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息子に注意したら、味噌汁をすすりながら涙を流していた。

息子はよくものや食べものを落としてしまう。よく山盛りのご飯に納豆と炒めた卵をのせるて食べるのだが、混ぜた瞬間お米がポロリ、納豆の豆がポロリと落ちる。そんだけ盛れば落ちるよなぁと見ているだけで毎日過ごしていた。

回転寿司に行ったときである。食べ終わった5枚ほど重ねて置いたお皿の上に、今食べ終わった3枚のお皿を息子は少し離れた場所から腕をいっぱいに伸ばしてのせた瞬間、上のお皿が一枚落ちたのだ。それから数分後、注文した唐揚げ軍艦巻きが回転カウンターに流れてきたら、停止する前にサッとお皿を掴み、自分のテーブルの前に置いた瞬間、上にのっていた唐揚げがコロリとテーブル上に落ちたのだ。わたしは「そりゃ落ちるわな」と心の中でつぶやいた。

そのあと、わたしが頼んでいた寿司ネタが一枚流れてきたら、息子が良かれと思い素早く取ろうとしたのだが、わたしは小声で「もう信用できないから、やんなくていいよ!」と、つい言ってしまった。しばらくうつむきながら黙って味噌汁をすすっていた息子の右目から涙がポタリ、左目から涙がポタリと流れはじめた。普段あまり叱ったりしないわたしが「なぜ、怒ったと思う?」と聞くと「もう、落とさないようにすればいんだよね?」と少し開き直った口調で言うのだ。わたしはその場は黙っていた。
しばらくしてからその日忘れないうちに息子へ説明をした。まず、ものを落とすとか、落とさないとかの前に考えてほしいことを伝えたかった。

回転寿司に関わったスタッフ、お米を育ててくれた人や魚介類のネタをみんなが寝ている間にアミを仕掛けとってきた人、運送してくれた人、告知宣伝してくれた人、お店の中を清潔に清掃してくれた人など、たくさんのお陰があることを考えれば、食べものやお皿の扱いが乱暴にならないのでは?と伝えたら、少しわかってくれたようだ。

見えていない人たちは見えないので、いないことになってしまっているのでは、と心配である。そうすると、これも読書することで解決できるのではと思うのだ。

本を読んで、自分の頭の中で形や色をつけてイメージし見えるように訓練していけば、見えなかったものが見えてくるはずだ。テクノロジーや人工知能が普及し、アルゴリズムなどによってブラックボックスになり、物事が勝手に解決していく時代では、誰かのお陰が見えなくなっていくかもしれない。そんな中でも自分で考える力をつけて見えない人たちの心の中まで感じるような大人になってほしいと願う。

最後に、つい怒ってしまってゴメン。あと、わたしが頼んだ寿司皿を息子がホントに良かれと思い取ってくれたそうなので、その行為はありがとう!

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