見出し画像

【星蒔き乙女と灰色天使⑥】悪魔がみている


【8日目】悪魔がみている


 
 昨日の続きから、と思って文章を見返せば、なんだか世界への宣戦布告みたいな文章が並んでいて、昨日の私は一体どんなテンションでコレを書いたのかしら、と頭を抱える。

 昨日はレジで過不足を出すわ、そのせいで報告書作成に時間を取られるわ、季節のフェアは重なって入荷してくるわ、で最悪な一日だった。そんな一日だったから、家に帰ってくるなりシャワーもそこそこにベッドへ倒れ込み、泥のように眠った。

 夢は見なかった。悪夢もいい夢も。

 朝目が覚めて、ミギのことを忘れてしまえば、二度と夢の中でさえ会うことができなくなるのかな、とベットの中でしんみりした気分になる。どうやら昨日の落ち込みを引きずっているらしい。
隣にあったはずの彼女のベットがなくなった寝室は、やけに広くて、いつもその空間に寂しさを感じてしまう。
 彼女を忘れてしまえば、こんな寂しさに悩まされることもないのにな、と枕に顔を押しつけて少し泣き、湿った枕の居心地の悪さに思わず笑ってしまう。

 別に完全にホロさんのことを信じているわけではなくて、もしかしたら新手の新興宗教とか詐欺の可能性もあるかもなぁ、とは考えている。それでも、カグラちゃんの天使としての姿を見せられ、恐怖体験を経て、私の中で世界の見方が少し変わってしまった感覚もある。

 にわかには信じられない、重なった世界の話。二階のベランダに飛び込んできた天使。至極色のホロさんの瞳、誰にも見せていないはずの小説の話。
 一昨日までの私では絶対に信じようともしなかったそれらの事実が、今では実体を持って目の前にあるような、イメージ。
 昔ミギが話してくれた、もう存在しないかもしれない星の話。地図にない島の話。観測できない、という点においては、それらも、そういった類いの話になるのかもしれないし、実は二人は宇宙からきた宇宙人で、巧みに――巧みに?私を取り込んで、キャトル・・・・・キャトル・・・・・・・連れ去ろうとしているのかもしれない。
 私たちの見えている世界はあまりにも狭くて、幽霊を見た、という人はもしかしたら重なった世界の誰かを見てしまっているのかも。
 その答えはわからないけど、そうだったら楽しいな、と思う。だって、ファンタジーがファンタジーじゃなくなるんだもの。おとぎ話の世界が現実になったら、大人たちはどんな顔をするだろうか?
 きっと、どうにか見ないふりをしたり、なんとか科学的に証明しようとしたり、とにかく認めないための努力をし続けるに違いない。
 もちろん、私もそんな大人の中の一人で、現にカーテンを開けた際、隙間から見えたブロント色を、見ないふりして妄想に耽っているのだから。
 
               ○
 
「学習しないね」
「・・・・・・すいません」
 今日は素直ね、と感心しながら、彼女の分もトーストを焼いて、コーヒーを淹れる。目の前の天使と違って、人間は学習する生き物なので、彼女の分にはミルクをたっぷり入れてから、角砂糖も持ってテーブルへと運んだ。
「ありがとうございます」と小さく頭を下げてから、彼女の視線は再びテレビの方へと戻っていく。そんなに気になる番組なんてやっていたかな、考えながら、彼女の隣に腰掛けた。

「パンダって可愛いですよね」
 今日もテレビに見入っているなぁ、と思いながら自分のコーヒーを一口啜ると、彼女がそう言って同意を求めるように私の方を見つめてくる。
 昨日も同じ会話をしたなぁ、とテレビの方に目をやれば、今日は着ぐるみパンダではなく、本物のパンダが笹を咥えてポーズを取っていた。どうやら東京の動物園を特集しているらしい。
「そうね」
 一時期パンダブームが起きた際、ミギと一緒にパンダを見にいった事がある。職場のスタッフにパンダマニアがいて、「絶対見に行った方がいいですよ!」と勧められたからだ。

 結果としては目当てのパンダはのんびりお昼寝中。お尻をこっちに向けながら爆睡していて、あまりお目当ての者が見られたとは言えなかったのだけど、ミギは妙に機嫌が良くて、もう部屋には飾るスペースもないのにパンダのぬいぐるみを買っていた。勢いでジャイアントパンダを買おうとしていたのは、さすがに止めた。
 どうやらカグラちゃんもパンダ好きらしく、あのときのぬいぐるみがまだ残っていたら、喜んだんだろうな、なんて年の離れた妹を見るような目で彼女を見てしまう。

 実際、ミギの消失に伴って消えてしまった彼女の私物は一体どこに行ってしまったのだろう。彼女を思い出してしまうから、彼女のスペースにはなるべくものを置くようにして、広すぎた部屋はほどよく散らかっているけれど、もし彼女がひょっこり戻ってきたら、この部屋の状態を見てなんて言うだろうか。

「私のみたらしは?」

 そう、ショックをいいながら言うに違いない。ちなみに、みたらしというのはお気に入りのクッションで、まるまるとしたタヌキの格好をしていた。色がみたらし団子色だから、みたらし。ちなみに私の子はキツネのフォーク。フォックスから取ったと言っているのに、ミギは「独特なセンス」とよく私をからかった。「みたらし」も大概だと思うけど。

「カグラちゃんはぬいぐるみとか、好き?」
 同意が得られて嬉しそうににこにこする彼女に尋ねると「人並みには好きだと思います」と、ぽちゃぽちゃと音を立てて、いくつもコーヒーに砂糖を入れながら返してくる。
 好きに人並みも何もないと思うけど、と考えながらキツネのフォークを指さして「カグラちゃんがこの子に名前をつけるとしたら?」と戯れに聞いてみた。
 まんまるタヌキのみたらしと同じシリーズなので、フォークも例に漏れず、キツネにはそぐわないまんまるボディで、そのメタボボディがとにかく愛らしい。
 縁側でひなたぼっこする猫」みたいな和んだ表情も好きポイント。

「そうですね・・・・・・・」
 割と時間をかけて考えた後「おいなり」と真面目な顔で答えるものだから、つい声を出して笑ってしまった。
顔を赤くした彼女が恥ずかしそうに私を睨んでくる。
「可愛いじゃないですか、おいなり!」
「うんうん、かわいいね」
「もー!子供扱いして!」
 ぷんすかと声を上げて怒る彼女をなだめながら、なんだかカグラちゃんはミギに似てるな、なんて思った。
 猫みたいに気まぐれで、甘えたいときに甘えて、こちらの都合なんてお構いなし。それでも私のことを癒やしてくれて、大切にしたいと思える。そんな存在。
 それに――
「ネーミングセンスも」
「なんですか?」
「ううん、こっちの話」

 ミギがいなくなった心の隙間は埋められないけれど、カグラちゃんがいてくれると、隙間から入り込む冷たい風の代わりに温かさをもらえて、ほっとする。
 だから彼女は天使なのかな、なんて空想めいたことを考えて、まあそれもいいかな、と心の中で小さく笑った。
 
              ○
 
 おいなり・・・・・・ではなくフォーク――キツネのぬいぐるみのこと、を抱きながらカグラちゃんは大きなあくびをする。暖房の効いた部屋は暖かく、冬にしては珍しい晴れた青空は、なぜだか眠気を誘ってくる。

「・・・・・・のどかですね」
 縁側のおばあちゃんみたいなことを、だらけきった表情で呟く彼女を見ていると、この物語を終わらせようと焦る気持ちもなんだか馬鹿らしくなってきて、今日の予定を考える余裕が生まれる。
 今日は幸い仕事も休みだし、この小説の執筆に時間をかけることもできるけれど・・・・・・ちらりとカグラちゃんの方を見ても、今日も自分から動く気はないようで、とろけたチーズのように机に向かって伸びている。他人の家とは思えないくつろぎっぷり。
 多分昨日みたいに出て行くように促せば、文句も言わず・・・・・・文句は言うかもだけど、おとなしく出て行くはず。
 だけど、あまりに部屋になじんでいるせいでどうにも口を出しにくい。まるで、彼女がそこにいることが当たり前のように感じてしまう。

 レースのカーテンを通して零れた日差しが彼女の金色の髪を照らし、プリズムのように七色に煌めく。眠いのか、半目に開いた瞳の色は薄い灰色で、目尻にはあくびで出た涙が光る。その姿そのものは非現実的なのに、あまりに光景への溶け込み方があまりにも現実的で、この景色を一枚の絵として飾ったら、すごく芸術的なんじゃないかな、と思った。
 タイトルは――「まどろみ天使」。

「・・・・・・勝手に人を芸術作品にしないでください」
 無意識に妄想の世界に入っていた私をカグラちゃんの一言が現実に引き戻す。思い描いた想像を、恐る恐るぶつけてみる。
「もしかして、カグラちゃんも」
「いいえ、人の心も記憶も読み取れませんし。今回はアキネさんがあまりにもわかりやすい動きをしていたので」
 呆れたように私を見るカグラちゃんによれば、指でカメラを作るように彼女を見ていた、とのこと。さらに言えばご丁寧に片目を閉じてシャッターチャンスを狙っていたらしく、やっぱり疲れているのね、と片手を額においてしばらく項垂れることになった。
「ただ、私が想像していたのは絵画の方で・・・・・・」
「どっちでもいいです」
 最後まで言い切る前に、残念ながらぴしゃりと言葉を遮られてしまった。
 
                ○
 
「お昼、どうしようか」
 あまりに自然に言葉が出ていて、彼女の方を見るまでそこに誰がいるのか勘違いしていた。
「・・・・・・お昼までごちそうになっていいんですか?」
 まるでそこにいるのがミギであるような気がして。
「・・・・・・うん、何か食べたいものあるかしら」 
 動揺を取り繕うように会話を続ける。大丈夫、気づかれてない。・・・・・・ううん、気づかれて困ることなんて、ないのだけれど。
「でしたら――」
 私としては洋食が好みですけど、アキネさんの気分が和食なら和食でも・・・・・・あ、中華って手もありますね!でも、今のアキネさんには脂っこいものはキツいでしょうか・・・・・・
 私に気を遣ってくれているのか、普段に増してカグラちゃんはよくしゃべり、それに聞き入るふりをして心を落ち着かせる。大丈夫、大丈夫。私は大丈夫。大丈夫だから。

「・・・・・・お気に入りのお店があってね」
 もう、行くことがないと思っていたあのお店の名前が、すらすらと口から出てくる。ミギとの思い出の店、二人で通った行きつけの店。あの、初めての夜の店。
「スープがおいしいの。カグラちゃんがよければ」
 誰と行くか、の答えは不思議と出ていて、目の前のカグラちゃんは目を輝かせて「ぜひ!」と力強く頷いた。
 まだ思い出は消えていないけれど、彼女と一緒ならば乗り越えられる気がしていた。
 
                ○
 
「お久しぶりですね」
 店長さんはだいぶ時間が経っていたにもかかわらず、私のことを覚えてくれていて、「今日は妹さんと?」と屈託のない笑顔で聞いてくる。

「はいっ、お姉ちゃんがごちそうしてくれるって」
 にこにことした笑顔でカグラちゃんはそう答え、私に向かってこっそりウインク。まあ、確かに彼女との関係性は私にもよくわからないもので、素性も知らない未成年を連れ回しているとバレてしまえば、現代社会ではあまりいい顔をされないだろう。
 彼女の演技に付き合って、軽く相槌を打ちながら、店内を見渡してみる。しばらく月日が空いたにもかかわらず、店内はほとんど変わりなく、変化があるとすれば最近流行している感染症対策でテーブル同士の間隔が広くなっているくらいか。

 店内にはポップな洋楽が流れていて、前は落ち着いたジャズじゃなかったかと聞けば、お昼の営業は明るい雰囲気にしているんです、と水を注ぎながら店長さんが答えてくれた。
「うちも中々厳しくて、最近ランチ営業も始めたんですよ」
 そう言われてみればこのお店に来るのはいつも夜だった。彼女の作ってくれる特製カクテルやサングリアを飲みながら、様々なスープに舌鼓を打つ、そんなお店。
 ミギは甘いお酒が大好きで、果実酒やサングリアを中心に、私はどちらかと言えばビールやサワーのような居酒屋的なお酒が好きだったのだけど、このお店はどちらの需要も満たしていて、よく二人で食事に来たんだっけ。
店長さんは手際よく二人の前に水とメニュー、おしぼりをおいて「決まったら声かけてくださいね」とカウンターの方へ戻っていく。・・・・・・店長さんってなんか違和感あるわね、彼女の名前は確か・・・・・・葉月さん。名字が狐に関係していて、常連さんには彼女のことを「きつねちゃん」って呼ぶ人もいるみたい。

「アキネさんはどれにします?」
 ホロさんの喫茶店の時もそうだったけど、カグラちゃんは食に対する熱意がすごく強い。今日も真剣にメニューとにらめっこして、頼むべきメニューを品定めしているらしい。
 真剣に悩む彼女を横目に自分もメニューに目を通せば、ランチセットが3種類あって、パスタがメインのAランチとBランチ、オムライスがメインのCランチがあり、パスタランチの方にはスープとサラダ、ドルチェにドリンク、オムライスの方にはスープとドリンクがつくらしい。
「私はAランチにしようかな」
 パスタの種類を見比べながら、セットを決めて、カグラちゃんの方を見ればまだ悩んでいる様子。何に悩んでいるのかと観察すれば、どうやらメインはオムライスが食べたいけど、デザートも欲しい、というところで悩みに悩んでいるらしい。年相応の奔放さというか、可愛らしい悩みというか、私も彼女くらいの時はそんなくだらない悩みで友達と笑い合えたな、なんて思い返す。
 それでもその頃はそんな小さな悩みで一喜一憂して、毎日が色づいて美しく見えていた。まさか、こんな形で世界が色を失うなんて、考えたこともなかった。
 もちろん比喩だけど、ミギを失った直後の日々はあまりに無機質で、灰色の世界に見えた。今はだいぶ落ち着いて、日常を取り戻せているけれど、時々フラッシュバックするように、世界がひび割れることがある。
そんな日は決まってひどい頭痛と吐き気に襲われて、いつまで私は、と強い恐怖に襲われる。その度深紫のホロさんの瞳が脳裏に浮かんで。
 全部忘れてしまえば――。

「決めました!」
 カグラちゃんの脳天気な――決意はしっかり籠もっていた、声に現実に引き戻され、目を白黒させながら彼女を見れば「Cランチでお願いします」と小さく頭を下げてくる。
 頭を下げた表紙に、淡い金髪が重力に従って机の上に零れ、窓から入る日差しを浴びてキラリと煌めく。
 刹那、ひび割れた世界が急激に収束し、輝きに導かれるかのように世界が再び色づく。
 店内の暖かな色をした赤い壁、天井で回る黒いファン。メニューの背表紙の焦げ茶色に、私を見つめるカグラちゃんの色素の薄い灰色の瞳。
 さっきまでは耳に届いていなかった他のお客さんの話し声と心地の良い店内音楽。
 ちゃんと目を向ければ世界はこんなにも広がっていて、ミギとの思い出だけの世界に閉じこもっていた私を、カグラちゃんは引きずり出そうとしてくれているようにも思えた。

「貴女とミギさんを救いたいんです」

 彼女のその言葉が、なぜだか頭の中でリフレインしていた。
 
               ○
 
「そういえば」
 オムライスをスプーンで口に運びながら、「あ」の口のままストップして私を見てくるカグラちゃん。変なところ律儀ね、と思いながら、とりあえずその一口を食べるようにジェスチャーで伝え、手持ち無沙汰に水を一口飲む。
 もぐもぐと大きな一口を飲み込んだ後、「なんですか?」と問いかける彼女の視線は再び半分ほど食べ終わったオムライスの方に向いていて、あまり真剣に話を聞く気はなさそうねと、どう切り出すか少しだけ考えた。

 結局いい考えはまとまらず、ストレートに聞いてみる。
「あなたの姿は・・・・・・例えば、葉月さんにはどう見えてるの?」
 葉月さんって誰でしたっけ、とか、ご飯中に聞かなくてもよくないですか、とか、考えていることがわかりやすい彼女の顔には、そんな言葉がいくつも浮かび上がっていて、少しの間の後「可愛い妹に見えてるんじゃないですか?」と投げやりな答えが返ってくる。どうやら、よほどオムライスに心を奪われているみたい。

 オレンジ色のチキンライスの上に半熟卵とデミグラスソース、確かに彼女の目の前に置かれたそれはとてもおいしそうで、食べている彼女の反応を見ていると、それは間違いではないらしい。
 もぐもぐとスプーンを口に運ぶ彼女の動きは止まることなく、よほど好みにあっていたのか目がキラキラ輝いている。どうやら食べ終わるまで真面目に話を聞いてはくれなそう。
「・・・・・・あ、うん、邪魔してごめんね」
「いえ、大丈夫です」
 言うが早いが再びオムライスとの格闘に戻るカグラちゃん。こんなのだけど、彼女がこうしてくつろいでいるということは、他の人には私が見ているような姿で見えてはいないのだろう。
 ちなみに私からはおいしさを体全体で表しているのか、幻の翼を大きく広げ、煌めく粒子を辺りにまき散らしながらオムライスをパクついている天使が見えている。頭に天使の輪っかまで見えたらどうしようかと思った。
 パスタを口に運びながら、改めてそんな彼女を観察していると、ファンタジジーの「天使」という言葉でしか形容できなくて、不思議な気分になる。天使に餌付け・・・・・・じゃなくて、天使とご飯を食べる経験をした人間なんてこの世界中で私だけじゃないかしら。
 いや、もしかすると気づいていないだけで、同じような経験をみんなもしているのかもしれない。
 ここに来る前に聞いた彼女の言い分では「世界が勝手に認識を修正してくれるから、カグラちゃんは他者からは普通の人間に見えている」ということ。つまり自分たちは友達や恋人として接している人が、実は人間に見えているだけで、違う種族ということも――。

「アキネさん?」
 つい、考え込んでしまったせいか、パスタを食べる手が止まっていた。心配そうにこちらを覗き込むカグラちゃんに問題ないと伝え。ふと視線を感じてそちらを見れば、「お水、いかがですか?」と葉月さんが水差しを手に立っていた。半透明のポットの中には輪切りのレモンが入っていて、かすかな酸味の正体はこれか、と一人納得する。
「あっ、じゃあ」
 半分ほど減ったグラスを差し出して。水を注いでもらう。ミギと来たときも、よく水を帰り際にもらったっけ。
 弱いくせに飲みたがるせいで、すぐに潰れがちのミギの世話をするのはいつも私の方。とりあえず応急処置として水を飲ませておけば、多少は酔いも覚めるでしょうと、帰り際には水を一杯飲ませていた。
 そんな私たちを葉月さんはいつも笑って対応してくれていて、まるで私と先輩みたい、と少し遠い目で話してくれたこともあった。
「でも、妹さん綺麗な髪色してますね」
 ランチタイムも終わりに近づいてきたせいか、さっきまで何組かいたお客さんも数が減って、余裕が出てきたのか葉月さんが話しかけてくる。
「アキネさんの真似して染めてるのかな」
 可愛いね、と褒められて照れたように頬をかくカグラちゃん。褒められるのにはあまり慣れていないらしい。
 私の髪色は明るめのブラウンに染めていて、会社の規定ギリギリの明るさ。カグラちゃんは髪色で言えばかなり明るめのミルクティーベージュって感じかな。本当に高校生だったら、確実に校則違反な髪色ね。
「本当に綺麗な・・・・・・ベージュかしら、不思議な髪色ね」
 うっとりとした視線で彼女の髪を眺めながら、自分の髪を指で梳く葉月さん。彼女の髪は短めで、しっとりと深い黒髪だ。髪質はストレートに見えるので、伸ばしても綺麗だと思うけど、飲食業だと難しいのかも。
「どこで染めてるの?」などと少しの間雑談した後、「お邪魔しました」とはにかんで、離れていく葉月さん。
 彼女と話すのも久しぶりね、としばらく感傷に浸っていると、トントンと合図するようにカグラちゃんがテーブルを叩き、ぐっと上体を伸ばし近づけて、小声で話しかけてくる。

「葉月さん、よけてましたね」
 私としては話の内容より、デミグラスソースが桜色の彼女のカーディガンを汚さないかが心配だったのだけど、それはともかくどういうことなのか私も身を乗り出して、こそこそ話をする。
「何を?」
「私の、翼です」
 これこれ、というように自分の背中を指さして。灰色の瞳を怪しく光らせるカグラちゃん。自分の考えに没頭していたせいであまり覚えていないけれど、確かに葉月さんは不自然な動きで私たちのテーブルに近づいてきた気もする。
「それに」
 名探偵気分なのか、話に熱が入りぐいとこちらに近づいてくるので、服を汚さないように彼女の前のお皿をこちらによせてあげた。
 あまり大きな声で話す内容でもないということか、こそこそと授業中に喋るような声で、カグラちゃんは半紙を続ける。
「彼女から別の――」
「おっと、失礼」
 急に頭上から声をかけられ、驚いて体が震える。恐る恐る声のした方を見れば、長身の女性がにこやかな顔で立っていて「それ以上はやめとこうか」と人差し指を唇に当てていた。座りながら見上げているせいもあるとはいえ、170は優に越えていそうな背の高さだ。
「どなたで」
「先輩!」
 珍しく張り詰めたカグラちゃんの声に重ねるように、カウンターの方から葉月さんの声がして「どうしましたか?」と慌てて彼女が飛び出してくる。
「この天使ちゃんが余計なことを言おうとしていてね」
「この方たちはうちのお客さんです」
「はいはい、わかりました」
 優しい笑顔と落ち着いた声。何も怖がる事などないはずなのに、先輩と呼ばれたその人が話すたび、背筋を冷たいものが走る気がする。
 その違和感に気づいた頃には、彼女はすでに会計を終えて、店内を出ようとしていて、葉月さんの耳元で何か話していたようだけどそれは聞こえなかった。
 彼女の違和感、それは。

「すごく冷たい目」
 彼女が出ていった入り口のドアを見ながら、カグラちゃんがぼそっと呟く。彼女にしては珍しい、敵意の籠もった鋭い瞳。
「笑ってたけど、笑ってなかったね」
 笑顔の奥に見えた瞳は全く笑っていなくて、それどころか強いプレッシャーを全身から発していた。まるで、私のものに近づくな、と自分の獲物を守る肉食獣の貌。
 今にもうなり声を上げて威嚇を始めそうなカグラちゃんの様子にどう声をかけようかと悩んでいると、慌てたように葉月さんが近寄ってきて「ごめんなさい、うちの先輩が」と深々頭を下げる。
 しばらく申し訳なさそうにそうしていた後、顔をあげてじぃとカグラちゃんの顔を見て、大きくため息を吐く。
「あなたも人ならざるものですね」
 私は天使です、とカグラちゃんが自己紹介する前に葉月さんは私を見て言う。
「アキネさんも大変ですね」
 いよいよカグラちゃんはむくれてそっぽを向き始めた。
 
                ○
 
「ええと――」
 どこから説明するべきか、というか彼女が何を知っているのか、そもそもこの話をすることでまた世界の法則とやらにストップをかけられないか、いろいろな考えが私の頭の中を巡る。
 とはいえ、このまま黙っていてもカグラちゃんはむくれたままだし、葉月さんには謎の同情をされっぱなし、私だけが気まずい思いをすると言うのも割に合わなくて、とりあえずこれだけは伝えておこうとカグラちゃんを指さす。
「彼女は天使・・・だそうです」
 まるで鳩が豆鉄砲を食らったような、あまりに予想外の言葉だったのか、葉月さんは驚いた顔のままたっぷり5秒は固まって、その後反応することを思い出したように「天使」と言葉を確かめるように一言呟く。
「それは」
 続く言葉次第では手が出ますよ、といったカグラちゃんの顔と、先の展開が読めずドギマギする私。 
 続く彼女の言葉は「素敵ですね」だった。
そう言って、葉月さんは薄くクマが見える目元を緩め、少し疲れたように笑った。
 
              ○
 
「ランチタイムが終わるまで待っていてください」と、ドリンクのおかわりとデザートを葉月さんは追加してくれたようで、二杯目のコーヒーとシフォンケーキが運ばれてくる。思わぬ棚ぼたにカグラちゃんは目を輝かせて、私を見つめてきた。
 その姿がまるで大型犬みたいで、尻尾があったら超高速で振ってそう。こうやって普通に眺めている分には、彼女は髪色と目の色が特殊な一般人に見えて、正直に言えば未だに天使だということも信じ切れていない。それが正常な大人の反応だと思う。

 確かに、2階のベランダに二日続けて引っかかっているのは空を飛んできた証拠だ、と言われればそうかもしれないけど、こんな見かけで凄腕の泥棒かもしれない。いや、凄腕の泥棒は家主に二回も見つかって、家に招かれてコーヒーを飲んだりしないか。
 オムライスを食べ終わり、デザートのケーキを丁寧な仕草で食べる彼女を眺めながら、コーヒーを啜る。穏やかな午後、といえばそうだし、後に控えていることを考えればそうでもないと言えそうな、そんな景色。
 最近は非日常的なことがあまりに多すぎて、本当にミギのことを考えることが減った、と思う。思い出の店に来ているというのに、カグラちゃんのこととか、葉月さんのこと、ホロさんのこと、私の周りにミギ以上にわからない人たちが集まってきて、落ち着いて考える暇もない。

「アキネさん」
 付け合わせの生クリームを口の端につけながら、カグラちゃんが優しく微笑む。
「いいんですよ、たまには休んでも」
「・・・・・・かっこ付ける前にクリームを拭いたら?」
「・・・・・・えへへ」
 いまいち締まらない激励につい憎まれ口をきいてしまうけど、確かにそうかもしれない、とも思う。
「でも・・・・・・」
 クリームをハンカチで拭き取りながらこちらを見てくるカグラちゃんに向けて、ほっと息を吐いて言った。
「今だけは、そうしてみるね」
「えへへ」
 照れ隠しの笑みと違って、今度は堂々と、柔らかい笑顔で彼女は笑う。その美しさだけで、彼女は天使と信じてもいいかもね、そう思った。
 
              ○
 
「お待たせしました」
 ランチタイムが終わり、一時休憩時間に入った店内はがらんとして広く、天井で回っていたプロペラも今は動きを止めている。
 葉月さんはエプロンを外したラフな格好で、長い足にジーンズがよく似合っていた。
「いえいえ、こちらこそ・・・・・・」
 お互いなんと続ければいいかわからずに、そこで会話が泊まってしまう。そんな中でカグラちゃんだけが、のんきにオレンジジュースを啜っていた。
「ええと、まずは私のことをお話ししますね」
 そう言って葉月さんはとある先輩のこと、彼女のことを唯一「きつねちゃん」と呼ぶ常連さんのことを話してくれた。

 話の内容は大きく省くけど、簡潔にまとめると大学の先輩が人ではないなにか、で彼女に魅入られてしまったらしい。結果として外の世界を認識できるようになり、カグラちゃんの本当の姿も見えてしまった、ということだそう。
「そういうもの、と長い時間を過ごしてしまうと、人間も順応してしまうみたいで」
 なんてこともないことのように淡々と語る葉月さん。彼女はもう慣れてしまったのかもしれないけれど、自分にだけ見える世界の別の姿、というのはあまりにも残酷だと思う。それに、「長い時間」にアクセントをつけて、まるで何か含みがあるような――チラリとカグラちゃんの方を見たところをみると、年頃の彼女に聞かせたくないような内容なのだろう。

 私はまだ見えていないけど、もしかすると彼女には他の人も、もっと別の姿に見えているのかもしれない。それは他者に共有できるものではなく、自分だけで抱えなければいけない問題で、一人で抱えるにはあまりにも辛い現実。
「お仲間ができて嬉しいです」
 皮肉めいた口調で――どちらか言えば自嘲気味に彼女は言って、カグラちゃんの方を見る。

「この子と?」
「・・・・・・いやいや、まだ会って間もないです!」
 なんだかわからないけど、肯定すれば何かが失われる気がして慌てて否定する。
 少し考えれば冗談とわかる彼女の問いかけに、慌てて弁明しようとする私を彼女は小さく笑って。

「ということはミギさんの方ですね」
 耳を疑った。どうしてここでミギが出てくるのか。動揺してコーヒーのカップを倒してしまう。
 い中身はほとんど残っていなくて、テーブルを少しだけ黒いシミが染めていく。小さなカグラちゃんの悲鳴と「あらあら」とのんびりした葉月さんの声。

 つい最近も、同じような事があった気がする。まるであのコーヒーのように、私の世界を黒い悪夢が侵食していて、その勢いをどんどん増しているような。
 お客さんが飲み物を零す事など日常茶飯事なのか、慌てる素振りもなく「ちょっと待ってて下さいね」とタオルを取りに厨房へと向かっていく葉月さん。
 その後ろ姿を眺めながら、やっと落ち着いてきた頭で考える。今の話の流れで考えれば、人ならざるものと何らかの関係を築くと外の世界に触れ、「わかるように」なる、ということだろうか。

 じゃあなんでそこでミギの名前が出てくるの?彼女には幻の翼も人を凍り付かせる悪魔の瞳も何もなくて、ただ私と変わらない姿で、それで。
 ここで自分に言い訳しても、仕方ないことはわかっている。でも、小説らしさを求めるのであれば、ここは一旦葉月さんの帰りを待ってその意味を聞いたり、はたまた聞かずに思い悩むパートを作ったりした方が盛り上がるはず。でも。でも、これは。これは小説であり、日記でもあるから。
 一度知ってしまったことはもう忘れる事などできない。少なくとも、あの深い紫の瞳に頼ることがなければ。記憶を喰べる忘れ狐の力を借りなければ。

 だからもういい結論から書こう。私は――
 
 ミギを忘れることなんて、できなかった。


               ☆


次回、最終回です。


少しだけでもあなたの時間を楽しいものにできたのであれば、幸いです。 ぜひ、応援お願いいたします。