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読書会に参加して学んだこと⑤ ~ 「働き方改革」で必要な時間を削られていないか・・・人と接する職場からの声

 先日、読書会に参加してきました。

 今回は「修身教授録」(森信三)の「第17講 一道をひらく者(Ⅱ)」を読み、感想などを交流する予定でしたが、会の始まりから、参加者の方の近況報告や今読んでいる本の紹介、思い出話が広がって、あっという間に90分。今回読むはずだった講は次回へとなりました(笑)。これは、これで楽しい一時になりました。

 ある意味、読書にまつわる、たくさんの話ができた「読書会」でした。

 その中で、印象に残った話は次の通りでした。


1 働き方改革で「必要な時間」も削られていないか

 参加者の中には、元教師という方もいます。
 教育にまつわる話もたくさん出ました。
 その中で、昨今話題になる働き方改革についての話もありました。
 
 教師の残業時間の多さが問題となり始めた頃、学校では何をしたか?
 (もちろん、全国、いろいろな学校があるので、この方の話がすべてではありませんが)
 
 その一つが、

 朝や帰りの打ち合わせ時間の回数や時間を減らすこと。
 学年会議や〇〇委員会などの時間を減らすこと。

  毎日、10分、30分の時間かもしれませんが、それを毎日積み重ねることで、別の仕事ができる時間の確保を行ったそうです。
 特に、毎日の連絡事項などは、「タブレット」端末で、個人的に確認するなどして。
 
 もちろん、実際に、「時間」は生み出されました。
 しかし、その方曰く、

教師同士が職員室などで、対面で過ごす時間も減り、ちょっとした話、子供についての情報交換、授業実践の交流時間は格段に減った

といいます。

 先生方は、出勤すると職員室にいる時間もそこそこにすぐに教室に行くそうです。打ち合わせがなくなったため、そして、連絡はタブレットで見られるため。
 なおかつ、教室に行って、子供を出迎えたり、教室内でのトラブルを未然に防いだり、宿題のノートを子供たちがそろうまでの間で少しでも点検したり・・・。
 休み時間も教室にずっといるので、職員室に戻ってこられる方も少ないとか。
 水分補給は、教室に水筒を持ち込んで行う人もいるそうです。
 朝や帰りの打ち合わせもない日などは、他の学年の先生方同士で、顔を合わせない時もあったとか。

 一人での事務処理や教材研究などの時間は確保できても、学校全体の「チーム」としての動き、情報交換、「阿吽の呼吸」のような感覚的な部分では、マイナスが大きいのではないかと指摘されていました。

 私は、この方の話を聞いていて、コロナ禍で行われた在宅勤務、オンライン会議にまつわる話が思い浮かびました。
 
 家に居ながらにして仕事ができる、移動時間を短縮したり、感染リスクを減らしたりするという意味ではプラスでしたが、別の問題も多かったようです。
 
 特に、

対面で会うことには、何気ない会話の中からビジネスのヒントを得られること、ミスを減らすこと、モチベーションアップできるなど、「コスパ」「タイパ」でははかれない、プラスの面があります。実際、アメリカの企業では、在宅勤務を減らして、また、会社に出勤(対面重視)の働き方に戻しているところも多いようです。

 働き方改革は、あちこちで行われています。
 働きすぎ、負担を強いる働き方による事故を減らすこと、過度の負担による過労死を防ぐために必要だと思います。
 しかし、

ただやみくもに「働く時間を減らす」「はやく帰宅させる」「業務を削減する」ことだけをもって、改革とするならば、大切なものも失ってしまいます。

 それは、働く人のやる気だったり、働く人同士の交流だったり、本当に必要としている人に対するサービスだったり。

2 ゆとり、働くことに関するエピソード

 コロナ禍の中で入社した人の話です。
 
 入社後、すぐに在宅勤務になり、上司と直接会って話をする機会はなく、オンラインで業務の連絡などをするだけだったそうです。
 それでも、ある時、ようやく?出社することになり、上司とランチに行って、おしゃべり(プライベートの話~学生時代の思いで、部活・・・という他愛のない話)をしました。
 仕事には全く関係なく、在宅勤務の身であれば、「必要ない(無駄)」な時間だったという見方もできなくはありませんが、何と、その後の仕事への「やる気がぐんと上がった」そうです。「自分は、こういう人と一緒に仕事をしているんだ」と思ったら、「何か解像度が上がったみたいな気がした・・・」

と感じたそうです。
  
 私自身は「いま忙しいから、後で(話を聞くわ)ね」と言って、本当に聞いたためしはありません(笑)。
 仕事が忙しいと言って、料理をすべてインスタントなもの、外食に頼った時もありました。確かに時間の節約にはなったかもしれませんが、心が満たされたかどうかを考えると、微妙です。 
 
 実際ある調査では「料理をする人の生活満足度は高い」というデータもあるそうです。たしかに、料理をして、誰かと一緒に食べる、たとえ一人で食べるとしても、どう料理しようかという「創造力」、「自分(誰か)のために丁寧に作るという肯定感」作り上げるという「達成感」「熱中」、食材や一緒に食べることなどを通じて人とのつながりを感じるなど、時間にかわって自分を満たしてくれる要素がたくさんあります。何より、料理をするといいう時点で、心に余裕があります。

忙しくして、ゆとりを失っているからこそ、インスタントなものになってしまうのかもしれません。

3 まとめ

 「コスパ」「タイパ」「PDCAサイクル」と言う考え方は、工場などで製品を作る時などには、有効だと思います。
 しかし、人間関係でも同じ考え方をあてはめていいものかどうか?
 あるいは、子供の教育にあてはめて考えていいものかどうか?

 
 モノと人は違います。「ゆっくり成長」する人もいますし、「手がかかるからこそ生まれる深い関係」だってあります。
 子供は、大人の思った通りに動くロボットではないので、予想外の事をしたり、言ったりします。
 あるいは、子供の成長は常に右肩上がりでもありません、行きつ戻りつ、人によっては、ずっと停滞していて、ある時パッと花を咲かせる人だっています。

 そんな時、教師など、子供に接せる大人にゆとりがなければ、子供をせかしたり、追い立てるような接し方になったりすることは容易に想像がつきます。 

ただ効率を考え、時間を切り詰めるだけの働き方改革は、人と関わる仕事~教育、福祉、介護・・・などの分野にはなじまないのかもしれません。

 
 現場で経験した人の話は、マスコミなどで報道されるような「平均的」「公正さ」を考慮した情報ではないので、違った見方ができ、大いに学ぶことがあります。
 
ここまで読んでいただき、ありがとうございます
皆様の心にのこる一言・学びがあれば幸いです

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