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気分が沈めば、あとは上がるだけさ

雨が降っていてかどうかちょっとわからないけど、今日は憂いています。
どこか遠くに行きたいなぁという考えが頭から離れないのですよね。遠くに行っても酒呑みたい。


なぜ鬱陶しい事をわざわざ抱え込んで、それについて考えなくてはいけないのでしょうか。なんで?うざいんだが。




みんなは納豆って好きですかね?
僕は好きなのですが、「納豆と一緒に寝られますか?」と聞かれたら、迷わず「NO」と言います。


何を唐突に言い出すかと思いきや。

汚れてもいいのなら、完全に諦めモードになって、全裸で納豆に包まれてもいいということをたぶん好んでやりますけど、普段の生活において夜は必ず納豆と一緒に眠らなきゃいけないってなると…夜が怖くなっちゃいそうです。

なんでわざわざ「納豆」なのかというと、納豆ってねばねばしていますよね。食べる時とか、移した容器もぬるぬるしちゃったりして。美味しいのはわかりますけど、どことなく“鬱陶しさ”があるじゃないですか、この気持ちの鬱陶しさというのの「質」はそんな感じなのです。そこをうまいこと表現したかったのですが、ふと頭の中にあったのが納豆でした。

日常にある鬱陶しさ、しつこいなぁという感じ、執着とか、こびりつく感じです。




たとえば、待ち合わせをした友人とちょっとお散歩して話をしたとします。

楽しいね。
ああ、そーかぁ。
そんな事があったのか〜。
なるほどねぇ。
それはいいね。
びっくりだね、ちょっと悲しいね。

いろいろ話に花が咲いて、ちょっと腹ごしらえをしようかという事になり、近くのスーパーでお弁当かお惣菜、もしくはパンとか買って公園で食べようよという話になりました。

公園で買ったものを広げて食べるのですが、友人がおもむろに取り出したのはなんと納豆で、ぐるぐるとよくかき混ぜて食べだしたのでした。
いくらか取って食べられるようにと自分はお惣菜を買ってきましたが、友人が納豆をかき混ぜたお箸で突っつくもんだからそこいら中がねばねばしちゃって、「ええ…ちょっ、ええ……」となります。
手についてもお構いなしという感じです。いったいてめぇはどうしちまったんだよ。気でも狂ったか!



ちょっとどころか、自分は引いちゃってしまって箸が進みません。
あまり食べない自分の姿を見て友人は「どうしたの?さっきまでお腹ペコペコだって言ってたのに、具合でも悪いの?」なんて聞いてきます。(くっそムカつくぜ…)

おっと、コイツは気付いてないぞ。そこいら中がてめぇの納豆のねばねばで糸引いているじゃないか。気づけ。




そんな感じです。
もういいちど念を押して言いますが、これは例え話。実際の話ではありません。

言ってみればそんな感じでしょうかね。そこいら中ねばついている。

なんか、いろんなところに絡み付いてるものをちょっときれいにしたい気持ちもあるし、なんでそんなことになったんやろかという話でもあるし、こういう状況をいつまで続けなあかんのかな…と考えてしまうのです。はっきり言って病んでいます。


しかし、大丈夫です。いざとなればすっぱりと全て切り捨てられるので、ゲームをリセットできる裏技的なカードが僕にはあります。だから、安心っちゃ安心ではあるのです。
そ、それって、負けじゃないの?とか逃げじゃないのかという話でもありますけど、この世の中には便利な言葉があってですね。「逃げるが勝ち」という言葉をご存知でしょうかね。
いや、ホントそうですよ。

戦ってもダメだし、相手を傷つけるほど攻撃力がなかったり、破壊力がないのであれば、そこから逃げた方がいいです。まずは自分の命を大切にして保持しなければ戦いにはならないということを知っておくと、それだけで有利ではあります。

とはいえ、誰かと直接的に戦う場合じゃない場合もそうです。
自分との戦いという場合にも実は適用できます。


自分というものは厄介なヤツで、困難に直面したときにどうにもならないと分かっているのに「どうにかしてやろう」と心のどっかで思っている事があります。どうにもならないことはどうにもなりません。そういう時は逃げちまった方がいいのです。たとえば、さっきの納豆のように、生活のいろいろなところに鬱陶しさを感じているなら、脱皮をするように脱ぎ捨ててしまったらいいのです。生活環境とは、自分と密接だと思うと捨てられないものだったり大切になったりしますが、「自分を保つための単なるツール」なんだと思ってしまえば、単なる薄い皮のように感じるものです。ガバッと脱ぎ捨ててしまえばなんて事ありません。



今の僕ですか?

ああ、鬱陶しさで満載トラック状態ではありますが、とりあえず茶でも飲んで落ち着こうと思います。

お茶は助かります。ほっとさせてくれる。



遠くに行きたいことを考えて、元気出そうぜ。




築きあげたものへの執着は後ろへ投げろだ、これからの僕は。

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