと、発信できずにいました。

ここで書いたこともほんの一部だけれど、ここまでの自分の話をまとめる上で切っても切れない、本当に大切な時間でした。

これからもお世話になりたい大切な人たちとたくさん出会い、出会い直しました。そして、「~の私」ではなく、ちゃんと、「木村りさ」として、はじめて、”本当の自己選択ができた”場所です。

これからも、いつまでも、私を突き動かしているエネルギーは、ここにあります。改めて、ハッシャダイソーシャルのみなさん、project:ZENKAIに関わってくれた全てのみなさんが、大好きです。

大学4年。心の声を素直に聞く休学生活、スタート。

3月で完走し、休学生活が、はじまりました。ざっくり言うと、心の声に耳を傾け続けた日々だったなあ、と思います。

日本で過ごした2ヶ月の休学期間の振り返りは、昨日のnoteに、書きました!気になる方は、ぜひ。

話は長くなりましたが、そんな、色々を経て、自分の興味関心・そして海外への夢を駆け合わせ、6月から、留学することになりました。

ここからは、ポートランドでのことを、書いていきます。

結局、6月から行くポートランドって、どんな所?

まず、ポートランドは、アメリカの西海岸に、位置しています。日本との時差は、16時間。四季があり、夏は過ごしやすい天候で、21時くらいまで日が沈まない。そして冬は、さらさらとした雨が多いと、先輩に聞きました。

https://www.travel-zentech.jp/world/kion/USA/Portland_Oregon.htm より

ポートランドは、環境に配慮した都市設計や消費のあり方、車で15分ほどで山にも海にもいける豊かな自然など…… 全米で住みたい街NO.1に選ばれたこともある都市です。

そして、街のスローガンは、「Keep Portland Weird !(変わり者、へんてこ、でいこう!」。それに伴い、カルチャーや食、アート、クリエイティブなどが、盛んな都市です。

あと、クラフトビールやワイナリー、コーヒー、オーガニック食も有名。ここぞとばかり、全て、私の大好きなものたちに溢れています。

めげそうになったら、めいっぱい、食やカルチャーに浸るぞ…..!と思っています。

8ヶ月の留学生活でやりたいこと

ポートランドでやりたいことは、大きく分けて、4つ。

1.コミュニティカレッジに潜入。さまざまなキャリア観に触れる、そのために、自らも、学ぶ。
2.街のフィールドワーク。アンテナがたった所には、全部つっこむ。「Keep weird」のポートランドのキャリア観を知る。
3.教育機関でインターン・高校でキャリア教育の実践・ボランティア・見学などをする。

特に、③は、今も、情報を探しています….!!!現地の友人や、教育機関、ボランティアなど、もし少しでも、ご存知であれば、連絡いただけると、本当に、本当に、嬉しいです。宜しくお願いします。

***

そして、4つめ。
ここまでの3つを全て忘れて、困難も、喜びも、すべて、楽しむ!!!!!!

本当に、1日先もどうなるか分からない。
言語も、まだまだで不安がいっぱい。

そんな中、赤ちゃんに戻ったかのような留学がスタートします。その、先の見えない感じを、ひとつひとつ、味わっていけたらいいな、と思います。

スケジュールと、アメリカ旅の予定

今のところ、12月くらいまでは、ポートランドを中心に勉強や、街での実践などを行い、そこから、1ヶ月半くらい(12月〜1月)は、アメリカ全土を旅する予定です。

<このへんは、行きたい>
・ワシントン州
(シアトル)
・カリフォルニア州
(ロサンゼルス、シリコンバレー)
アリゾナ州(グランドキャニオン・セドナの大自然、ラスベガス)
マサチューセッツ州(ボストン)
ニューヨーク州(ニューヨーク)
ワシントン

もちろん、行ってから何があるか分からないですが、今考えてるのは、こんな感じです。

「ちょうど、行く予定あるよ!」
「知り合いがいるから、繋げるよ!」
「一緒、行こう!」

などなど。アメリカに関するいろんな情報・お誘い等も、いつでも、お待ちしています!(noteのプロフに貼ってる、TwitterやInstagramなどで、連絡をお願いします!)

毎日note、完。そして、これからも。

こんな感じで、5月の毎日note、最終回は、7000文字オーバーと、すごいことになってしまいました。

何度も伝えさせてください。ここまで読んでくださったみなさん、本当に、本当に、ありがとうございました!

そして、「書く」への真っ当な向き合い方を、姿勢で教えてくれた、バトンズの学校のみなさんにも、感謝が尽きません。

改めて、ここまでnoteを毎日書こうと思ったのも、アメリカまでの道のりも、本当に、ここまで、出会った方々がいてくれたからできた選択でした。

自分でできることは、ほんの一部で。揺れ動く中で、目の前のできることを、今与えられたことを、最大限、やっていくこと。目の前のことを、大切にしていくこと。

これは、これからも、ずっとずっと大切にしたいと、思っています。

次は、ポートランドから、またお会いできたら、嬉しいです。(noteも、不定期更新していきたいと思います。)

いつも、ありがとうございます。
みなさん、だいすきです!

2022.5.31 木村りさ

この記事が参加している募集

自己紹介

振り返りnote

いつも、応援、ありがとうございます!サポートいただいたお金は、6月から約8ヶ月間のアメリカの留学費に全額使い、その体験を、言葉にして、より多くの人に、お返しできたらな、と思っています。