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変わってしまった世界を

あの日から、私の生きる世界は変わってしまった。

いや、ほんとうは何も変わっていない。何も変わらない世界に絶望したら、私が、私の捉える世界が変わった。

17歳になったばかりの頃、父からの3種類の虐待を認定されたのに支援につながれなかった。そして母は判定に納得しなかった。

もっと、もっと頑張れば何らかの福祉に繋がれたのだろうかと、今でも自分を責める気持ちがある。当時の私は良くやったと思いながら、心のどこかでまだ何かやりようがあったのではないかといつも思い返す。

母の態度は、私が信じていたものを全て覆した。幼くて青い私は、事実を明らかにすれば人の意見を変えられると思っていた。自分が努力すれば現状を変えられると思っていた。でも違った。どんなに真摯に向き合っても人と分かり合えないこと、人の数だけある事実からは、客観的な証拠をもってしても真実に辿り着けないことを知った。私は血が吹き出すような心の痛みの中もがいたけれど、無意味だった。

物心ついたころからあった世界への不信感は決定的なものとなり、なにも、ほんとうになにも信じられなくなった。私の周りは安全ではなく、私は無意味で、生きていることが馬鹿みたいに思えた。私は存在しなくなった。

あれからもうすぐ4年経つ。この1年は特に最悪だった。体の病気を宣告されて、経済的な不安にもとらわれ、孤独のなかにいた。自殺未遂を何度もしたし、解離ばかりしていたし、せっかく築き上げた人間関係を破壊したくなった。


でも今、止まってしまった時間をもう一度動かそうとしている。治らない心と体の病気を抱えながらゴールが何処にあるかなんて分からない。それでもまた、必死に「生きてみたい」。死んでしまった心を取り戻したい。世界を信じられる日なんてもう来ないだろうけれど、人の優しさをちゃんと受けとれる日、命に価値を感じられる日はくるかもしれないじゃないか。

この1年、1秒1秒、死にたい気持ちを乗り越えて、途方もなく長いあいだ命をつないでくれた私に感謝している。死ぬことができたらどんなに楽かと思ったけれどね。死んでもいいんだよ、傷つきすぎたからね。でもまず、この世界を感じ始めるんだ。

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