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家の中の虚無感をどう消すか

自分って「何やってんだろなぁ」と不意に思うことはないだろうか。

一生懸命やっている時はなんとも思わないのだけど。
休憩中とか、ちょっとひとりでホッとした時なんかである。

ふぅ…とひと息ついたその瞬間に、「自分は何でこんな事やってんだろう?」「こんな事やってていいんだろうか?」なんて思うのだ。


僕は、ある。


生きていくのに一生懸命になっていて、“その他は何もやってないな”と思ったのである。
特に好きな人と一緒にいるわけでもなく、やりたい仕事をしているわけでもなく、やりたい趣味を遊んでいるわけでもなく、誰かを養うことや育てることに懸命になっているわけでもない。

失礼な言い方をすれば、「仕事のあるホームレスみたいなもの」だった。
仕事して寝て、起きて、何かを食べて…みたいな事を延々としているのである。

何かを成し遂げようかと懸命になっているわけでもなく、特にハマっているものがあるわけでもなく、ハマっているものがあったとしてもそれに注げるだけの時間と元気はほぼほぼない。結局そのうち辞めちゃう的な感じである。

ハマってるのだけど、ハマってると人には言えないくらいのハマり方で、前回その趣味をやったのは3週間とか酷かったら1ヶ月とか2ヶ月前だったりする。
そうやって考えると「いや、これはもうハマってるとか趣味だとか言えるレベルじゃない、ほぼほぼ“やってない”と言えるレベルだな」と思って辞めてしまうのである。


道具がなきゃできないとか、お金や時間がなきゃできない趣味を持つとそうなってしまいがちなんじゃないかって思うし、それがめちゃくちゃ好きで仕方ないっていうんならそれでもいいのかもしれないけど。
僕が思ったのは、そうやって家の中で廃人みたいにならないためには、“何かお金のかからない趣味をひとつでも持つべき”だと思った。

たとえば、よく芸能人の人に多かったりするが、洗濯とか掃除をしまくってみたり、家の掃除に詳しくなってみたり、家電に詳しくなってみたり料理をするようになってみたりするのだ。
ああいう生活圏で極められることが多くなると生活というものは充実して、楽しくなってくるし「やるべきこと」が多くなって楽しくなってくる。

おそらく芸能人とか有名人というのは、家の中にいる事が基本になるんだろう。出歩けばやれキャーキャーと言われてしまうからな。だから家の中でできることを探して、それを極めようと一生懸命になるんだと思うのだ。

僕が家の中で廃人になったのは、そういう「やれること」を「やろうとも思わなかった」のが原因なんじゃないかって思うのである。

たまにいるのが、「世の中ってお金が全てだ」と思っている人だ。
何かとお金を得ようと考えて、自分が得をすることをひたすらに考えているのである。
高い時給、俗に言う良い就職先、みたいなものを自分の能力に見合ったものではなく、それ以上のことを求めている。

広いお家に住んで、高い料理を食べて、高級ブランドの服を着て、高級な靴やアクセサリー、宝石なんかを買い集める。
それが良いのだと、どこで仕入れた情報なのか知らないけど、そうしたいと思っているのだ。

しかし、世の中でできることは全てお金が必要か?というとそうでもない。
上記にも挙げたように家の中でできることに興じるのであれば、月に数千円叩けばできる事柄ばかりなのである。

部屋の掃除や洗濯とか、コーヒーやお茶、節約料理、読書、裁縫、アート、その他もろもろ…。
僕が考えつくのはこれくらいではあるけど、月に1500円〜3000円使えばいくらかずっとできるって趣味は2〜3個くらいは持つことができる。運動なんかも良いよな。


こういう文章を書いてみるってのもおもしろいことのひとつだと思う。僕なんか、文句とか暴言の多い作文で、自分のために書いているようなものではなく、誰かのために書いてみたり、はたまた物語を書いてみたりするのもおもしろいのではないかと思うのだ。

僕なんかは知識も浅いし、勉強なんかできなかったタチだから、才能を絞り出そうとしてもどこかで“欠け”みたいなものが出てくるだろうが、世の中にはたくさん勉強した人がわんさといる。
文章の才能は後で磨くとして、物語の構成だったりシナリオを書くということもできると思うし、作り方を学ぶのも独学ならそうお金のかかる事ではないと思うのだ。


まずは持っている道具から、“タダで始められる事を極めてみること”で、新しく光るものは見つけられるような気がするんだ。
何か始めるにしても1500円だな。

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