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大森一樹監督「風の歌を聴け」心の奥の実感(リアル)

 大阪の映画館「シネ・ヌーヴォ」で「さらば、永遠の映画少年・追悼大森一樹」監督の作品が特集上映されている。
 そのフライヤーをみながら遠い昔を思い出した。

 1981年製作、初の村上春樹原作「風の歌を聴け」の映画化。当時、映画評論家の批評も否定的で観客の評価も低かったと思う。学生運動、高度経済成長も終わり『無気力な若者の現実逃避、きどったセリフの空虚な観念映画』として捉えられていた。
 でも私はこの映画が大好きだった。どこがどうというわけでもない。「この映画の世界に自分はいる」ただそう思えた。心の奥の実感(リアル)だった。それだけで十分だった。

 何度も見たわけではないのに、あらゆる場面が記憶に残っている。当時のパンフレットを読み返すだけで様々な場面が蘇る。
風の音とともに消える「風だ」の文字。
70年代の「神戸まつりの暴動」がらんとした大きな球場で、ビールを飲みながら語る僕(小林薫)と鼠(巻上公一)の会話。赤いフィアットの事故。
レコード店で働く双子の姉妹を演じる真行寺君枝の「うそつき」
「本当の事が聞きたい?」の意味深なセリフと不機嫌な表情。
精神科医の黒木和雄監督の言葉。「もし何かを表現できないとするならば、それは存在しないも同じ、ゼロだ」
ジェイズバーのマスター(坂田明)とピンボールマシーン
しゃっくりを繰り返すD・J
自殺した三番目の女の子(室井滋)のモノクロ写真
ベッドの壁の「ベトナムから遠く離れて」のポスター。
高校時代の告白「自分の思っていることの半分しか語る事の出来ない人間」

当時私は関西大学映画研究会で、この「風の歌を聴け」35㎜のフィルムを近くの映画館を通して借りて学内上映した。映写技師のアルバイトをしていたので支配人に「吉浦はん、こんなん入りまっか?黄色いけったいなポスターで、けったいな映画やで」と言われた。

けったいなポスターといわれた「風の歌を聴け」のポスター

 動員数は大入り満員とはいかなかった。その暗闇の中になんと大森一樹監督がいた。大森監督は情報誌を見てわざわざ観にきてくれた。うれしかった。調子にのって私は監督に「ビーチボーイズの曲がかかる場面はからっとした晴天で撮ってほしかった。なんで曇天なんですか?」と聞いた。大森監督の答えは「10人観ると一人か二人しか良いと言ってくれない映画を、上映して、そこまで観てくれてうれしい」だった。
 今思うと「曇天」で良いと思う。この映画は当時言われていたような現実逃避の映画ではなく、ビーチボーイズを聞いていても、曇天のすっきりしない現実があり、暴動の記憶が残り、自殺した女の子の魂と共に、ベトナムから遠く離れて、なすすべもなく、ただ考えて考えて生きるしかない大森一樹監督のリアルな実感がこもった映画であり、見た観客にとってもリアルで空虚で切実な映画だったと思う。

#映画にまつわる思い出

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