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悪い友達と絶交しようとして失敗した話

「将来的に癌になりそうな人間との縁は長く持たない」という点では、私はかなり幸せな人間関係を築けていると思う。
他人の評価が真っ二つに分かれる性格をしているので、社会生活上は生きにくいことこの上ない。特に仕事ではいろんなタイプの人間と絡まなければいけないので、それ相応に気を遣って疲れる。そのせいでコンディションが下がることもある。

ライフワークでは、無理に実績を作るよりもクライアントが良質な仕事をしているか否かで判断するので、こちらから切れようが向こうから断られようが、あまり気にしなくなった。
自分のスキルにそれなりの自信を持って金銭的価値を提供しているのだから、ある意味必然ともいえる。

「付き合う人間仕分け」ができるようになったのは、中学時代に経験した泥沼の出来事が大きなきっかけだ。中学時代を思い出すことはかなり胸糞悪い作業になるので、SAN値が死にかける。
どうせSAN値を消費するのなら、思い切って文章にしたためようと思う。

中3の一年間は思い出したくもないくらい酷いものだった。
これまで良くしてくれていた担任の先生が他校に異動することになり、新しく来た先生が担任になったのだが…典型的なサラリーマン系教師で、クラスは崩壊した。

前の担任は生徒の個性を受け入れてくれて、HRでも和気藹々とした雰囲気を作ってくれたり悪いことをした生徒には一喝してくれたりしていた。
実際、中2の学祭で出す模造絵のリーダー格の子と上手くコミュニケーションが取れなかった時、何度かその子に注意してくれたみたいだった。
(なお改善はされなかった模様)

だが、進路選択を迎える大事な時期に、担任は無能教師に代わり、クラスは荒れに荒れた。
その頃から、半分のクラスメイトが私に対してあからさまに「嫌」という態度を示すようになっていった。

恥ずかしい話、私は体重が物凄くある。典型的なおデブちゃんだ。
当時からその傾向があって、身長の割に体重が多すぎるのだ。
いわゆる「太りやすくて痩せにくい体質」である。
まぁ、食べることが好きだから拍車をかけているのであるが、問題はそこではない。

クラスメイト達はやたら私を汚物扱いしていたのだ。

実際にやられたのは次の通り。

・私が触った物(プリント、教科書など)を指先だけで触る
・机をくっつける時、私の席だけ隙間が空いている
・私が給食当番時、代わりにおかずを置いてくれる人がいない
・先生からプリントを渡された際、他の人相手は顔を合わせて渡してくれるのに、私にはプリントだけ渡す

この他にもいろいろやられたが、ざっと思い出してもこんなもんなので、このくらいにしておく。
とにかく私はクラスから「汚物」として見られていた。

クラスの中での私の立ち位置は、「人間」というより「豚」として扱われていたように思う。要は家畜同然。家畜だから汚くて当たり前、汚い物には触りたくない。表沙汰になっていないだけで、そういうことが平気で行われていた。

中でも一番堪えたのが、陰口を言われていたことだった。
別に陰口自体はいい。ただそれが、名前で言われずに陰口を叩かれたという話だ。

忌み名は「Pさん」。
何由来かはわからないが、おそらく私がぽっちゃり体型だから、もしくは「Pig(豚の意味)」から来ているのではないかと思われる。
私はクラス中から「Pさん」と陰で呼ばれ、人間扱いされなかった。
クラスメイトの中には、「Pさん」が誰を指すのか知らない人もいただろう。実際、私が教室内にいるのにも関わらず何人もの生徒が「Pさんネタ」を口にしていたのを何回も目撃している。
酷い時は後ろの黒板に「Pさん」と書かれていた。しかも相合い傘。
相合い傘の相手にされた男子はここ一番の悲鳴を本人の前であげていた。

表沙汰にするのがあまりにも馬鹿馬鹿しかったので中学卒業まで耐えたが、今思うと不登校になってもおかしくなかったように感じる。
しかし、高校受験前にそれをしてしまうと内申点に響いてしまうので、それだけはできなかった。

不登校を選ばなかったのには、もう一つ理由がある。
それは、当時つるんでいた友人Mが不登校経験者だったからだ。
このMこそ、今まで出会った人間の中で一番の癌なのである。

Mとの付き合いは中1まで遡る。
当時所属していた美術部の同期で、話せば話すほど仲が良くなった。
2年に上がると晴れて同じクラスになり、そこから一緒に遊ぶ仲にまでなった。

Mの第一印象はおとなしい子。それでいて優しい。
おまけにアニメも良く観るし、ジャンプも読んでいるとのことでかなり距離が縮まった。
最初はすごく良い子だったのだが、距離が縮まるにつれて彼女が持つ凶悪な本性が次第に顕になっていった。

2年のクラス替えで一緒になった私とMは昼休みでもずっと一緒だった。
後に、小学校から一緒だった友人Nを加えて、3人でつるむことも増えていった。
一人欠けても仲が良い関係であればいいのだが、だんだんとバランスが崩れていった。

ある日の放課後。
私とMはいつもどおり美術部の部室で過ごしていた。
途端に、Mが言った。

「Nのこと、あまり好きじゃない。むしろ嫌い」

その一言がきっかけで、Mによる露骨なN外しが始まった。

最も顕著だったのが、修学旅行での出来事。
私はMとNの「仲良し3人組」で一部屋となった。

3人で過ごしている時、Mはやたら私に声をかけた。
部屋にはNもいるのに、話しているのは私とM。しかもその時だけやたらとMが友人ヅラしていたので、目的は明確だった。

Mは自分が気に食わないと感じる相手に対しては、執拗かつ姑息な手段で潰そうと画策した。
例えそれが「友達」であったとしても…いや、Mにとって「友達」とは最も都合が良い「道具」なのであり、「鎖」でもあった。

Nにやったということは、私もやられる。
しかしながら、中2当時は陰口を気にしなかった時期だったので、私はMのことを「ちょっと強引さがあるけど根は良い友達」と思っていた。

モヤっとし始めたのは中2の3学期あたりから。
家庭科の授業でとある男子が私の目の前で「共食い」「用意しなくていい」とコソコソ声で話しているのを目にした。
やたら私に視線を感じたので、私のことを言っているのだとすぐに察した。

そこから少しずつ他人が信じられなくなった。
調理実習でも見事にハブられた。Mが「何すればいいって言ったほうがいいよ」と助け舟を出さなかったら、私はただ突っ立っているだけで終わっていたかもしれない。

そして中3。「Pさんいじり」が露骨化していった。
クラスが崩壊すればするほど、自己肯定感はどんどん小さくなった。

「Pさん」を最も嫌っていた人が、同じクラスにいる。
保育園時代からの付き合いであるH。相合い傘の相手にされた人物だ。
「Pさんネタ」の多くは、H発信によるものだった。

同時進行で、Mによる私いじりが酷くなっていた。

中3を境に、Mによる過度ないじりがエスカレートしていった。
文化部は10月に引退するので放課後は暇になる。普通の生徒は勉強に勤しむのであるが、私の場合はMがそれを許さなかった。
放課後、街の図書館に呼び出されてはダメ出しをされ、マインドコントロールされるようになった。
さらにはお昼休み。これもまた普通の生徒は勉強に勤しむのであるが、Mが「廊下で鬼ごっこしよう」と誘ってくる。断ったら図書館に呼び出されて「なんで断ったの?」とせがんでくる。おまけにクラスは崩壊。学校全体も荒れていた。

短絡的かも知れないが、「PさんいじりはMが仕向けたものなのではないか?」とさえ思っていた。
そもそも友達であれば、どうして心に寄り添うことをしないのだろうか?
「つらいよね」とか、そういう一言があってもおかしくなかったのではないだろうか?

でも、Mから離れることはできない。
離れてしまえば、私はクラスで孤立してしまうからだ。

「ちょっと強引だけど根は良い友達」
それを頭に唱え続けて、自分を騙してきた。

だが、私は見てしまった。
MがHに「今日言うわ」と言っているのを見たことを…

Mによるいじりがあまりにも度が過ぎるようになっていった。
その頃は受験まで少ししかなくて、各自自習という自習を重ねていった。

私はMと一緒になるのが嫌で、地元の高校を選択肢に入れなかった。
偏差値は少し高いが、青森市の某高校を第一志望にしていた。
だからこそ、勉強できない焦りが生まれていた。
そして、それを邪魔するのがMだった。

「もうMとつるんでも何も良いことがない。絶交しよう」
そう心に決めて、ある日の昼休みに告げた。

当然、Mは激怒した。
「友達だと思っていたのに」「この関係が終わったら味方は誰もいない」
あまり覚えていないが、呪詛という呪詛を吐いていた。

改めて、放課後の呼び出しを食らわされる。
そこで思いの丈を言語化できるだけ話した。
Mによるマインドコントロールと「Pさんいじり」によって、私は言葉を紡ぐだけでも精一杯になっていた。

Hと何を話していたのか、Hと何か共謀しているのかを聞いた。Mによると、別件でやり取りしていただけで私とは何ら関係ない話だと言われた。
「それだけで判断されたら迷惑なんだけど」
同じクラスなんだからPさん関連も耳に入れているくせに、そこは触れないのかと思った。
結局その日は絶交することが有耶無耶になってしまった。

幸いだったのが、事情を知ってくれている隣クラスの友達Rが味方してくれたことだった。
彼女もまた、Mによる被害者の一人だった。その当時もMと付き合いがあったのだが、適度な距離を保って接していた。
Mとの関係についても相談できた数少ない味方の一人だったので、欲を言えばRと一緒に第一志望の高校に行きたかったくらいだ。

次の日も学校だったのだが、この日のMは私に近づこうとしなかったので、やっと私も自習ができると安心感を抱いた。

でも、やっぱり放課後呼ばれた。
「きちんと話し合いたい」と、Nを通して言われた。

もうこれで終わりにしようと思った。
「こんな考えを持つ友達なんていらないってお母さんが言ってた」と。
「私達は最初から相容れなかったんだ」と。

それをMに言った。するとMも「同じことを母親から言われた」という。
そして私達はエヘヘと笑った。

不本意ながら、私とMは仲直りしてしまったのだ。
だが不思議と「これで孤立しなくて済む」と安心感も感じた。

そして私は第一志望の高校に落ち、後期受験で母校に受かった。

高校進学後、一度だけMとNが家に来たことがある。だがもう遊んではいない。MとNは地元の高校に進学し、そこでも「友達ごっこ」を続けたという。
ある帰りの電車内で、Nから着信をもらったことがある。私はもう懲り懲りして「今電車の中なんだけど」と言ったっきり、折り返さなかった。
母から聞いた話だが、Nはその後の私について「冷たくなったんだよ」と言っていたそうだ。たまたまN親子とスーパーで鉢合わせをしたらしい。
ちなみに母はMのことを「吐き気を催す邪悪」として毛嫌いしている。私とMの関係が切れてホッとしたらしい。

最後にMと会ったのは成人式。
着付け場所の美容室がたまたま一緒だったのだが、互いに話すことはなかった。

何故Mは私を仲間外れにしなかったのか。
それはきっと、私が別の友達を見つけることを恐れたからだろう。
実はあの忌まわしいクラスの中でも、若干数ではあるが普通に接してくれる生徒がいた。もしその生徒と仲良くなってその人達が私を守ったら…Mの元に離れてしまったら…となると、Mは私と距離を置かざるを得なくなる。

もし私が「学校に行かない」ことを選んだ場合。
Mは不登校仲間が増えたと思って、家まで押しかけてきただろう。
傍から見れば「善意」であるが、Mの素性を知っている人間からすれば迷惑行為以外の何物でもない。
私が通っていた中学校には「不登校専用教室」みたいなものがあって、給食タイムのちょっとした時間にはそこへ顔を出していた。
だから私は登校することを選んだ。

同じ恐怖はNも感じていた。
当然ながら、Nも私が置かれている状況を知っていた。
Nが私に言ってくれたことがある。

「本当は今すぐにでもMから離れたいけど、離れてしまえば本当に友達がいなくなる。それが嫌だ」

Mによる気まぐれでシカトされたN。被害者の一人っちゃ一人なのだが、地元の高校に進学してもなおMとの関係を続けていた。
なおかつ成人式でも一緒に行動していたので、真の意味でMとの友情関係を築き上げたのかもしれない。

現在、私はMの連絡先を知らない。
それどころか、こちらから連絡を取るつもりは毛頭ない。会うメリットがないからだ。

小耳に挟んだ情報によると、Mは男の味を覚えたらしく、それを使って相変わらず姑息な人間関係を続けている。
年齢が年齢なので、そういうやり方しか知らないのだろう。同情はしないが、哀れな女である。

だから私は、癌になりそうな人間から嫌われるのだ。
そうしないと、自分を失ってしまうから―。

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