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つくばね


筑波山

筑波山(つくばさん)は、つくば市北端にある標高877mの山です。筑波山神社の境内地には、西側に男体山(標高871m)、東側に女体山(標高877m)があります。雅称は紫峰(しほう)や筑波嶺(つくばね)とも呼ばれ、茨城県のシンボルの一つとされています。

ガマの油売り

だがお立合い
手前ここに取りい出したるは軍中膏(ぐんちゅうこう)はガマの油
さぁさぁガマか ガマならば俺ん所の縁の下や裏の笹薮に行きゃあ幾らでも居ると仰るが それはガマとは言わないヒキガエルと言う奴
だがお立合い 手前のガマは四六のガマだ
四六、五六はどこで見分ける 前足の指が四本 後ろ足の指が六本 両方合わせて四六のガマ
これより遥か北に当たる 筑波山の麓において、オンバコと言う露草を食らって成長したのが四六のガマだ
このガマの取れるのは 五月に八月に十月 これを唱えて五八十(ごはつそう)は四六のガマだ
これを下の金網にて抜き取り 三 七 二十一日の間 柳の小枝を持って トローリトロリと煮詰めたのがこの油だ

早口言葉「ガマの油売り」より

この物語は大道芸として伝承されるもので、もっと長い文ですが、私が覚えたのは活舌練習用としてこの程度の長さでした。後半部分はうろ覚えです。古典落語の「蝦蟇の油」や、2009年に公開された役所広司監督の映画「ガマの油」、デューク・エイセスのシングル「筑波山麓合唱団」など、関連する作品も存在します。

登筑波嶺為の歌會日作歌一首

鷲住 筑波乃山之 裳羽服津乃 其津乃上尓 率而 未通女<壮>士之 徃集 加賀布の歌尓 他妻尓 吾毛交牟 吾妻尓 他毛言問 此山乎 牛掃神之 従来 不禁行事叙 今日耳者 目串毛勿見 事毛咎莫 [の歌者東俗語曰賀我比]

万葉集 第9巻 1759番歌の原文

鷲の巣くう筑波山にある裳羽服津のほとりに、声をかけ合って集まった若い男女が手を取り合って歌い踊る場所がある。人妻に私も交わろう、私の妻にも声をかけてやってくれ。これは、この山の神が遠い昔からお許しになっている神事である。だから今日だけは、あわれに思わないでくれ、咎め立てをしないでくれ。

万葉集 第9巻 1759番歌の意味

筑波山は古来より農閑期の行事として大規模な歌垣(かがい)が行われ、近隣から多数の男女が集まって歌を交わし、舞い、踊り、性交を楽しむ習慣があった。これは今年の豊穣を喜び祝い、来る年の豊穣を祈る意味があった。

古典にみる筑波山より

筑波山には男体山と女体山があり、その麓で男女たちが集まって楽しむ習慣があったことがわかります。

百人一首の「つくばね」

陽成院(13番)
筑波嶺の 峰より落つる 男女川(みなのがは)
恋(こひ)ぞつもりて 淵となりぬる

決まり字は「つく」、友札の「つき」が読まれると「つ(ts)」で取れます。この「つ」は母音を無声化します。百人一首の「つくばね」の「つく」は、相手側に「付く」を表すとされています。男女川は男体山と女体山の峰から流れ出て桜川に合流し、霞ヶ浦へと流れるようです。最初は細かい川でしたが、段々と太く強い流れに変わり、恋がますます募っていくのです。そして流れが溜まって深い淵へとなると言われています。

よく考えたら「ちは」も母音を無声化「ち(ch)」でした。
訂正します。
友札の「つき」が読まれると「つ(tsu)」で取れる札です。
2文字目で何が来るかを理解し1文字目の発音の聴き分けをする周防名人のような能力は私にはありません。
「ちぎりき」「ちぎりお」の「ち(chi)」は無声化しないから何かヒントがあるのでしょうか?

末次由紀著の「ちはやふる」に出てくる肉まんくんに、「こひぞつもりては『つく』だろ」と言われるかもしれませんが、私もそうです。この「つくばね」の歌には、繊細な感情が込められています。それを理解するためには、奏ちゃんからじっくり教えてもらう必要がありそうです。

つくばねの唄

この曲は、1975年に発売されたあのねのねのシングルA面です。最初に聴いたのは嘉門タツオのカバーで、その後に動画で原田伸郎のライブを聴く機会を得ました。この曲は、落語「欣弥め」を下地にして作られたもので、物語は女性の家を訪ねるところから始まり、次第にエスカレートしていく展開を見せます。この歌は、ファンの女の子たちをキャーキャー言わせるほどの盛り上がりを持っています。

筑波嶺清平

茨城県出身の力士で、元横綱である男女ノ川登三の露払いを務めたことがあります。

関係ないけど、友部駅

列車やバスに関する情報を探しましたが、「つくばね」に関連する男女にまつわるものは見当たりませんでした。友部駅で併結して水戸方面へ走る列車については確認できませんでした。ただ、友部駅から砂を積んだ貨車を定期貨物列車に併結し、狭い機関区へ砂を供給していたことが分かります。このような構内での作業が行われていたようです。

最後に

かるたで恋の歌として認識していましたが、ここまで詠み手たちの深い感情が詠み込まれていたことに驚きました。まさにその心情は深い淵のようです。古典の詩が持つ感動や共感を、私たちも噛みしめてみましょう。


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