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9/12 罪悪感はもたなければ、罪悪感を手放すという経験はできない。

これもまた衝撃的なものだった。

なんのために、こんなに自分で自分を苦しめるのだろうかと、そう思うことは生まれてこの方何度もあった。

まさか、
手放すという経験をするためだったとは。


確かに手に持ってなかったら離すことはできない。
そもそもそんなもん最初からなくていいじゃんかって思うけど、どうやらこの地球という星での生活ではそうはいかないらしい。

目にしてきた、手にしてきた、全てに意味はあるからと藤井風も言っていたが、どうやらこの世には、好きか嫌いかにかかわらず、経験するために生まれてきたようだ。

思うと、たくさんの罪悪感があった。

・教師になるからと生活費も学費も全部負担してもらったのに、やめたこと
・静岡を、実家を離れて暮らしていること
・盆にも正月にも帰らないこと
・子供を産まないと決めたこと
・好きに暮らしていること

なんか出てくるのが全部親に対するものだな。笑
他にもあるだろうけど、まとめると、親の期待に沿わないと決めたことだな。

そこに宗教まで絡んでくるから余計ややこしいけど、こう生きねばならぬと小さい頃から刷り込まれてきたことは、いわばオクラの自分をどうにかバラにするようなもので、自分には苦しかった。
でも、バラになることが自分の人生だと思ってたから苦しかったんだ。
でも、なろうと思ってもなれなかったんだもん、、、。
でも、なれない自分ってなんてダメなんだろう。って。なるやん。

だから、バラにならないことに罪悪感を強く覚えていた。
なんなら、時が経ってオクラだったのだと認め始めた時も、オクラと認めたことに罪悪感を覚えていたな笑

でも、自分がオクラなんだって、そんな自分でいいんだって、それが自然なんだって、そう心底思った時に、その罪悪感も手放れたのを感じた。

俺はこの自分が好きだ。

そしてもっともっと好きになっていくと思う。

オクラは粘り強いのさ。(後付け)


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