手放すときは、始めるときだ。
きっといつかは、「手放すとき」が来るだろう。
そんなことを思うときがある。
フィギュアを買ったとき。
本を手に入れたとき。
食器を購入したとき。
家電を買い替えたとき。
服を売ったとき。
親の老化を感じたとき。
子どもの成長を目の当たりにしたとき。
恋人へのハートが消えたとき。
人生に疲れたとき。
大金を手にしたとき。
ペットが死んだとき。
植物が枯れたとき。
季節が変わるとき。
友人が結婚したとき。
兄弟姉妹が就職したとき。
引っ越すとき。
プロジェクトが始まるとき。
お葬式に参列したとき。
人と握手をしたとき。
手放そうとしなくても、手から離れていってしまうこともある。ギュッと掴んでるつもりでも、スルスルと手からこぼれて落ちてしまうこともある。
桜のように、いつかは花びらを落とすときが来る。
それが「手放す」ということだ。
そうして手放したあとは、緑の葉を茂らせて、再び咲く準備を始める。
きっと人生も同じで、この繰り返しなんだと思う。
新しく何かが始まり、時が経ち、終わっていく。
そう考えると、新しく何かを始めるためには、何かを終わらせる必要があるのかもしれない。
手放すからこそ、なにかが始まるのだ。
少なくとも機械はそう。容量がいっぱいになったならば、データを削除する必要がある。削除するというのは、捨てることであり、手放すことでもある。そうして容量を整理すれば、また新たな情報を手に入れることができる。
ヒトは機械と違うけど、実は毎日、似たことをしている。
それが「寝る」ことだ。
ヒトは1日で得た情報を、寝ることによって適切に情報処理している。覚えるべきこと、忘れてもいいことを分けている。無意識的に手放すことをしていて、なにかを手に入れるための準備をしていたのだ。
そんなことを考えている中で、定期的に更新していたnoteですが。
そろそろ手放そうと思います。
これは、なにかを手に入れるタイミングなのかもしれません!
あえてこうして宣言するのは、自分を奮い立たせるため。
つまりは、すっごく頑張ります!
読んでくださり、ありがとうございました!
またどこかでお会いしましょう!
創作に励みになります!