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服を着たマッチョは強い ――映画・OVERDRIVE感想(若干ネタバレ)

マッチョは強いが服を着るともっと強い

マッチョは強い。筋肉があるからだ。

ではマッチョが服を着るとどうなるのか? 答えは明白だ。もっと強くなるのだ。

この、当たり前だが重要な事実を、映画「OVERDRIVE」は伝えてくれている。ラリーがどうとか車がどうとか、そのへんはいまさら触れるまでもない。なぜなら、そういうポイントに興味を持つ人は、こんな記事を見るまでもなくとっくに観ているはずだからだ。なので、ここではマッチョと服について話をする。


「OVERDRIVE」は新田真剣佑が脱ぐ映画である

映画のあらすじを簡単に紹介しよう。

この映画の世界では現実よりもラリーが盛り上がっている。ラリーとは、すごい車で砂道や沼のなかを突っ走り、誰が一番早いかをタイムで決める競技だ。ただ道路を走るだけではなく悪路も走りまくるので、ボディは汚れるしタイヤはずたずたになるしエンジンもめちゃくちゃになる。気を抜くと車が転がり、クラッシュし、ドライバーは死ぬ。恐ろしい競技だ。

レースと違うのは、一斉にスタートするのではなく別々に走ってタイムを競うという点だろう。他にも色々と決まりごとがあるが、映画では説明していないし俺も詳しくはないので置いておく。そんなことは重要ではない。重要なのは筋肉なのだ。

そんなラリー競技でブイブイ言わせているのが、主人公である檜山兄弟が所属するスピカレーシングだ。ここはとても速く、すごく速いのでWRC(世界大会だ)に王手がかかっている。物語はWRCに出場するための最後の関門である大会を軸として描かれる。

だが、このチームにはひとりの問題児がいる。それが檜山兄弟の弟……ドライバーを務める檜山直純(ひやまなおずみ)だ。この直純という男はかなりのイカレ野郎で、酒は呑むし煙草も吸う。女遊びも激しく、ウェイでアゲアゲなピープルとクルージングをしたり、モデルをお持ち帰りしてすっぱ抜かれたりする。侮辱されれば暴力で応じるし、担当のエージェントはメンタルがバラバラになって辞めた。そんなありえないほどのファッキン野郎なので、この時点で我々はリアリティレベルを相当下げればいいということに気付かされる。

そんなサイコ野郎だが、人気はある。なぜなら顔がいいからだ。顔がいい理由は、演じているのがあの新田真剣佑だからである。新田真剣佑がキザな流し目とともにスマイルを送れば、ファンは黄色い歓声を上げざるを得ない。開始5分の段階で、「こいつはサイコだが顔がよく、そして新田真剣佑だ」ということをがっつりと理解させられる。ドライバーとしての腕もいいらしいが、このことはあまり重要ではない。むしろサイコ野郎であることのほうが大事だ。

だがなにより重要なのは、新田真剣佑はマッチョだということである。

この映画では、真剣佑はなにかと脱ぐ。「ラリーとかマジ意味わからないし俺たち私たちにはやりたいことがあるのにファッキンだ」とぶーたれるヒロインとメカニックの前に現れたときは上半身裸だし、過去を思い出してアンニュイに耽るときも上半身裸でプールに飛び込む。明度の暗いジムで衝動的なトレーニングに励む時も上半身裸だし、終盤のあるシーンでも上半身裸で寝転がっている。なぜか? マッチョだからだ。ラリーシーンの次に頻出するものが何かと言われると、新田真剣佑の大胸筋と言っても過言ではないかもしれない。この映画は、車をブイブイ言わせるサイコ野郎の新田真剣佑が何かと脱ぐ映画である、そこを押さえていればなんとかなるだろう。ちなみに、兄である檜山篤洋(ひやまあつひろ)は東出昌大だが、こちらは脱がない。なぜなら、兄はサイコ野郎ではないからだ。

スポンサーを隠すのは悪だ

劇中、サイコ野郎の弟はやたらと脱ぐし、脱がないときでもジャケットを羽織らず帽子も被らない。これはかなり由々しきことだ。なぜなら、ラリーのようなショーには多数のスポンサーがついており、スポンサーにカネを出してもらう代わりにレースチームはその広報をせねばならない。これは商業主義でもなんでもなく、正当な取引だ。そのために、ラリーカーにはいろんな企業のステッカーがバシバシついているし、チームメンバーにはロゴがビッグにプリントされたジャケットなどが支給されている。

だが真剣佑はこれを無視する。なぜなら彼はサイコだからだ。ヒロインの女に「スポンサーを隠すな」と言われても、「ファンやマスコミは俺を見てるので問題ない」という発言で一蹴する。この時点で、弟はとんでもなく自分勝手なレーサーだということがわかるし、この調子でメカニックである兄にも反抗するので、完全な暴れ牛だということがわかる。むしろ兄のほうも「時間がないし応急処置だから」といって、ラリーカーのスポンサーマークをテープで覆ったりする。あと、ジャケットも羽織らない。ただしこちらは「時間がなかったからすまない」とちゃんとヒロインに謝るので、どうやら弟よりはまともらしい、ということがわかる。なお、ヒロインもヒロインで、ろくに整地されてないレース場周りをピンヒールで歩いたり、メカニックたちが整備してるところをスーツ姿のままうろちょろしたりするので、「こいつはラリーに興味がないし、知識もない」ということがよくわかる。

つまり、この映画においては、「スポンサーを隠すのは悪だ」と定義されているのである。これを商業主義の発露と取るかは各人次第だが、あくまで「この映画はラリーという自動車競技に基づいた物語である」という前提を咀嚼する上では、重要な善悪基準といえるだろう。言うなれば、この映画はおもちゃの勝敗で世界の命運が決まるホビーアニメや、その競技で秀でているやつは人生の勝者となるスポーツ漫画と同じなのだ。

苦難、克服、兄弟の友情、そして服を着る

劇中では様々な問題が起こる。メカニックのリーダーである兄の言うことを聞かない真剣佑はめちゃくちゃなドライブをするし、おかげで兄弟は衝突しまくる。スポーツ・エージェントであるヒロインも、ラリーの担当は一時的なものだったはずなのに、自分にしか出来ないと思っていた仕事から外されてめちゃくちゃ落胆する。そして、対照的な黒いユニフォームライバルチーム(こいつらはドライバーとメカニックの仲が良く、バックボーンもあって、あと沈着冷静なのでめちゃくちゃ強い。なにせ黒いのだから当然だろう)とトップ争いをしたり、大きく差をつけられたりする。マシンはイカれ、チームに軋轢が走り、現実離れしたトラブルが彼らを襲う。

メカニックが頑張ったり、兄弟が因縁を吐き出したりしてこうした苦難を乗り越えるわけだが、重要なのは真剣佑が服を着ることだろう。終盤、色々あってとんでもないトラブルに見舞われた兄は、ジャケットを羽織る。ジャケットを羽織るということは、スポンサーを見せるということであり、メカニックとして本気になったということだ。そして、それを受け、真剣佑も服を着る。あと、ヒロインもそれらしい格好になる。これはつまり、彼らキャストがなんか内面的なものとかを乗り越えた証であり、彼らはそれぞれの役割からラリーに「参加」することを決めたのだ、とわかる。そして兄弟とヒロイン、あとメカニックたちは、ラリーに挑む。自分勝手なレーサーや一言足りないメカニックではなく、同じチームの一員として、競技に臨むのだ。このときの兄弟のやりとりや、それまでの90分ほどの積み重ねを経た展開はめちゃくちゃかっこよく、さらにかっこいいラリーシーンがドカンと叩き込まれることで、我々は引き込まれる。ここに至って「OVERDRIVE」は、真剣佑がマッチョを晒す映画からすごい奴らが一丸となってラリーに挑む映画となるのだ。

服を着ろ

もちろん映画を推すポイントは他にも色々ある。破天荒を通り越したサイコ弟はその実過去のある事情によって悩みを抱えており、しっかり者で正論を吐いているように見える兄にも問題があり、それを克服せねばならないというストーリーラインは魅力的だ。スピカレーシングを襲った7年前の悲劇とそれに関わるある登場人物の秘密であるとか、ラリーに向き合うことを決めたヒロインの頑張り、なによりもかっこよくて迫力のあるラリーシーン……挙げればキリがないだろう。

だがやはりなにより重要なのは、この映画では真剣佑がとにかくマッチョを見せ、最終的に服を着るという点だ。服を着るのは安全面から見ても大事なことだし、なにかに挑戦するための儀式と言える。そして、決意したマッチョは、いや真剣佑は強い。兄も強い。陳腐なストーリーであれば、真剣佑が頭を打つなどして「兄さん、俺が間違っていたよ!」などとのたまうところであろうが、そこにひとひねりを加えるのがこの映画の魅力といえる。かっこいいラリーシーン、車やそのパーツ、油まみれになるメカニック、マッチョな真剣佑の腹筋など、見どころは盛りだくさんだ。

仕事や趣味などで、誰しも挑戦せねばならないときが訪れる。そんな時こそ、「OVERDRIVE」を観るべきだ。挑戦には服を着る必要があるという大事なことを、この映画は教えてくれる。

ラリーのことをまったく知らない俺でもすこぶる楽しめた「OVERDRIVE」、もし興味があるなら観ることをお勧めしたい。服を着ろ、そして映画館へ走るのだ

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