見出し画像

【小説】子ども騙し

皆が俺の音楽を聴いていてくれていた、と宮田良路(ミヤタ リョウジ)は居間の引き戸を閉めた途端、一瞬だけ酔いが覚めたように冷静になった。火照って弛緩した身体も冷えてしゃんとしたが、居間で盛り上がっている後輩たちの声を聞いているうちに元に戻った。千鳥足で向かったのは上京する前に使っていたスタジオだ。宮田の家は代々音楽教育に従事する家系で、この空き家の持ち主だった祖母は高校の音楽教師だった。

防音の部屋に小型のピアノが一台。古ぼけた絨毯を裸足で進んで行き、奥には自分が持ち込んだパソコンやマイク、マルチトラックレコーダー、ギター、ベース、キーボード、タム。散らかったものを避けながら窓の方へ進み、夜風を入れた。近所の庭に咲いているのだろう梔子の匂いに眩暈を起こしたかのように顔をしかめた。窓を閉め、肘掛けの無い長椅子に寝転がって、よくここに泊まり込んで音楽を作り、こいつを簡易のベッドにしてギシギシの身体を引きずって学生劇団の稽古に行っていたな、と追想した。

宮田の伯父夫婦は宮田の母校で演劇という形で学生運動に関わり除籍され、上京してしばらく劇団をやっていたが結婚を機に辞めて帰郷し、宮田が幼少の頃には地元の社会人演劇文化の一翼を担う立場になっていた。伯父は本業の傍ら、ラジオドラマの脚本を書き下ろしたり、小劇場運営のアドバイザーをしていた。その影響で宮田は音楽と平行し演劇もやっていた。書けて、歌えて、演じられる宮田は万能選手として期待されていたが、音楽を本業にすることを選び、地元を離れた。

横になると、あまりの楽さに息を大きく吐いた。一次会では専ら話し役だったのが、思った以上に負担だったのかもしれない。この空き家に二次会で移動して、後輩たちも気負いがなくなって自分の仕事の話や子どもの話をし始めたので聞き役に回れた。宮田は後輩たちの話をきちんと聞いていた。自分が作る音楽を聴くのは、こういう人たちなのだからと頷いていた。それも、少し緊張していたのかもしれない。

そして、あまりにも寂しかったからだ。後輩たちと音楽の話をするのが嫌だった。皆は全ての音楽に救われているかのように話す。かつてお世話になって、可愛がってもらった伯父夫婦や、客演した芝居の演出、共演者たちのやり取りを聞くことが嫌だった。その人たちの様子は、テレビドラマに出てくるような業界人にそっくり過ぎて悪寒がした。皆まるで、まともに考えたらくだらないもののそれでも大きな力を持つものに騙されているようだった。皆が微笑ましい。最近、そう感じる。上京する前は気持ちが悪くて吐き気がした。そして今よりも寂しかった。身の危険を感じて逃げ出したくなるくらいだった。自分以外は子どもで、自分が駄目になったら、自分を守る者は誰もいないのだという強い怖れを抱えている。充電期間で里帰りしたことを後悔した。

窓の方から物音がした。敷き詰めた砂利をとぼとぼと踏みしめる足音。問衣(トイ)だな、と思った。ここに来た時、自転車を奥に停めるように言ったから。

三島問衣(ミシマ トイ)は学生劇団の後輩だ。宮田が二回目の留年をくらった年の新入生で、自己紹介の時に皆からその個性的な名前に注目されて、にこりともせずに席についた。自己紹介なんて慣れてるだろうから、へらへらして受け流すくらいするのが処世術では? と訝しく思ったことを覚えている。真っ直ぐで勉強熱心な子で、脚本を書いていたが他の団員の支持を得られず上演されなかった。悩ましい作風だった。言ってしまえば灰汁が強い。しかし、その灰汁が魅力だった。それを持て余していたようだった。しかし、学部を卒業して院に進んでから小説に転向し、技術の勉強もちゃんと始めたのか、地元の掌編文学賞で佳作を取っていた。宮田もその文学賞に応募していて大賞を取っており受賞式で会えるかと思っていたが、彼女は研究旅行とかで欠席していた。

窓の端に自転車のハンドルがちらと見えて、宮田は身体を起こした。黄ばんだレースカーテンに問衣の影がすらっと映った。自転車のタイヤが停まり、薄く切った二枚の檸檬のような影絵に見えて、おっ良いな、なんて思った。宮田は問衣に笑って手を振った。だが、問衣が窓をノックしたので、宮田は戸惑いつつも、開いてる、と大袈裟に口パクをしながら、外したままの鍵を指差して示した。

カーテンが夜風でそっと膨らみ、波打った。問衣は自転車のストッパーを下ろして停め、カーテンを端に寄せて会釈をした。宮田は窓辺へ行き、何? と訊いた。問衣は、ほっとしたように、訊きたいことがある、と切り出した。充電期間に入る直前に出した新曲のインタビューについての質問だった。

「宮田さんの言う、嘘ってどういうものなのか、もう少し詳しく訊いてもいいですか?」

新曲のインタビューはいくつかの媒体ごとに受けるから、いつ答えたやつか直ぐに思い出せなかった。出しましょうか? と、問衣がスマホを掲げたので思い出したから、いやいい、と制して、質問に答えた。フィクションってことだよ。

「大人としてっていうのは?」

問衣は、また質問してきた。酔いがどんどん覚めていくような気がする、と宮田はため息をついて、それとなく窓辺から離れ、散らかったコードを手繰り寄せて巻いた。受賞式、楽しかったですか? と、問衣は話題を変えた。うん、と答えて、問衣は今も書いてるの? と宮田は訊いてみた。宮田たちの地元では自治体や新聞社、タウン誌出版社などが催す文学賞がけっこう多いのだ。

「宮田さんの歌って、小説みたいって、インタビューで言われてませんでしたっけ?」

よく言われる。元々、作曲より先に演劇をやっていた影響だ。このスタジオの戸棚には祖母の楽譜以外に伯父からのお下がりの戯曲や小説も収められていて、作業の合間に読んでいた。それがどうした? と言う代わりに言葉を濁した。

「嘘をつくっていうのは、嘘を信じ込ませることなのか、それとも納得できるような嘘を一から作るってことですか?」

問衣は張りつめた声で、そう言った。悪意を持って突っかかってくる人間には何度か会ったが、そいつらは大抵、こちらをこき下ろすことが目的だから、大勢の人間の前でやる(そいつらは同時に自分の人間性も犠牲にしていると気づかないただの間抜けだと思って溜飲を下げている)。だから、問衣にその目的は無くて、真面目に訊いてるのかもしれない、と宮田は向き直った。どうして?

「むかし、高校演劇部で、皆で意見出し合って脚本を考えてたんですが、そこで私、安易なイメージを使って、主人公を設定したんです。信じ込まされた嘘を使って」

宮田は頷いた。詳細は訊かないが直感は働いた。例えば、困難に立ち向かう主人公を書く時に、話を盛り上げるため主人公の境遇に、「これは凄惨だと世の中では思われているらしいぞっ」なんて設定を組み込み、対して主人公の人物像を美しい心や容姿などに設定し、ドラマを演出するというやり方がある。10年から15年くらい前にかなり露骨に横行していた物語だ。

「それで、後輩が、その考えた主人公と同じ境遇で、彼は冷静に、こちらをクールダウンさせてくれました。そして、私はその時のことを最近までなあなあにして、書き続けてました」

問衣は、今にも逃げ出したいというように、声が震えてた。言い訳をしたい、本当はこんなことを話すことを情けなく思っている分かっているということを説明してぎりぎりの体裁を保ちたいのかもしれない。だが、同時にそんなことをしない、という意志を強く持っているのだ。宮田は、こう言った。

「問衣の言う安易なイメージっていうのは、信じ込まされた嘘っていうほど凄いもんじゃなくて、とても簡単につける嘘なんだと思う。それに子どもだった問衣が騙されただけだ」

問衣は、じきに泣き出しそうだった。

「例えば子どもの頃、俺の伯父や祖母はよく楽しませてくれた。音楽や演劇はフィクションだよね。それは問衣の言ってた、一から作ってくれた納得させられる嘘だったんだと思う。俺は、その頃の自分と一緒に音楽を作ってるから」

問衣は目を拭って、宮田に謝った。宮田は問衣を見送った。手を振りながら、以前、問衣と部室で話したことを思い出した。彼女は家族と趣味が合わなくて、研究熱心なのは自分で行動しなければ何も得られないからだった。自分で得たものの取り合わせが、彼女の作風における灰汁の元で、ある意味では宮田には無い、問衣らしさと見えて、羨ましいと思ったことがあった。

梔子が匂った。酔いも覚めた。酒が抜けた代わりに闘志が湧いてきた。今度は彼女も騙せる歌を作ろうか、とギターを抱えた。


この記事が参加している募集

コンテンツ会議

頂いたサポートは、本代やフィールドワークの交通費にしたいと思います。よろしくお願いします🙇⤵️